第292話 返し技と返し技
「ぼくを斬ったところで、何も変わりませんよ。この世界も、今レクセニル王国に侵攻する蛮族たちを止めるのも……」
ハシリーの言う通りだった。
今、レクセニル王国に侵攻している兵士たちは、ガダルフの部下でも、ハシリーの考えに共感する狂信者というわけでもない。
バロシュトラス魔法帝国の侵攻によって起きた流れに乗じて、レクセニル王国の領土を脅かそうとしている不埒者たちだ。
ここでハシリーを討ったからといって、侵攻する兵士たちが引いてくれるわけではない。
それでもヴォルフは引かない。
握った柄から手を離さず、荒い息を吐き出しながらヴォルフは決着を望んだ。
状況は混沌としている。
でも、自暴自棄になったわけではない。
(実質的な危機を演出しているのは、敵兵たちだ。でも、彼女は世界の自殺を望んでいる》
ヴォルフは背後に背負うレミニアを見る。
「娘のためにも、君を救うためにも……」
斬る……!!
覚悟を示すようにヴォルフは刀を振る。
赤く煌々とした空の光を受けて、【カグヅチ】は持ち主の意志が宿ったかのように反射する。
文字通り、刀が燃えているように見えた。
そんなアラフォー英雄の意志を嘲笑うように、ハシリーは首を振る。
「やはり野蛮ですね。これだから英雄というのは……。人の命を奪ってからしか、何も考えない、反省しようとしない」
「奪うんじゃない。救うんだ、君を」
「言葉が通じないようですね。まさしく蛮族だ」
最初に仕掛けたのは、ハシリーだった。
ヴォルフは一気に間合いを詰められる。
気が付けば、側面が侵略されていた。
剣が閃くのがわかる。
ヴォルフはただその光に、虫のように反応して、【カグヅチ】を放つ。
金属ががなる。
凄まじい剣圧にレミニアの紅蓮の髪が激しく靡いた。
始まった超常決戦に、魔力を使い果たした【大勇者】ができることは、ただ互いの無事を祈ることだけだ。
初撃をなんとか受けたが、ハシリーの攻撃は留まることを知らない。
あっさりとヴォルフの剣を弾く。離れたところをヴォルフは返す刀で狙ったが、ハシリーは大きく沈み込み、横薙ぎを躱した。
前に出ていた足を狙い、掬う。
ヴォルフはあっさり払われ、体勢を崩した。
宙を舞う。
一瞬感じた無重力の最中、見えたのは大上段に剣を構えたハシリーの姿だった。
鬼の形相を浮かべ、空中でマグロになっているヴォルフに向かって振り下ろす。
ヴォルフは【カグヅチ】を自分の胸に引き込む。腕で刀身の腹を押して、防御姿勢を作った。
う゛ぃぃいぃいいいいぃいんんんん!!
