第32話 その邂逅は必然か、偶然か
ようやくこの回から話が動き始めます。
借金取りは去り、孤児院の穴だらけのソファに座っても、シスターは泣きやまなかった。
横でヴォルフがおろおろしている。
その様子を孤児院の児童と思しき子供たちが、そっと見つめていた。
口にはヴォルフが買った肉饅頭のかすらしきものが残っている。
「おっさん、シスター泣かした」
「おっさん、女泣かした」
「おっさん、女泣かせ」
「女泣かせるおっさん、悪いヤツ」
先ほどからぶつぶつと呟いている言葉は丸聞こえだった。
ヴォルフはパッと振り向くと、ふっといなくなる。
さっきからイタチごっこだ。
「おいおい、イーニャ……。そろそろ泣きやんでくれよ」
ヴォルフは頭を抱える。
イーニャ・ヴォルホルンは昔の仲間だ。
彼女が新人時代に冒険者のいろはを叩き込んだのがヴォルフで、以来「師匠」と慕われている。
見た通り、獣人『赤狼族』の血を引き、身体能力は人族を優に凌駕する。
だが、この程度の情報は些細なものでしかない。
「だってよぉ……。突然、師匠がどっかいっちまったから。あたい、もしかしたら捨てられたのかと思って」
「悪かったな。お前、他のパーティーで活躍してたから。もう1人前だと思って、声をかけることが出来なかった。……でも、お前の噂は聞いてるぞ」
「ホント!?」
檸檬色の瞳が持ち上がる。
丸い黒鼻は、何度も掻き過ぎて赤くなっていた。
おそらく30手前だと思うが、イーニャの姿は15年前とさほど変わらない。
獣人の特性によるものだが、その心もまた純真な子供のままらしい。
「五英傑の1人にして【破壊王】イーニャ・ヴォルホルン。女の子の綽名としては物騒だが、お前を表すには持って来いの名前だ」
ニカラスで彼女の名前を聞いた時には驚いたものだ。
だが、同時に納得も出来た。
イーニャはそのずば抜けた身体能力で、新人の頃から高いクラスの魔獣をバッタバッタとなぎ倒してきた。
そして、彼女の存在はある意味、ヴォルフを引退させるきっかけにもなった。
「師匠の俺としては、ちょっと鼻が高かったぞ」
ヴォルフはそっとイーニャの頭を撫でてやる。
獣人の娘は気持ちよさそうに目を細め、笑った。
「イヒヒヒヒ……」
ちょっと気味の悪い笑い声も、昔のまんまだ。
「しかし、お前……。なんだって、こんな孤児院でシスターをやってるんだ。五英傑の仲間と、魔獣討伐を続けてるんじゃないのか?」
イーニャの緩んだ表情が、途端に引き締まる。
ヴォルフの手をそっと払うと、立ち上がった。
西日の射しこむ窓を見ながら、赤狼族の娘は重い口を開く。
「五英傑は今、休止中だ。他の仲間も、それぞれ実家に帰ったり、ソロで活動してる」
初めて聞く話だ。
国の広報紙によれば、7日前もレクセニル王国の西端の山に巣くった大型魔獣を討伐したとあった。
だが、イーニャが討伐に出ていたという気配はない。
つまりは広報紙が嘘をついているということになる。
「欠員が出たんだよ」
「誰か死んだのか?」
思わず尋ねてしまったが、イーニャは何もいわず頷いた。
「ルネット・リーエルフォンって知ってる?」
「ああ……。五英傑の要を担う人物だと」
その異名は【軍師】。
戦略と戦術、さらに補助魔法のエキスパートだと聞いている。
「それが先の魔獣戦線で亡くなってな。……すっげぇいいヤツだった」
イーニャの言葉の端々に、ルネットの人柄が現れていた。
彼女はどちらかといえば、人見知りをする方だ。
赤狼族の特性か。群れることを嫌うし、あまり人のことを認めたがらない性格をしている。
そんなイーニャが認めた人物。
よほどの傑物であることは、表情を見てわかった。
「この孤児院の代表がそのルネットなのさ」
だが、代わりに経営を任せていた人間が、彼女が残していた資金をもって逃げ、挙げ句賭博に使い、あっという間に孤児院を抵当に入れようとした。
そんな時に、イーニャがここにやってきたのだという。
「頑張ったな、イーニャ」
「別に……。あたいは借金取りが来たら、がなり立てて追い払っていただけさ。大変なのはあの子たちだよ」
イーニャは目を細める。
隣では子供たちが、ボロボロになった玩具を取り合って遊んでいた。
わいわいと楽しそうにしているが、イーニャの顔はヴォルフですら見たことないほど、悲壮感に溢れている。
「あの子たちは、みんな冒険者の子供さ」
「――――!!」
「魔獣戦線で親を亡くしてね。孤独になってしまった子供を、ルネットが拾って、この孤児院で育ててたんだよ」
戦災遺児の問題は、どこの国も共通の問題だ。
国は兵士たちに対しては手厚く補償はするものの、ギルドに雇われた冒険者に対しては、何の代価も補償も与えない。
世界を救う戦いをしているのは、一緒でもだ。
「あたいは難しいことはわからねぇ。でもさ。冒険者が使い捨てられてるってのは、なんか納得いかねぇなあ……」
