第284話 魔女の微笑み
「なるほど。確かにあの時のあなたではないようだ……」
ハシリーは口を開く。
纏っていたローブを脱ぎ捨てた。
現れたのは、彼女がいつも着ていたレクセニル王国の官吏服である。
見慣れた姿であったが、今日に限っていえば、どこか異常に見えた。
やはり彼女がヴォルフやレミニアがよく知るハシリー・ウォートであることを、まざまざと思い出させてくれるからだ。
「本人の才覚はあったのでしょうが、ハーフブリードがこれほど強いとは知りませんでした。愚者の石を複数持つぼくのスピードを凌駕するなんてね」
「もうやめなさい、ハシリー。ここにはパパと、この【勇者】もいるわ。……南の方にあった大きな気配も消えた。たぶん、あなたの仲間じゃないの? あなたが生み出した魔獣も死んだ。直に、さらにたくさんの強者たちがやってくるわ。そうなれば、もうあなたは万に1つの勝ち目もない」
レミニアは説得に入る。
正体を知ってなお、レミニアの中ではハシリーは秘書だ。
姉のように慕っていた人を傷付けたくないという気持ちが、当然存在する。
秘書を慮るレミニアに対して、ハシリーはせせら笑う。
「ぼくも舐められたものです。先ほどまで親の仇みたいに睨んできたくせに」
「そ、それは――――」
「ぼくだと知って、情が出ましたか?」
「そりゃそうよ! だってあなたは――――」
「そういうの……。虫酸が走るんですよね」
ハシリーの声は冷たく、薄い水色の瞳はさらに冷ややかだった。
心の中から目の前の小さな【大勇者】を蔑むような表情……。
見たことのない秘書の表情に、レミニアは小さく震える。
そのハシリーの眼光を塞いだのは、ルーハスだった。
「どうでもいい」
こちらもまた背筋が凍るような殺意とともに言葉を吐き出す。
「ロートルにしても、【大勇者】にしても、甘すぎる。言っただろう。ここは戦場だ。そしてあいつが元凶であることは間違いない。友情ごっこならオレがあいつを斬り伏せてからいくでもやるんだな」
「なによ!」
レミニアが抗議する前にルーハスは飛び出していた。
ルーハスは本気だ。
本気で、ハシリーを倒そうとしている。
心配げに両者の戦いを見つめるレミニアの肩に、ヴォルフは手を置いた。
「パパ……?」
「ハシリーにはハシリーの事情がある。それは間違いない」
ヴォルフはすでに何度とハシリーの剣を受けている。それが彼女だとわかったのはつい先ほどだったが、剣に込めた意志は間違いなく本物だった。
決して誰かにそそのかされているわけでも、昔のルーハスのように自暴自棄になっているわけではない。
ハシリーなりの信念を、ヴォルフは感じていた。
「だから、大丈夫。俺がそのすべてを受け止めてみせる」
「でも、今のままじゃハシリーはルーハスに……」
強気なハシリーだが、やはり押し込まれていた。ヴォルフとの戦いによって疲れがあるのかと思ったが、剣筋を見ても、どこか消極的な印象を受ける。
まるでわざとルーハスを打ち込ませているように見えた。
(おそらくルーハスもそれをわかって、ハシリーを追い詰めている。相手のペースに嵌まる前に、一気に押し込むつもりだ)。
ヴォルフの心の声が聞こえたのだろうか。
ルーハスのギアが1段上がる。
再びハシリーの後ろに回り込む。
ハシリーの意識が後ろに向けられた瞬間、ルーハスの姿がぶれた。
今度は前に回り込む。
(ルーハスが2人!!)
もちろん、ルーハスが分裂したとか荒唐無稽な話ではない。
類い稀な脚力と、最適化された足運びによる二方向同時攻撃。
恐らくルーハスの必殺の技だ。
【狼牙】!!
名前の通り、狼の下顎と上顎が噛み合うように、二撃同時の刀がハシリーに襲いかかる。
銀色の狼の牙は、今や世界の敵となった彼女の身体に噛み付く……、
はずだった……!
「なるほど。それがあなたの技……。必殺の剣という奴ですか」
次の瞬間、ヴォルフはハシリーの瞳が異様な光を帯びて、輝くのを見ていた。
すると、もはや絶体絶命という窮地の中で、彼女は動く。
スルリと狼の牙を隠し、それどころかルーハスの後ろに回り込む。その気配に気づいたルーハスは、慌てて【狼牙】を解いた。
技に急ブレーキをかけながら、意識を後ろに向ける。
直後、ハシリーの気配が2つ現れた。
「ハシリーが2人!!」
「まさか!!」
ミッドレス親子は同時に叫ぶ。
それはまさにたった今ルーハスがやったことの焼き増しだ。
ルーハスが息を呑む一方で、ハシリーは口角を上げて、魔女のように笑っていた。
そして、笑ったまま言葉を紡ぐ。
【狼牙】!
狼の牙がルーハスを斜めに切り裂いた。
纏っていた防具を切り裂き、確実にその肉に噛み付く。
血しぶきを上げながら、ルーハスは棒立ちになると、そのまま受け身もないまま地面に倒れてしまった。
「ルーハス!!」
「勇者!!」
ミッドレス親子は駆け寄ろうとするが、その前にハシリーが立ちはだかる。
ハーフブリードの夥しいほどの血液がついた剣を払う。
やがて、その切っ先を立ちすくむミッドレス親子に向けた。
「英雄だ、勇者だと奉られても、この程度です。ただ強いだけの個人でしかない。それでは世界は救えない」
「世界を……救えない…………?」
「英雄では世界は救えない」
だから、ぼくは英雄を否定する。
ハシリーの瞳が光る。
それは確かな信念の輝きだった。
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