第346話 最期の出撃
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先日、BookLiveより54話が更新されています。
原作者描き下ろしの新章となっています。
WEBと違う展開になっていますが、こちらもかっこいいので、ぜひ読んでください。
草花が生い茂り、山の峰に光が差す……。
朝がやってきた。
それは当たり前のことだが、つい1日前はそうではなかった。
山は崩れ、地面は隆起し、海や暴風とともに空へと舞い上がる。
もはやそれは地獄であり、世界の滅びの前兆であった。
そんな苦難をくぐり抜け、今は世界はある。
ストラバールと、エミルディア両世界の植物が生える森は、地平の彼方まで広がり、大きな平原では背の低い草花たちが揺れている。
北の山肌には雪が残り、南の海では色とりどりの魚たちで溢れ返っていた。
世界は「生気」に萌えていた。
一言でいえば、救われたのだ。
(なんて親子なの……)
そんな世界を見ながら、毒づいたのは1匹の狐であった。
大きな尾をヒラヒラと動かしながら、まさしく再生された森を駆け抜ける。
彼女の名前はハッサルと呼んだ。
(でも、あたしにもまだ芽は残っている。ヤツらはあたしのすべての尾を消滅させたと思っていたけど、まだ残っていたのよ)
元々ハッサルは神狐と呼ばれる古代の神獣であった。
その尾の数は、9尾ではなく10尾。
常に1つを余所に置くことで、彼女はずっと生き延びてきたのだ。
(また一からになってしまったけど、あたしは諦めないわ。今度こそ必ず、あたしが唯一の神に……)
「ここにいたか、神狐」
「お前は――――」
神狐と古い名で呼ばれたハッサルの顔が引きつる。
砂銀のように流れる髪。
真っ白な肌はサテン生地のように薄く輝き、黄金色の瞳はやや愉快げに歪んでいた。一見すると、絶世な美女である。
しかし、その身体のあちこちに傷があり、元は白かったドレスは血に濡れていた。
「カラミティ…………エンド…………」
不夜の女王……。
【不死の中の不死】……。
真祖の吸血鬼……。
そして、太古からの宿敵……。
思えば、ハッサルの歴史は、このカラミティとの争いでもあった。
「お前は……」
「死んだ、か? 舐められたものだ。よもや我の2つ名を忘れたわけではあるまい。【不死の中の不死】……。我以上の不死の存在はなく、我以上に死なぬ者はいない」
「自分の姿を見なさい。よく言えるわね」
「当たり前だ。それがカラミティ・エンドだからな。それに己の姿というなら、そなたも同じではないか。随分と可愛い。本体と比べると、まるで童のような姿だな」
「黙れ!」
ハッサルは牙を剥き出す。
すると、身体がムクムクと大きくなる。
ヴォルフと相対した時と比べるまでもないが、それでも人一人驚かすには十分なサイズとなる。
しかし、相手が悪かった。
カラミティ・エンドは、少なくとも顔を上げなければならないほどには大きくなったハッサルを見上げる。
「まだそんな力を持っていたか。したたかな狐だ。しかし、すでに未来予知はできないと見える。我がここに来るとわかれば、そなたはここに来なかったであろうからな」
カラミティの予想は正しい。
ハッサルはヴォルフとの対決に賭けていた。
そして負けると微塵も考えていなかった。
何故なら、負ける未来など見えなかったからだ。
この姿は言わば保険の保険である。
ただ自分が生き残るだけの……。
ハッサルは次なるチャンスといったが、すでにヴォルフが本体を殺してしまった以上、未来を視ることすらできなかった。
「あはははははは!」
それでもハッサルは笑った。
強がりではない。
まるで天啓のように現れた宿敵を見て、心から歓喜していた。
「何がおかしい」
「おかしいさ。『我がここに来るとわかれば、そなたはここに来なかったであろうからな』ですって。違うわよ、真祖。私が、あなたがここに来るってわかっていたからよ」
「…………」
「強がりと思っているのでしょ? 違う。私はあなたを喰らう。半死半生でも、あなたを食べることができれば、私はかつての力を取り戻せる〝芽〟が出てくる。あははははは! 残念でした! ここで死ぬのは、私じゃない」
カラミティ、あなたよ!!
ハッサルは牙を剥き出す。
今まで様々な権謀術数、あるいは戦略・戦術を立ててきた老獪な狐の姿はない。
まるで獣の本能でも思い出したかのように獣臭を漂わせて、ハッサルはカラミティに襲いかかった。
そんな宿敵の姿を、カラミティは物憂げな顔で見つめるだけだった。
「ハッサルよ……」
さらばだ!
カラミティの手には骸骨の柄がついた銀剣が握られていた。
まるで地面に埋まった銀砂をかけるように剣線が閃く。
次の瞬間、ハッサルの巨躯は真っ二つになっていた。
「ハッサルよ。お前の敗因は未来だけ見て、現実を見なかったことだ」
「く…………ぉ………………」
断末魔の悲鳴というには、あまりに小さく意味のない言葉であった。
ハッサルはそのまま消滅する。小さな結晶が生まれると、それはすぐに黒炭となって消えてしまった。
ストラバールより太古からいた化け物の命運は、ついに尽きたのだ。
「ふう……」
カラミティは一息を吐く。
安心した瞬間、持っていた銀剣を取り落としてしまった。
「まったく……。最期の最期まで厄介な奴だった」
カラミティは血だらけになった自分の手を見る。
一瞬笑みを浮かべたが、すぐに悲しげに目を細めた。
「こんな姿ではヴォルフの元にはいけぬな」
空を見上げる。
木漏れ日の間から、月――エミルディアが消えた空を仰ぐ。
「寂しいな。1人は……」
カラミティの身体が斜めに傾く。
倒れそうになった身体を受け止めた者がいた。
色素の抜けた白髪に、厳格に引き締まった四角い顔。
つり上がった瞳は鋭く、人というより狼を思わせる。
赤い瞳は超然としていて、かつ真摯にカラミティに向けられていた。
「ゼッペリン……。そうか。お前がいたな」
「いえ。わたくしだけではありません、カラミティ様」
カラミティがゼッペリンと呼んだ紳士は、顔を上げる。
彼女もまたその視線を追った。
「…………!」
思わず息を呑む。
森に揃っていたのは、ゾンビやスケルトンといった不死の軍団であった。
その軍団の中から、8本の腕と3つの首を持つスケルトンが進み出る。
カラミティの姿を見つけると、まるで田舎にいる好々爺のように笑った。
「そうか。我にはそなたらがいたな」
かつてカラミティが率いていたドラ・アグマ王国軍の全軍が頷く。
それまで意気消沈としていたカラミティの中に、再び気高さが戻ってくる。
ゼッペリンから離れると、自ら立ち上がり、全軍に発した。
「行くぞ、皆の者」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
怒号のような鬨の声が、カラミティの耳朶を打つ。
カラミティは輿に身体を預けると、不死の軍団とともに深い森の中に消えた。