その横顔を見ながら、やはり15年も経てば、獣人でも変わるのだと思った。
少なくとも昔のイーニャは、今のように寂しそうな顔を浮かべることはなかった。
すると、突如イーニャは壁に寄りかかる。
ふらついたかと思えば、その場に崩れ落ちた。
ヴォルフは慌てて駆け寄る。
「おい! 大丈夫か、イーニャ!!」
必死に叫ぶ。
返ってきたのは、なんとも間抜けな返事だった。
ぐぅぅぅぅうううぎゅるぎゅるぎゅるぎゅぅぅうう……。
……。
……。
腹の音だった。
「お前なあ……。びっくりしたろ」
「ご、ごめんよ、師匠。最近、まともなもん食ってなくてさ。それに師匠から美味しそうな匂いがするし……」
「おいおい。俺は食べものじゃないぞ。……それに孤児院は貧乏でも、お前自身は稼いでたんだから、飯ぐらい食えただろう」
「いや~、それがさ。戦線が終わって、飲み食いしまくってたら、いつの間にかなくしちまって。イヒヒヒヒ……」
相変わらずの大呑み食らいらしい。
ヴォルフは少しだけ安心した。
「悪いが、今は食べ物といえば、そこの角で泣いてる猫ぐらいしかないぞ」
半分冗談混じりに指さす。
普段はモフモフの白毛が、枯れた花のようにしおれていた。
異色の瞳からさめざめと涙を流している。
そのままキッとご主人様を睨んだ。
「うっせぇ! こっち見んなし! 折角のあっちの大好物を……」
ミケは怒鳴る。
反応したのはイーニャの大きな耳だった。
「駄目だ……。幻聴が聞こえてきた。猫が喋ってる」
弟子が【動物会話】のスキルを持ってるという話は聞いたことがない。
だが、獣人ゆえにその手のスキルは、生来持ち合わせているのかもしれないと、ヴォルフは推察した。
「ところで、師匠はどうして王都に来たんだ? あたいに会いに来たって……わけでもないんだろ?」
「ああ……。実は――」
話しかけた瞬間、部屋に子供が入ってきた。
「イーニャおねーちゃん。またゆうしゃさまがきた」
若干舌っ足らずな言葉に、イーニャはピクリと反応する。
先ほどまで腹痛を訴えるかのように身体をくの字に曲げていた弟子は、すっくと立ち上がった。
「客人か? 俺が出ようか?」
「いい。あれはあたいの客だ」
イーニャの態度に、ヴォルフは首を傾げる。
それに子供がいった「ゆうしゃさま」というのが気になった。
◇◇◇◇◇
イーニャが孤児院を出ていくと、庭で子供たちと戯れる男の姿があった。
銀色の鎧に、黒の帷子。
その下に搭載された筋肉は、鞭のようにしなやかでありながら、岩肌のように硬く見える。
臀部まで伸びた白銀の髪は、1本の竜尾に似ていた。
濃い色の青眼は子供たちに向けられていたが、決して口元は笑っていない。
イーニャを見つけると、男は持っていた球を遠くへ放る。
子供たちは我先にと、その行方を追いかけた。
「ルーハス……」
五英傑の【勇者】を前にして、イーニャの表情は子供たちのように無邪気ではない。むしろ憎むべき敵と相まみえるかのように険しかった。
それはルーハス・セヴァットも同じらしい。
「決意は固まったか、イーニャ」
「本当にやるのかい?」
「決行は明日の夜だ。……王宮のあの分厚い鉄板を破るには、お前の力が必要になる」
「あたいはまだ参加するっていってない!」
「では、今すぐ決めろ……。それとも力づくがいいか」
ルーハスの周りの空気が歪む。
静止状態であったものが、一気に光速まで加速したかのように雰囲気が変わった。
対してイーニャは戸惑っていた。
こんなところで仲間と争うなどしたくない。
それに今日はめでたい日なのだ。
世話になった。
憧れていた師匠と、15年ぶりに再会した日。
「(なんでよ。なんでこんな日に限って、師匠と会っちゃったんだろ、あたい)」
泣きそうになる。
いや、事実泣いていた。
ぽろりと一滴の涙が、冬枯れの木の葉の残る庭に落ちた。
「やめろ……」
声が響いた。
イーニャとルーハスが視線を向けたのは、同時だった。
孤児院の入口にヴォルフが立っていた。
傍らには幻獣の猫を連れている。
「ヴォルフ師匠……」
イーニャは呟く。
その言葉を聞き、ルーハスは怪訝な表情を浮かべた。
ヴォルフは近づいてくる。
「何がどうなってるかしらんが、そいつは俺の弟子だ。不出来な弟子だが、知らない人間に連れて行かれそうになるのを黙って見過ごすほど、愛着がないわけじゃないんだ」
「何者だ……」
という前に、ルーハスは突然現れた男を鑑定する。
パチン!
中空で弾かれた。
【鑑定】のスキルが、強力な【技業耐性】によって防御された音だ。
ルーハスは驚くと同時に、思い出していた。
あの【大勇者】の言葉を――。
“ニカラスのヴォルフ……。わたしのパパよ”
「お前、名前は?」
「ヴォルフ……。ニカラスのヴォルフだ」
無表情だった【勇者】の顔に、わずかに笑みが灯る。
それは悪魔に取り憑かれたかのように、気味の悪いものだった。
次回【勇者】VS【おっさん】!