第28話 刀匠の涙は刃に濡れ
災害魔獣討伐篇エピローグ。
馬の尾のように結ばれた銀髪が揺れる。
刀を掲げる冒険者の背中にエミリは飛び込んだ。
「ヴォルフ殿!!」
首に手を回し抱きつく。
勢い余るとそのまま回転し、2人は一緒に倒れ込んだ。
「ちょっと! エミリ……」
「す、すまんでござる。でも、拙者……せっさ、うれしい…………ざる、よ」
ヴォルフに馬乗りになりながら、エミリはボロボロと泣き始める。
頬を上気させ、顔をくしゃくしゃにしながら、涙を流す少女の姿があった。
いつも気丈なエミリが見せた弱さ。
こうして見ると、思った以上にエミリは年下なのかもしれない。
だとすれば、想像以上のプレッシャーがかかっていたのだろう。
家を継ぎ、勇者の刀の管理を任され、犯罪を犯し、国に逆らってでもアダマンロールを斬ろうとした。
背負い込んだ様々なものから、やっとエミリは解放されたのだ。
ヴォルフは今一度【カムイ】を掲げる。
涙するエミリに綺麗な刀身を見せた。
「エミリ、見ろ。一切の刃こぼれも、傷もない。自分が鍛った刀が勝ったんだ。これはエミリの勝利でもあるんだぞ」
何かを言おうとして、エミリは喉を詰まらせる。
きっとそれは感謝の言葉なのだろう。
しかし、出てきたのはやはり涙だった。
涙滴が【カムイ】にかかる。
刀もまた泣いているように見えた。
エミリが落ち着くのを待って、ヴォルフたちは地上へと向かう。
ミケは力を使い果たしたらしく、主人の背中に背負われて寝ていた。
洞窟を出ると、鉱山の稜線からちょうど朝日が出るところだった。
目映い光に、ヴォルフたちは一緒に目を細める。
「本当に【カムイ】をもらっていいのか?」
「かまわないでござるよ。【カムイ】もその方が嬉しいでござるであろうから。それにヴォルフ殿ほどの力の持ち主なら、【カムイ】しか耐えられないでござるよ」
確かにそうだ。
【カムイ】ならヴォルフの要望に100%応えてくれる。
これ以上の武器はないだろう。
「わかった。ありがたく使わせてもらう」
「うん。…………ところでヴォルフ殿。1つお聞きしたいことがあるでござるよ」
急にエミリはしおらしくなる。
しなを作りながら、顔を赤くした。
風邪でも引いたのか。それとも厠でも我慢しているのか。
朴念仁のヴォルフには見当もつかなかった。
「その……ヴォルフ殿は誰かとお付き合いされているでござるか?」
「へ――?」
「そ、その……。拙者……いいいや、わ、わたしくし……。こういうのには慣れていないのだが……。その……わたしとめおとになってほしいでござるよ」
「め、めおと……?」
聞き慣れない単語に、ヴォルフはパチパチと目を瞬く。
ますますエミリの顔は赤くなっていった。
「つ、つまり……。そ、その【カムイ】のように、せせ……拙者もヴォルフ殿の手に扱われたいでござるよ!!」
朝日に向かって、エミリは思いっきり叫んだ。
背中で鼻ちょうちんを膨らませていたミケが「うみゃ」と目を覚ます。
ごそごそとヴォルフの肩に寄りかかると、銀髪が垂れているのが見えた。
肝心のご主人様は彫像のように固まっている。
ふわ、とミケは欠伸をすると、再びヴォルフの背中で眠り始めた。
「いいいいや、ちょっと待て。お、俺はこんなおっさんだぞ。君みたいな若い子……」
「恋心に年齢は関係ないでござるよ。拙者は本気でござる。何もたばかっているわけではない。ヴォルフ殿の強さ――身体的な部分だけではなく、その心の強さに惚れ込んだでござる!!」
ようやくヴォルフは、エミリが本気だと気付いた。
いつもなら癖毛を掻くところだ。
その暇すら与えず、ヴォルフは考えた。
そして少女の告白に反答する。
「すまない、エミリ」
「――――ッ!」
一瞬、赤い瞳に涙が滲みそうになる。
間髪入れずにヴォルフは答えた。
「俺にはずっと心の中で引っかかっている人がいるんだ。それに――娘がいる」
「ヴォルフ殿、娘殿がいたのでござるか」
「ああ……。血はつながっていないが、預けられた子といえばいいのか。まあ、そのようなものだ」
「引っかかっている――と言う方は……」
「レミニア……ああ、娘の名だ。そのレミニアの母だ」
ヴォルフは話す。
レミニアとの出会いを。
謎の女の死。そして、それを助けられなかった無念を語った。
エミリはギュッと胸の前で握っていた手を下ろす。
「そうか。亡くなっておるのか。それは……なかなかに手強いでござるな」
「すまない」
「謝ることではござらん。拙者はヴォルフ殿に告白し、ヴォルフ殿はきちんと答えてくれた。非はなにもないでござるよ」
