第34話 おっさん、涙する
ふとレミニアは目を覚ました。
最初に見えたのは、月光だ。
窓から差し込み、真っ白な掛け布団を照らしている。
ゆっくりと上半身を起こした。
赤い髪を撫でつけるように掻き上げる。
額に薄ら汗をかいているのに気づいた。
「嫌な夢を見たわ」
呟くが、残念ながら聞き役の秘書はいない。
ただ本が山のように積まれた部屋には、レミニア1人しかいなかった。
パパが負ける夢を見た……。
それはあり得ない結末だ。
レミニアがかけた強化魔法は、あらゆることに対処可能に設定されている。
側にソーマも置いてきたのだ。
どんな怪我を負ったところで、回復は可能だろう。
しかし、穴がないわけじゃない。
最大の懸念は時間だ。
強化魔法の持続時間は、施術者の魔力と使用頻度に比例する。
レミニアはどれだけヴォルフが無茶な使い方をしても、夏期休暇まで切れないと考えていた。
だが、想定以上にヴォルフが強化魔法に依存しているとすれば。
たとえば、Sクラスに相当するような相手と立て続けに戦うようなことがあれば、さすがにその限りではない。
「けれど、もしパパがわたしの強化魔法が切れるまで戦い抜いたのだとしたら」
突然、自分の肩を抱く。
すると、ブルブルと震えだした。
青白い月光の下で、その顔ははっきりと赤くなっていた。
「わたしはおそらく……」
無敵の冒険者を生み出したかもしれない。
ベッドが軋みをあげる。
レミニアは寝具の上に立ち、そっと空に向かって手をかざした。
「パパ、レミニアはここよ」
恍惚とした表情を浮かべ、ちょうど天頂を指した月に囁いた。
王都東地区で謎の爆炎が上がったのは、その直後のことだった。
◇◇◇◇◇
何か爆音のようなものを聞いて、ヴォルフは目を覚ました。
外が騒がしい。
祭りでもやっているのだろうか。
ぼやけた頭の裏で考えても答えは出ない。
ただ浮かんだのは、敗北した瞬間の光景だった。
あっ、と顔を上げようとしたが、力が入らない。
何やら寝ている自分の上に重しのようなものが乗っているのを感じた。
ヴォルフが視線を落とす前に、それは軽く頬を舐める。
「起きたかい、ご主人様……」
「猫が喋った……」
「な! おい! ちょっと待て! ご主人様! まさかあっちのことを忘れたのかい? ミケだよ! あんたの契約者だ。思い出せよ!! あんたはあっちから魔鉱の純結晶を人にやっちまって――」
「そんなに興奮するな、ミケ。……冗談だ」
ミケは一瞬呆気に囚われる。
すぐにからかわれたのだと気づくと、たちまち猫は牙をむき出した。
腹の上でジャンプする。
「――――――ッッッッッッッ!!!!!」
ヴォルフの悲鳴が寂れた孤児院に響き渡る。
ミケはヴォルフのベッドから降りた。
まだ怒りが収まらないらしく、九尾をパシリと床に叩きつける。
すぐに部屋の扉が開いた。
現れたのは熊――ではなくテイレスだった。
慌てた様子で息を切らしている。
その足下には孤児院の児童たちが心配そうにヴォルフの方を見ていた。
「な、なにがあったんだい?」
「大丈夫だ、テイレス。ちょっとした飼い主と飼い猫のスキンシップだ」
テイレスは、ヴォルフとミケを交互に見る。
猫はご主人の側で丸まり、深い息を吐いていた。
テイレスもまた安心したらしい。
子供たちに別室にいるようにいうと、自分はどかどかと入ってきた。
「感謝しな。この子があたしを呼びにこなかったら、あんた野垂れ死んでたよ」
労うようにミケの背中を撫でる。
まるで猫のように目を細め、気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「ミケがあんたを? イーニャは?」
「さっきまでいたんだけどね。フラッとどっかいっちまった。その手当はイーニャだろう」
胸の辺りを触ると、必要以上に包帯が巻かれていた。
イーニャらしい雑っぷりだが、弟子の必死さが伝わってくる。
「血は止まってる。派手に斬られたみたいだが、浅かったようだね。もう少し深かったらヤバかったけど」
「そうか……」
ヴォルフはぼんやりと天井を見つめる。
元は綺麗な白い天井だったのだろう。
今は黄ばんでいて、ヒビや穴が無数にあった。
とても病人を寝かせる場所ではないのだが、ここが孤児院で1番安全で清潔さが保たれている場所なのかもしれない。
ぽつりと呟く。
「俺は負けたんだな」
『ああ……』
答えたのはミケだった。
そのまま言葉を続ける。
『だが、嬢ちゃんの強化魔法が切れたんだろう。仕方ないさ』
強化魔法が切れた今も、こうしてミケと喋れているのは、魔法外の技術が使われているからだろう。例えば、薬や生体と接合できる魔導技術などが考えられる。
不意に目頭が熱くなった。
かと思えば、目尻を抜け、滂沱と涙が流れる。
慌てたのはミケやテイレスだ。
負けて悔しいのか?
