第29話 勇者と大勇者
レミニアパートになります。
紅蓮ともいえる髪がゆっくりとルーハスの方へと近づいてくる。
背丈も、顔も小さく、まだ可愛い姿の少女。
しかし、その全体を捉えた時、すでに小さな体躯には、優美で繊細な美しさが備わっていた。
村民のような見すぼらしい格好とは裏腹に、少女の立ち振る舞いは超然としている。
警戒に値する人物と考えたルーハスは、決して構えを解かなかった。
「何者だ?」
「あんたこそ何者よ。ここに住んでるってわけじゃ――――!」
刹那、少女の頭の上で何かが弾いた。
一瞬キョトンとしたが、たちまち幼い顔に怒りが満ちる。
「ふん。【鑑定】スキルなんてちょこざいな芸当を身につけているのね。悪いけど、そんな付け焼き刃のスキル。わたしには効かないわよ、【勇者】ルーハス・セヴァットさん」
「お前も【鑑定】スキルを使うのか?」
「別にそんなことしないわよ。ここの状況を知っていて、雪人が作る刀を持っている。そして見るからに強そうな男なんてそういないでしょ。ヤマカンが当たっただけよ」
べー、と舌を出す。
「まあ、名前ぐらいは名乗っておこうかしら。わたしの名前はレミニア・ミッドレス。はじめまして、勇者殿」
「レミニア……。まさか最近【大勇者】になったという小娘か」
「勇者殿に覚えていただいてるのは光栄の至り――とかいうのかしら。わたしは全然興味ないけどね」
本当に興味なさげに、レミニアは【勇者】から視線を切る。
オブジェのように佇むアダマンロールの死骸を見つめた。
「これはあなたが……?」
「逆に聞くが、お前の仕業ではないのか?」
「失礼な【勇者】ね。質問を質問で返すなんて。……まあ、だいたいのことはわかったわ」
すると、あろうことかレミニアは【勇者】に背を向けた。
帰るのかと思ったが、違う。
さらに洞窟の奥へと進み始めた。
ルーハスは刀の柄から手を離す。
しばし迷った後、少女の背中を追った。
「なんでついてくるのよ」
「行く方向が同じなだけだ。ところで、どうしてここにやってきた。お前は王宮に仕えていると聞いたが」
「仕えたはいいけど、わたしの研究室って暇でね」
「暇?」
「他の部署の仕事を肩代わりしてるの。とはいっても、作業を行っているのはわたしの秘書だけど」
その秘書――ハシリー・ウォートは、たまたま紛れ込んでいたある報告書を見つける。そこに書かれていたのは、ハイガルの地下にアダマンロールが確認されたというものだった。
「で――。色々調べていくと、この報告書が上層部の方で握りつぶされていることがわかったの。わたしは興味なかったんだけど、秘書の友達がハイガルにいるらしくってね。救ってくれって、涙ながら頼まれちゃったのよ。上司としては、動かないわけにはいかないじゃない」
事は急を要することから、レミニアは転移魔法を使いハイガルにやってきたというわけだ。
転移魔法は魔力を大食いする。
おかげで魔力の半分を使い切っていた。
ちなみに王都からここまで移動できる魔導士は、レミニアをおいて他にはいない。
さしもの【勇者】も絶句していた。
そんな長距離の転移魔法の例を知らなかったからだ。
レミニアは振り返らず、そのまま話を続ける。
目の前には、召喚した光の精霊がランタンのように揺れていた。
「わたしに付いて来るってことは、あなたも気付いてるのね」
「ああ……。おおよそ見当は付いていた」
奥へといくと、現れたのは大きな岩だった。
レミニアは精霊を掲げる。
よく見ると、虹彩のない瞳のようなものが見えた。
さらにゴツゴツとした岩肌のような坂が続く。
わずかだが、動いているような気がした。
「やっぱりいたわね。もう1体のアダマンロールが――」
ハイガルの地下には、2体のアダマンロールがいた。
ヴォルフが斬ったのは、その1体。
レミニアが見た報告書にも1体とあったが、添付されていた資料から、2体いることを予想していた。
「下がっていろ。ここは俺がやる」
「あなたじゃ無理よ」
現最強と目される五英傑の1人に向かって、レミニアは事も無げに言い放つ。
さすがに【勇者】の矜持に障ったらしい。
ルーハスはレミニアを正面に見据えると、睨んだ。
だが、少女は全く物怖じすることはない。
その表情も緩んだままだった。
「あなた、万全じゃないでしょ」
「なんだと?」
「その状態ではおそらくアダマンロールを斬ることはできない。たとえ、その刀が優秀であっても、あなたの身体は昔アダマンロールを斬ったという状態にはほど遠いはず」
「お前に何がわかる!」
ルーハスはついに怒鳴る。
それでもレミニアは表情を変えない。
さらに【勇者】を問いつめていく。
「わたしは魔導士よ。それも飛びきり優秀のね。あなたに施された強化魔法がどんな風に運用されているか、一目で見抜くことができるわ」
いくら【勇者】といえど、アダマンロールを斬るほどの膂力を生むためには、強化魔法、あるいは類似するスキルの使用は必須だ。
だが、今の強化魔法ではルーハスはアダマンロールを斬れない。
レミニアはそう諭しているのだ。
「ふざけるな! レベル7の強化魔法だぞ。前はレベル6だった。以前よりも俺は強くなっているはずだ!」