果たして、それで納得できるものが恋心であるのか。
そう疑問に思わないほど、ヴォルフは鈍くはない。
でもエミリの言葉は、有り難いものであった。
「ところで、そのレミニア殿はどこにいらっしゃるのか? ヴォルフ殿が育てたお子だ。さぞ強いのであろう」
「ああ……。今は王都で働いている」
「王都……」
ハッと息を吐き、エミリは顎を上げた。
途端、神妙な顔になる。
「悪いことはいわん。娘殿には王都から離れてもらった方がいいでござる」
「え? それはどうして?」
「理由はいえぬでござる。ただ王都に良からぬ事が起こるとだけいっておくでござるよ」
すると、エミリは背を向けた。
「拙者、もう行くでござる。実は、人を待たせているゆえ」
「そうなのか。せわしないな」
「ヴォルフ殿……。生き残るでござるよ」
最後に呟いた言葉は、ヴォルフの耳には届かなかった。
エミリはそのまま朝日が出てきた方とは逆へと歩いていく。
銀髪を揺らすその姿は、陽の光を背にしてもどこかもの寂しさを感じた。
◇◇◇◇◇
ハイガルからさらに西。
レクセニル王国王都より馬車で1日の場所に、エミリ・ムローダの姿はあった。
場所は鬱蒼と茂った森林。
陽は落ち、暗闇が横臥している。
エミリは茂みをかき分けながら、森の中を進んでいた。
小さな池の畔。
待ち合わせの人物は背を向けたまま、岩に腰掛けていた。
エミリはごくりと喉を鳴らす。
背後をついているのに、どこにも打ち込む隙がない。
優位はこちら側にあるにもかかわらず、喉元に刀の切っ先を向けられているような圧迫感を感じた。
「エミリか……」
やがて振り向く。
粉雪のような白い髪が夜風に揺れた。
優しい色の前髪の下で、夜の海のような深く濃い色の青眼が光る。
立ち上がるだけで、背丈が2倍以上も伸びたような錯覚を感じた。
五英傑【勇者】ルーハス・セヴァット。
鉱物が銀色になるまで魔力を込められたミスリルの鎧。
黒曜を溶かして作らせた鎖帷子。
そして、その下に押し込められたしなやかな筋肉。
装備、そして肉体。
そのすべてが超一級のものが備わっていた。
「はい」
エミリはかろうじて返事をする。
汗が止まらない。なのに口の中はからからだ。
それほど、ルーハスから異様な“気”が放たれていた。
「刀は出来たのか?」
「はい。ここに――」
エミリは一振りの刀を差し出す。
両手で供えるように掲げた。
ルーハスは無造作に持ち上げる。
刀身を抜き放ち、透き通るような刃に目を細めた。
「なるほど。今までの無象有象よりは良さそうだな。名は――」
「【シン・カムイ】」
「神を斬る名か……。悪くないな。立て、エミリ」
エミリは大人しく従った。
顔を上げると、冷たい青眼とかち合う。
「喜べ。今日から五英傑だ。俺たちに帯同することを許す」
「そのことであるが……。辞退させてもらうでござる」
「なに?」
「むろん、【勇者】の刀を管理するのが我らがムローダのお役目。それは全うするでござる。手を抜くつもりもござらん。しかし、拙者は今回の行いに関し、やはり納得はいかないでござる」
「五英傑の誘いを蹴るというのか? 父の仇はとりたくないのか?」
エミリは一瞬黙る。
だが、すぐに顔を上げた。
ストラバール最強といわれる【勇者】を前に、一歩も退かない。
その魂には、1人の想い人が宿っていた。
「そうか。まあ、いい……。ただ邪魔だけはするなよ」
青眼の光が、剣閃のように飛んでくる。
エミリはかろうじて刃を受けた。
その側を抜け、ルーハスは森の中へと姿を消す。
残った刀匠は、崩れ落ちた。
荒い息と、大量の汗を滴らせる。
エミリはそっと手を喉にやり、まだ自分の首が胴とつながっていることを確認した。
◇◇◇◇◇
その翌日。
ルーハス・セヴァットの姿は、暗い洞窟の中にあった。
青い瞳が見上げる先にあったのは、一刀に伏されたアダマンロールの死体。
そう……。
ここはつい先日、ヴォルフ・ミッドレスがアダマンロールを討伐した場所だった。
「どういうことだ……。俺以外にアダマンロールを斬れる人間などいないはず。まさかエミリか。いや、あり得ない……」
1人呟く。
【勇者】の疑問に答えてくれるものはいない。
だが、ルーハス1人しかいないはずの洞穴に、足音が響いた。
すぐさま、戦闘態勢を取る。
【シン・カムイ】に手を掛けた。
魔法の光が鬼火のように揺れる。
その影から現れたのは、色鮮やかな赤い髪をした少女だった。
「まさか、わたし以外にここに来てる人間がいるとは思わなかったわ」
【勇者】が構えているにも関わらず、その少女は凄惨ともいえる笑みを浮かべるのだった。
まさかの引き……。