傷が痛むのか?
1匹と1人は騒ぎ立てる。
それはどちらとも正解で、どちらとも不正解だった。
確かに負けて悔しい。
傷も痛む。
本当に泣きそうになるぐらいにだ。
けれど、ヴォルフに渦巻いていた感情は、非常に奇妙なものだった。
嬉しかった。
言い訳ならいくらでも出来る。
レミニアの強化魔法がなくなったこと。
相手が【勇者】であったこと。
今のヴォルフはただのおっさんだ。
負けて当然だ。
少なくとも、引退した当時の自分ならそう思っていただろう。
イーニャという強烈な新人が目の前を通り過ぎ、他にも数々の冒険者が遠い場所へと走って行った。
ヴォルフは、そんな冒険者を見送ることしか出来なかった。
最初は「悔しい」と思ったに違いない。
けれど、段々とそう思うことすらなくなっていった。
でも、今は違う。
ちゃんと悔しがっている。
あの時とは違う自分が、娘の強化もされずに横たわっている。
戦おうとする意志が心の中で燃えさかっている。
その事実が溜まらなく嬉しかった。
「ミケ……。こんなご主人様だが、ついてきてくれるか?」
『強いか弱いか、勝つか負けるかで主人を決めてるようなら、あっちはとっくにあのルーハスって野郎の膝の上でゴロゴロしてるさ。顔もイケメンだしな』
「お前なあ……」
『出会った時にいったよな。幻獣に人の生死など関係ない。そもそも興味ないんだ。唯一あるとすれば、ご主人の胸の中に収まってる心なんだよ。あっちはそこに惚れ込んでるのさ』
「ありがとう」
ヴォルフは心底感謝した。
幻獣と戯れる冒険者を見ながら、今度はテイレスが口を開く。
「まだ戦うのかい、ヴォルフ?」
ミケに伸ばした手を止める。
衣擦れの音を鳴らしながら、ヴォルフはゆっくりとテイレスに向き直った。
「戦う」
短く宣誓する。
またルーハスとは剣を交えることになるだろう。
そう遠くない未来にだ。
ルーハスだけではない。
ストラバールにはいまだ幾百万もの魔獣が棲息している。
それを打ち払うことが、冒険者の使命だ。
ここで折れるようなら端から冒険者に戻ったりはしない。
生きている限り、力ある限り、もう――剣を振ると決めたのだ。
強く響いた誓いを聞いて、テイレスも観念する。
静かに目を閉じ、こういった。
「ヴォルフ、今起こってることを説明する。心して聞いておくれ」
瞬間、すぐ近くで爆音が響き渡った。
◇◇◇◇◇
窓の外を見れば、夜だった。
だが、よく見れば夜天を覆う闇は、煙だ。
その下には紅々と炎が揺らめいている。
王都が燃えているのだ。
「革命さ」
その荒々しい言葉とは裏腹に、テイレスの口調は穏やかだった。
各所から鬨の声が聞こえる。
それは王国軍と、冒険者がぶつかり合っている――確かな証拠であった。
まるで暴徒と化した冒険者は、王都にある貴族の屋敷や、上級の家臣の邸宅を狙って、火を付け回っている。そのため東区はひどい被害を受けていた。
冒険者たちは謳う。
王宮の腐敗の打倒。
そして先日の魔獣戦線における報酬と補償の見直しを。
「本来はギルドがしっかりと冒険者を養わなければならない。けれど、魔獣戦線は全世界の問題であり、国が先頭に立って解決している。いくらギルドがデカい組織になったからといって、そればかりは口出しできない。結局、国が出せるだけの報酬を飲むしかないんだ……」
対して、冒険者ではない貴族や諸侯は放蕩三昧。
自分に都合の悪いことは軍隊を使ってでも握りつぶし、必死に生き残るために戦うものたちを遇することはなく、自分たちは袖の下を膨らませている。
レクセニル王国だけではない。
どこの国も政治的実態は同じだ。
優秀な人材が戦地で散っていけば、自ずとこうなる。
人類がやっていることは、そんな消耗戦だった。
「その御旗の先頭に立っているのが、ルーハスだ」
冒険者の中の冒険者が前を走ると決めたのだ。
不満のある冒険者が殺到したことは、想像に難くない。
