第280話 闘争の味
「ふふ……」
不敵に笑ったのは、ハッサルであった。
神狐にして、盲目の占星術師は、初めてヴォルフの前に出てきた時とは印象は異なる。
口角が禍々しく歪み、這いつくばる元ライバル――カラミティ・エンドを蔑む。
血反吐を吐き、美しい肌を切り刻まれ、象徴的な禍々しい翼が折れても、カラミティは立ち上がる。
その姿はどことなくヴォルフ・ミッドレスと被る。
レクセニル王国で起こった惨事。
カラミティすら死を受け入れられずにはいられなかったあの絶望の淵で、それでもヴォルフ1人だけが諦めなかった。
ヴォルフという男を知らなければ、カラミティはとっくに死んでいただろう。
けれど、今彼女の側にヴォルフ・ミッドレスはいない。遠くレクセニル王国の地で彼は今最愛の娘を背にして戦っているからだ。
今日だけはヴォルフに頼ることはできない。
(確かにヴォルフはいない。だが、我の中にはヴォルフ・ミッドレスが存在する!)
その時のカラミティの表情を見た時、ハッサルから笑みが消えた。
火事場の馬鹿力というわけでもない。
ただ死という結末を望んだものの目ではなかった。
何よりハッサルが持つ【千里眼】の見せるビジョンが歪み、未来が見えなくなる。
未来を視ていて、時々あることだ。
それでも、ハッサルもまた引かなかった。
「カラミティ……、様…………」
地面に倒れたゼッペリンが、眼球だけを動かし、まるで聖者のように立った主を見つめる。
「ゼッペリンか……。まだ意識があるか」
「……ど、どうか。お逃げ……くだ…………さい。……あな、た…………なら」
「ゼッペリンよ」
すると、カラミティは振り返る。
串刺しにされ、血まみれになっていた秘書の身体を抱き上げた。
そして、ゼッペリンの唇にそっと口づけをする。
予想外の行動に、ゼッペリンは息を呑んだ。
口づけされることに、さほど抵抗はない。
血を欲する時に、何度もされた行為だ。
しかし、そこにカラミティの血はなかった。
ただ甘く、少し鉄臭い――闘争の味がする接吻だった。
先に唇を離したのはカラミティである。
表情は笑っていたが、ワインレッドの瞳にはどこか憂いのような感情が感じられた。
「ゼッペリン、今日までよく尽くしてくれた」
「カラミティ様……。まさか――――」
「ああ。今日で終わりだ」
「…………」
「国を興して、700年……。存外楽しいものだった。お前たちとともに過ごした日々は一生忘れぬ」
「……本当に……よろしいの……ですね?」
「お前はカラミティ・エンドが背を向けて逃げるところを見たいか?」
ゼッペリンは首を振る。
しかし、その瞳は涙に濡れていた。
「カラミティ様と……いて……。私は…………いえ。ともに歩めたこと…………幸せでないものなど……1人もおりませぬ」
「嬉しいことを言ってくれる……。さすがは我が秘書だ。さあ、ともに血の道を歩もう」
「最期までお供させていただきます」
そしてゼッペリンは顔を上げる。
目の前の神狐、さらに天上族から捨てられた村人たちを睨む。
「行くぞ、ゼッペリン」
そして、死んでくれ。我が矜恃のために……。
カラミティは指を思いっきり噛む。
血が滴り、1滴地面に落ちた。
次の瞬間、赤い……カラミティの瞳に似た色の光が戦場に広がる。
浮かび上がった模様は、過去に類を見ないほどの巨大な魔方陣だった。
すると、それまで倒れていた不死の軍勢が起き上がる。骨が折れ、脚がもげ、下半身をなくしても、それは動こうとする。
真っ直ぐ、カラミティの元へと向かい、その美しい足に絡みついていった。
「我が主に血と肉を……」
「差し出せ、己の血と肉を……」
不死の唸りが漣のように聞こえる。
それはただ倒れていた不死の軍勢だけではない。
まるで今思い出したように村の近くの墓石が動き、土の中から腐った肉の不死者が現れる。
墓だけじゃない。
その辺に埋まっていた人骨も意思を持ったように動き出す。
「我が主に血と肉を……」
「差し出せ、己の血と肉を……」
「我が主に血と肉を……」
「差し出せ、己の血と肉を……」
「我が主に血と肉を……」
「差し出せ、己の血と肉を……」
「我が主に血と肉を……」
「差し出せ、己の血と肉を……」
次々とカラミティが不死者を飲み込んでいく。
その異様な光景に、天上を追われた者たちですら、息を呑む。
神狐も【千里眼】でも見えなかったこの光景に、唖然としていた。
「神狐様、これは……」
ついに天使の1人が狼狽える。
今行われている儀式めいた光景だけが問題ではない。カラミティが放った大規模魔方陣は天使ですら何かその場に繋ぎ止めるような効力があった。
しかも、油断すれば魔力、あるいは生気といったものすら吸われていくからだ。
歪に曲がっていくかつてのライバルを見て、ハッサルは笑った。
「カラミティ……。あなた、昔に戻るつもりなのね」
しばらくして、ようやく魔法陣の効果が止まる。突然夕闇が訪れたような赤の世界は潮のように引いていき、再び血臭が漂うのどかな村の光景が広がる。
気が付けば、不死者たちの姿はいない。
ゼッペリンも、そして骸骨将軍の姿もなかった。
ただ1人……立っていたのは、膝にすら届く長い銀髪と、金色の瞳をした淑女であった。
スリットの入ったボンテージの黒のドレスを纏い、ロンググローブの先にはある繊細な指先には、柄が骸骨となった剣が握られている。
「この姿になったのは、700年ぶりだな」
淑女の口から漏れた言葉は、氷のように凍てついていた。
淑女に覆い被さるようにあったのは、大きな天使の影。
今まさに淑女に掴みかかろうとしている。
だが、次の瞬間には淑女の姿は消えていた。
その動きについていけていたのは、ハッサル1人だけだ。
「上よ」
天使たちは空を見上げる。
だが、見上げただけで反撃などできなかった。
落ちてきた淑女の蹴りを思いっきり後頭部に痛打すると、そのまま地面にめり込む。
すかさず着地を狙った天使は――――。
「ふん……」
鼻で笑いながら、持っていた剣を振った。
スパッと天使の身体が袈裟に切られる。
さらに足蹴にしていた天使の脳天にも、剣を突き刺し、2体の天使は同時に消滅した。
あの【大勇者】ですら手こずった天使を、淑女はあっさりと殺したのだ。
銀髪を靡かせながら、淑女は金色の瞳を光らせる。
「控えよ、下郎ども。……我は真祖――カラミティ・エンドなるぞ」
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