第283話 勇者が背負うもの
南の方で何か巨大な気配が消えた。
あの天使に匹敵……いや、それ以上の力を持つ存在が2つ。その1つが消え、もう1つもかなり弱々しく風前の灯火である。
ヴォルフも、レミニアも、ミケも気配が消えたことについては理解していたが、目の前に顔を露わにした人物を見て、もはやそれどころではなかった。
ベリーショートの白い髪
薄い水色の瞳。
線は細く、胸も薄いため、男装していれば、男に見えたかもしれない。
ハシリー・ウォート。
レクセニル王国の研究員にして、レミニアの秘書だ。
レミニアが疑似・賢者の石から目覚めた時、ハシリーは姿を消していた。
どこに行ったのかと思っていたが、ヴォルフとずっと戦っていた相手がハシリーとは思わず、レミニアは絶句する。
ショックなのはヴォルフも同様だ。
今まで娘の側にいた人物と切り結んでいたのである。
当然「何故?」と頭に疑問が浮かんだものの、なかなか声が喉から上がってこない。
【カグヅチ】の切っ先もだらんと下に下がっていた。
そんな中で、表情を変えなかったのは、ルーハスである。
百虎を葬り、現れた【勇者】は、ミッドレス親子と違って、まったく表情を変えなかった。
そんなルーハスを見ながら、ついに正体を現したハシリーは笑った。
その顔はハシリーを知る者からすれば、ゾッとして恐ろしく、酷薄に映る。
「よくわかりましたね、ルーハス・セヴァット。……もしかしてルネットですか? さすが五英傑の【軍師】と呼ばれるだけはありますね」
「ルネットはレクセニル王国にかかわるすべての人間を調べさせた。だから、ムラド陛下がガダルフ、あるいはその傀儡であることはすでに見抜いていた」
「へぇ……」
「そしてお前だ、ハシリー・ウォート。お前の出自は調べさせてもらった。そして、お前が本物のハシリー・ウォートではないことがわかった。お前はハシリー・ウォートを語る偽物だ。おそらくレクセニル王国王宮に入り込む必要があったからだろう」
「ご明察です」
「とはいえ、こうやって切り結ぶまでは確信を持てなかったがな」
「ああ……。レクセニル内乱の時ですね」
ルーハスとハシリーはわずかの間だが、戦っている。
「剣筋の癖や強さ、踏み込み、目付などはなかなか誤魔化せるものではない」
「参りましたね。まさしく1本を取られたわけですね。さすがは五英傑……。1度地に落ちた名前ですが、やはり音に聞く優秀さです」
ハシリーは「弱った」とばかりに肩を竦めて、戯ける。
「ウソでしょ、ハシリー?」
それまでずっと固まっていたレミニアが、喉を絞り上げるように声を出す。
ハシリーもまた、顔を見せた後、初めてレミニアの方を向いた。
「悲しいですね、レミニア」
「え?」
「ぼくはあなたの秘書だった。四六時中、側にいたし、まるでそれは姉妹も同然だったじゃないですか? なのに、ぼくが本物のハシリーだとわからないんですか?」
「…………」
レミニアは答えない。
しかし、彼女は【大勇者】にして天才である。
賢いからこそ、そしてずっと側にいたからこそわかる。
今、目の前にいるのが、レミニアがよく知る秘書であることを……。
再び沈黙する娘の反応を見て、ヴォルフも理解する。
今目の前にいる彼女が、ヴォルフも知るハシリー・ウォートであることを。
「ハシリー……。何故……? 何故君が俺たちと敵対する? まさか君がガダルフだったのか? 教えてくれ! ハシリー!」
「ヴォルフさん……」
戦いはまだ終わってませんよ。
ハシリーが走る。
ヴォルフとの間に存在した間合いが、お湯をかけられたチョコのように溶けていく。
気が付けば、ハシリーはヴォルフの前にいて、その凶刃を振り上げていた。
身を固くしていたヴォルフの対応が刹那遅れる。たった一瞬の差だったが、頂上決戦において、それは致命的なミスだった。
「パパッ!!」
レミニアの悲鳴と同時に、高い金属音が鳴る。
ヴォルフは【カグヅチ】の柄を握りながら、その現れた大きな背中に驚く。
まさに銀光のように出現したそれは、ハシリーの凶刃を寸前で防いでいた。
「ぬっ!」
気合い一閃。
ルーハスはハシリーの握った剣ごと弾く。
白狼族と人間のハーフブリッドである彼の膂力は、【勇者】と讃えられるに足る力を持っている。
その技の冴えは、以前のヴォルフと戦った時と比べても、別人であった。
「ぼうっとするな、ロートル。ここが戦場であることを忘れたのか?」
「ルーハス……。しかし、彼女は娘の――――」
直後、ルーハスが持つ刀の切っ先がヴォルフの鼻先に突きつけられた。
横で見ていたレミニアとミケが目くじらを立てるが、それをルーハスは一睨みで黙らせてしまう。
やがてヴォルフたちに背を向け、ハシリーと真正面から向かい合う。
「お前が戦えないというのであれば、オレがやるだけだ。ロートルと【大勇者】はそこで黙ってみてろ」
ルーハスはハシリーに切っ先を向ける。
五英傑【勇者】が正式に宣戦布告するのを見て、ハシリーは再び微笑んだ。
「あなたが相手をする? ぼくに勝てると思っているんですか?」
「さあな」
「おや。意外と悲観的ですね。『当然だ』とか言うのかと思ってました」
「お前に勝てるかどうかなど知らん。だが…………」
お前は、オレに勝てるのか?
「え?」
瞬間、銀光が閃く。
次に意識した瞬間、ハシリーの頬の隣に、切っ先鋭き刀の姿があった。
ハシリーは寸前で脱力し、腰を落とす。
すると、空気を巻き込みながら、ルーハスの剣閃が頭の上を飛んでいく。
慌てて、ハシリーは距離を取ろうとするが、ルーハスが退路を断つ。
また気が付けば、背後を取られると、今度はハシリーの脇腹を目がけて、切っ先が飛んできた。
ハシリーは腰をひねって、それも回避する。さらにカウンターを合わせようとした時、すでに視界からルーハスの姿は消えていた。
次に現れたのは、上だ。
裂帛の気合いとともに、刀を大上段から振り下ろす。
体勢が整わないまま、ハシリーは剣で受けた。
その衝撃は凄まじく、ハシリーは吹き飛ばされる。
「速い……! そして強い!!」
ヴォルフは息を飲む。
単純に感心した。
愚者の石の力や、強化魔法を受けていないにもかかわらず、ルーハスはナチュラルだ。
なのに、愚者の石の恩恵を持つハシリーを圧倒している。
驚くべきは、その速さだろう。
まるでルーハスが2人いるかのようにあらゆるところから刀が出てくる。
まさに狼の上顎と下顎。間断のない攻撃にヴォルフは舌を巻いた。
「何よ、あの【勇者】様。めちゃくちゃ強いじゃない……」
「あれは俺たちが知っているルーハス・セヴァットではないよ、レミニア」
「え?」
「俺と戦った時のルーハスに何もなかった。付き従う冒険者はいたが、ルーハス自身の中身は空っぽだった。でも、今は違う。ルーハスには守るべき人がいる」
以前、自暴自棄に近い両刃の刀だった。
だが、ヴォルフには見える。
彼が今背負っているものを……。
多くの仲間の期待を背負った、本当の【勇者】の姿を……。