「単純に強化といっても、その人間の身体的な特徴をしっかり捉えていなければ、その半分の効果もないわ。むしろ高いレベルの強化魔法を闇雲に使えば、身体の消耗が激しくなり、壊れることだってある。まさに両刃の剣なのよ」
「お前なら、それが出来ると……」
「まさか……。わたしとあなたは今、会ったばかりなのよ。身体に合った強化なんて、その人間を昔から知っていないと出来ない芸当だわ」
「では、どうするのだ! お前、ここに何をしにきた」
「あなたに強化を施すつもりはないけど、わたしの手伝いならさせてあげることができる」
「手伝いだと」
「ええ……。実は転移魔法を使ったおかげで、魔力がかなり減ってしまってね。このアダマンロールを斬るのを補助することが出来ても、とどめを刺すことは出来そうにないの」
魔獣とて、生物に変わりはない。
微細な細胞同士が結合し、身体を構成している点は、他の動植物と同じだ。
アダマンロールも、人間よりも微細な細胞と鉱物のように均一化された構造によって、世界最硬度を誇っている。
「その構造自体を破壊できないまでも、緩めてあげればいい」
「緩める?」
すると、レミニアは呪文を唱えた。
地獄を体現し、奔り廻る者よ、憤怒の火神【イーラ】。
紅蓮の炎が洞窟に吹き上がる。
舞い散る火の粉を払いながら、ルーハスは「火神召喚か!」と驚いていた。
現れたのは炎の魔神だ。
口から小さく炎息を吐き、虹彩のない瞳を召喚主に向ける。
「行きなさい、イーラ!!」
その命令とともに火神は飛び出していった。
円を描くようにアダマンロールの周りを滑空する。
次第にそれは炎の渦となり、そして炎柱へと変わっていった。
「おおおおおお!」
さしものアダマンロールも起きた。
身を起こそうとしてる。
効いているように見えるが、その皮膚には焦げ痕1つついていない。
ルーハスは目を細めながら、半ば呆れていた。
アダマンロールの属性耐性は無敵に近い。
いくら火神の炎といえど、殺傷するまでには至らないはずだ。
「そう。その通り……。この状態ではアダマンロールは殺せない。けれど、膨大な熱量によって、その結合力を緩めることはできる」
「結合を緩める?」
アダマンロールには、様々な魔法効果を弾く機能が備わっている。
【防御低下】の魔法やスキルも同様で、全く効果がない。
だが、レミニアの母の遺稿には、アダマンロールの外殻に熱を加えることによって、密集する細胞の結合がわずかだが緩まると書かれていた。
「物は試しよ、勇者。今なら、アダマンロールを斬れるはず」
レミニアのいうことを信じる気にはなれなかった。
せめて半分――半信半疑といったところだろう。
だが、悪くはないと思った。
結合力、細胞、熱量――そんなものはわからなかったが、ただ斬れというのなら、【勇者】にはさして問題ではなかった。
ルーハスは沈み込む。
【居合い】の構えを取った。
息を吸い込み、集中する。
心が整った瞬間――【勇者】は地を蹴った。
一瞬にして、距離が縮まる。
炎に包まれるアダマンロールを前にして、刀身を抜いた。
交錯する。
感触は――――あった。
次の瞬間、重い音を立てて、アダマンロールの硬い外殻が開いていく。
大量の血しぶきをまき散らしながら、無敵要塞は崩れていった。
【シン・カムイ】を見つめる。
刃こぼれも、傷もついていない。
透き通るような刀身は暗闇の中でも光っていた。
アダマンロールの巨躯が地面に沈む中、小さな拍手が聞こえる。
振り返ると、レミニアが立っていた。
「お見事。さすがは【勇者】ね」
ルーハスは刀を鞘に収めた。
すると、レミニアの方へと歩いていく。
鼻先がつくのではないかと思うほど、近づいた。
背の高いルーハスとは対称的に小さなレミニア。
お互いしばし睨み合う。
最初に動いたのは、ルーハスだった。
乱暴にレミニアの顎を掴む。
「お前、俺のものになれ」
言い放った。
レミニアの赤い眼がみるみる開いていく。
頬は上気し、赤黒い髪は膨れあがる。
最初は驚いた【大勇者】だったが、その態度はやがて冷たい彫像のようになっていった。
ルーハスの手を払う。
それどころか、火神を間に寄越し、距離を取らせた。
「お断りよ、【勇者】」
ふざけんじゃないわよ、といわんばかりに、顎を上げる。
対して、ルーハスは軽く火傷をした手の甲を見つめた。
「あんたと手を組むつもりなんて、更々ないわ。……それにね。わたしには、わたしの【勇者】がいるの」
「勇者? 誰だ、そいつは?」
「ニカラスのヴォルフ……。わたしのパパよ」
「にか――」
「じゃあね、【勇者】。また会うかもね……」
ルーハスが言い終わらぬうちに、レミニアは姿を消した。
転移魔法だろう。
「レミニア・ミッドレス……か……」
顔を上げる。
いまだ血が吹きだし続けているアダマンロールと、洞窟の闇だけが広がっていた。
※ 余談ですが、ヴォルフが戦った際、ミケの落雷の熱量によってアダマンロールの外郭に緩みが生じていた――という裏設定は考えられると思います。
明日の外伝『姫騎士アンリの弱点篇』を挟み、次々回では『王国革命篇』をお送りします。
ヴォルフの弟子との再会。
勇者ルーハスとの死闘。
親子久方の対面などなど、盛りだくさんの内容となっていますので、お見逃しなく!