鈍い金属音が響く。
ハシリーの剣を受けることに成功したが、直後待っていたのは、赤黒くなった大地の堅さだった。
「がはっ!!」
その上でヴォルフはゴムボールのように跳ねる。
一瞬、気が失いそうになったが、もはやそれどころではない。
殺気を感じて、視界を広く保つと、すでにハシリーが二の太刀の姿勢に入ったところだった。
「ぐぐっ!!」
身がバラバラになり、全身の空気が一気に吐き出されたような衝撃を味わいながらも、ヴォルフは必死に身をねじる。
「おおおおおおおおおおお!!」
足を伸ばし、ハシリーの脇腹に向かって、必死に蹴りを見舞った。
これにはハシリーも驚く。
ダメージこそないが、必殺の瞬間を逃してしまう。
だが、ヴォルフの方のダメージはでかい。
「がはっ! はあ……! はあ……!!」
立ったには立ったが、膝立ちが精一杯だった。
打ち込みの衝撃を諸に受け、そこから間髪容れず、身体を捻って反撃したのである。ハシリーの速度ももはや人間を超えているが、ヴォルフの反撃能力も人間離れしている。
顔を上げると、叩きつけられた地面に大きな凹みができていた。
(強い……、というよりは速い)
強化魔法の水準が下がったことによって、動体視力も下がったのだろう。
身体の反応速度も下がって、受けるのがやっとだ。
(だが、勝機がないわけじゃない)
ヴォルフが1つ見つけた勝機。
それはハシリーの技術水準自体が低いということだ。
ヴォルフと比較して、剣がさほど得意というわけではないのだろう。
それに彼女には【英雄殺し】という魔眼がある。技術的な部分はそれで補えばいい、と高を括っているのかもしれない。
愚者の石がもたらすパワーとスピードは、向こうが上。
ならば、こちらが唯一上回る技術でどうにかするしかない。
(そのためには技を見せるしかない)
ヴォルフにはまだ【無業】という絶対の返し技がある。
自信はあるが、仕留め損なえば、【英雄殺し】の餌食となり、【居合い】の時のように使い物にならなくなる。
【英雄殺し】はただスキルを真似するだけではない。
相手のスキルを奪うことにある。
【居合い】もそうだが、【無業】はクロエが自分に授けてくれた大事なスキルだ。
それを手放すわけにはいかない。
つまり、チャンスは1度だ。
ヴォルフは腹を決め、【カグヅチ】を納刀した。
「短期決戦を選びましたか。いいでしょう」
ハシリーもまた剣を鞘に収めた。
大きく沈み込む。
その態勢を見て、ヴォルフの心はざわつく。
「【居合い】か……」
【無業】と同じ返し技。
奇しくもこの戦いは【居合い】と【無業】――返し技同士の戦いになる。
先ほどの激しい打ち込みから一転して、静かな立ち合いとなった。
お互いに足の指を使って、じりじりと近づいていく。
静寂が満ちていく。
遠くの砲声すら聞こえない。
ただただ空気が凍てついていった。
達人同士の真剣の斬り合いに、レミニアは息を呑む。
相棒であるミケも手を出さず、主の勝利をひたすら願った。
互いの得物の間合いに入っても、2人は剣を抜かない。
返し技は抜いた方が負け。
それは両者わかっているらしい。
ピリ付く空気と、相手のおぞましい殺気に耐えきれなくなった方が負ける。
勝負はただ忍耐に持ち込まれる。
「やれやれ……。ここまでして抜きませんか。なら、実力行使しかありませんね」
ついにハシリーが動くのか。
そう思ったが違う。
いきなり彼女はヴォルフの脇を抜ける。
ヴォルフの後ろにいたレミニアを狙った。
「ハシリー!! お前!!!!」
ヴォルフは激昂する。
反転して、ヴォルフは追いかけようとした時点で、もう彼の頭は冷静でなかった。
「ヴォルフさん……。ぼくにもぼくの弱点があるように、あなたにもあなたの弱点がある。そう……、レミニアですよ」
匂い立つような殺気に、その時初めてヴォルフはこの戦いにおいて恐怖を覚える。
前を行くハシリーの姿がかすむ。
同時に大きな気配が背後に現れた。
(まさか……! ここに来て、【狼牙】!!)
2つの歯牙。その1本がヴォルフに襲いかかる。
ヴォルフの肩の牙が食い込む。
集中した先に見えたスローな世界の中で、爆ぜる血の滴が1つ1つはっきりと見えた。
側で娘が悲鳴を上げている。
ミケが「ご主人」と声を荒らげているのがわかった。
頬を撫でる冷ややかな気配。
これが死か……。
ヴォルフは妙に達観したような気持ちのまま、ついにあの技を繰り出す。
肉を切らせてまでギリギリに引きつけたこの一瞬を、ヴォルフは見逃さなかった。
ついに【剣狼】の牙が抜かれる。
神殺しの名が与えられた刀は雷鳴のように迸った。
【無業】!!
最短にして、最速の抜刀技術が唸りを上げた。