「だが、ルーハスにとっては、革命は方便でしかない」
前回の魔獣戦線でルーハスは仲間を失った。
同時に、恋人も失った。
この孤児院の代表であり、五英傑【軍師】であったルネット・リーエルフォンは、彼が唯一愛した女性だった。
「魔獣戦線の折、1度猛将ツェヘスが率いるレクセニル王国軍が本国命令で帰還しなければならなくなった。それがきっかけで、優勢に傾いていた人類軍は一気に劣勢に立たされたのさ。ルーハスはそのせいでルネットが死んだと思っている」
いや、ルーハスはそう思おうとしている。
数々の困難に打ち勝ってきた【勇者】も、恋人の死は耐えがたいものだった。
何者かのせいにしなければならないほどに……。
それはもう革命などという血なまぐさく、そして清々しい言葉ではない。
「そう。単なる復讐さ。いや、八つ当たりに近いかもしれない」
話を聞き終えたヴォルフは、ベッドから降りる。
胸の辺りを抑え、足を引きずりながら、自分の荷物に近寄った。
中にある薬を探し、1本の瓶を見つける。
それを一気に飲み干した。
「うっ」
思わずえずきそうになる。
レミニアが作ってくれたソーマのレプリカは、やはり苦かった。
だが、甲斐あって身体の中から活力が漲ってくる。
包帯をほどくと、すでに傷はふさがっていた。
ヴォルフは黙って支度を始める。
「行くのかい?」
「ああ……」
「ヴォルフ・ミッドレス、あんたはどっちにつくつもりだい?」
「どちらにもつかないよ」
即答した。
テイレスはハッと顔を上げる。
その彼女に向かって、ヴォルフは刀を掲げた。
「俺は、自分の目の前で人が死んでいくのをただ黙って見ているつもりはない。……ただそれだけだ」
王宮の人間も、冒険者も関係ない。
ヴォルフのいうことは、ただただ当たり前のことだった。
テイレスは笑う。
「あんたは偉くなっても変わらないね。普段はとっぽい癖に、戦いとなれば勇敢で、そしてお人好しだ」
「それが俺の唯一の取り柄みたいなもんだからな」
いつも通り、照れを隠すために癖毛を掻く。
刀を腰に差し、やがて準備は整った。
「ミケ、ここの子供たちを頼む」
『あっちはついていかなくていいのかい?』
冒険者は主に王宮と東区を中心に暴れているようだが、血に飢えれば大義も信念も関係ない。そんな時、等しく被害に遭うのは女子供だ。
「しっかり守ってやってくれ。俺が戦闘に集中できるようにな」
『わかったよ。けど――』
「ああ……。必ず戻ってくる」
『そんなの当たり前だろ。報酬はなんだって聞いてんのさ』
がめつい幻獣だ。
それ故に頼もしい。
「わかった。いくらでも純結晶を食べさせてやるよ」
ヴォルフは肩をすくめる。
ミケは異色の瞳を輝かせ、九尾をぶんぶんと振った。
「ヴォルフ……」
テイレスは旅立つ冒険者を抱擁する。
ヴォルフよりも大きな身体の受付嬢は、そっと頭を撫でた。
「心配するな。きっと戻ってくる。イーニャも連れてな」
ウィンクを送ったのは、テイレスの背中の向こうにいた子供たちだ。
その言葉を聞いて、無邪気に喜ぶ。
ようやくテイレスはヴォルフを離すと、改めてこういった。
「冒険者ヴォルフ……。あんたに依頼する」
この革命を止めておくれ。
ヴォルフは頷く。
肩で空気を切り裂き、炎に包まれた王都を疾走していった。
前話のお話にて、たくさんの叱咤激励ありがとうございました。
すべて読ませていただいております。
1つ1つの感想に返し、また活動報告にて言い訳を並べることも可能とは思いましたが、
作者自身が前話も、作品名やタグを変えるつもりはないことを鑑み、意味のないことだと判断いたしました。
また作者は非常に不器用な人間ゆえ、更新以外のすべてをしばらく控えさせていただき、
今後の作品のクオリティを持って、読者様に返させていただきます。
何卒ご容赦いただきますようよろしくお願いします。