第2話 おっさんの覚醒
早くも第2話です。
ヴォルフの朝は早い。
まだ夜も明けきらないうちに家を出る。
向かったのは、村の入り口とは反対方向にある山林だ。
そこで20年来の友である銅の剣を素振りする。
7年前、村がベイウルフに襲われてから始めた日課だ。
あの勝負――勝つには勝ったが、やはりブランクを感じずにはいられなかった。
引退してからもきちんと鍛錬をしていれば、もっと楽に勝てたかもしれない。
レミニアを悲しませないためにも、必要だと感じた。
今では冒険者の時よりも身体が動くような気がする。
おかげで腹に溜まった余計な贅肉もなくなり、農作業も楽になった。
素振りが終わり、まず家に帰って朝食を摂る。
レミニアとの約束通り、きちんと栄養のバランスを考えた。
いい汗を掻いた後は、酒が恋しくなるが、我慢我慢……。
少し休んで、農作業を始める。
今は春期。耕地を作ったり、種をまいたり、忙しい時期だ。
「あー、キーナばあちゃん、水くみは俺がするから」
満杯の水が入った桶を持ち上げようとする老婆を見つけ、ヴォルフは慌てて駆け寄る。
「いつもすまないねぇ」
「いいって。いいって。力仕事は任せとけ」
ニカラスにはヴォルフのような男手が少ない。
ほとんどが老人や女子供ばかりだ。
働き盛りの男たちは、みな出稼ぎに行っていて、力仕事はヴォルフの役目だった。
損な役回りではあったが、ヴォルフは気にしない。
むしろ、Dクラスの自分でもみんなの役に立っていると思うと、嬉しかった。
キーナの家に水を届ける。
家に入ると、キーナの夫マイロが腰をさすっていた。
「マイロじいさん、またやったのかい?」
「ああ、ヴォルフ。すまねぇなあ」
水を持ってきてくれたことに対して礼をいう。
どうやらキーナが水くみをしていたのは、マイロが腰を痛めたかららしい。
「ちょっと待ってな。薬作ってもってきてやるから」
ヴォルフは一旦家に帰る。
昔取った杵柄――【調合】のスキルを使って、塗り薬を作る。
マイロの腰に塗り込んだ。
「はあ……。やっぱヴォルフの薬はよく効くよ」
「世辞はいいよ。それよりもあんま無理すんな。余分に作っておいたから、また痛くなったら、塗っとけよ」
「ヴォルフちゃん。これ持っていきな」
キーナは大きな馬鈴薯を持ってくる。
「ありがたいけど、キーナばあさん。“ちゃん”付けはやめてくれ。これでも42のおっさんなんだぜ」
というと、爆笑に包まれた。
これがヴォルフの今の日常だった。
◇◇◇◇◇
「やあ、ヴォルフさん」
鍬を振るい畝を作っていたヴォルフは顔を上げた。
荷馬車が止まり、老馬が低く嘶いた。
御者台に座った女性が、藁で編んだ帽子を取り、挨拶する。
定期的に来る行商人だ。
南の生まれらしく、肌が浅黒い。
肩のあたりで切りそろえた黒髪には、少し巻きが入っていた。
やや気の強そうな瞳を、こちらに向けている。
すでに村での商売は終えたらしく、荷台の商品は半分にまで減っていた。
「ちょっと見ていきませんか? 掘り出し物があるかもしれませんよ」
「遠慮しておくよ。今は特段ほしいものはないんでね」
ヴォルフは肩をすくめる。
行商人は引き下がらない。
荷台から剣を取り出し、鞘から取り出す。
綺麗な刀身は、陽の光を浴びて輝いていた。
「そういわず。鋼の剣なんてどうです? そんな銅剣、いつ折れるかわかりませんよ」
しまった。
ヴォルフは腰の銅剣に手を伸ばす。
本来、日課の後で家においてくるはずのものなのだが、今日に限って腰に収まったままだ。
行商人はめざとく見つけ、馬車を止めてまで売り込みにきたのだろう。
ヴォルフはこの女行商人が苦手だった。
押しが強い上に、商人にしておくにはもったいないほどの美人だ。
たまに要らないものを買ってきて、レミニアに怒られてしまったことがある。
「金がない」
「貸し付けてもいいですよ。3回払いでどうです?」
行商人は食い下がる。
「本当に金がないんだ。残念だが他を当たってくれ」
「そうですか。残念です……」
しょんぼりと項垂れる。
その顔を見て、人の良いヴォルフは少し心が痛んだ。
が、金がないのは事実だった。
「これからどこに行くんだ?」
「東の方の集落を周りながら、王都に帰るつもりです」
「今の時期、東は魔獣が出るぞ」
「ゴブリンぐらいでしょう。老馬といえど、この子の足はまだまだ健在ですよ」
馬を撫でると、行商人は馬車を走らせる。
ヴォルフはそのまま見送ろうとしたが、その後ろについた。
「なんです? やっぱり鋼の剣が――」
「森の外れまで護衛してやるよ。やっぱり気になるし」
「心配性ですねぇ。護衛代は出せませんよ」
「勝手についていくだけだ」
東の集落を抜けるには、森を通らなければならない。
馬車が通ることが出来る人道こそあるが、凹凸が多く、舗装されているとは言いがたい。
荷台の商品をガシャガシャいわせながら、進んでいく。
これでは魔獣に襲って下さいといっているようなものだ。
「付いてきてもらって良かった」
行商人は反省する。
一方、ヴォルフは周囲を警戒しながら、注意深く進んだ。
――――変だ。
理由はわからない。
ただ森が静か過ぎる。
これだけ音を立てて進めば、野生動物は逃げても、魔獣の1匹や2匹が近づいてきてもおかしくない。
しかし、森は猟犬が息を潜めているかのような危うい静けさを秘めていた。
つとヴォルフは立ち止まる。
同時に行商人も手綱を引いた。
老馬はしきりに耳を動かす。
「どうしました、ヴォルフさん」
「来る――」
瞬間、遠くの茂みが動く。
ざざっと音を立て、何かが真っ直ぐ向かってくる。
そのスピードはゴブリンでもスライムでもなかった。
ただ荒い息づかいが近づいてくる。
――まさか……!!
1匹の魔獣が人道に踊り出る。
針金のような鋭い毛並み。丸太のように太い四足。
顎門からはみ出た舌から唾液を滴らせ、現れたのは因縁の相手だった。
「ベイウルフ……!!」
「がうぅ!!」
見つけた、とでもいわんばかりに、ベイウルフは襲いかかってきた。
ヴォルフは腰の銅の剣を抜き放つ。
魔獣の顎門に滑り込ませると、初撃を防いだ。
「ひぃ!! ひぃぃぃぃぃいいいい!!」
現れた巨大な狼のような魔獣を見て、行商人は半狂乱になる。
頭を抱え、現実から目を背けた。
「逃げろ!」
「し、しかし――」
「村に戻って伝えてくれ」
何故、またベイウルフが現れたのかわからない。
今言えることは、万が一ヴォルフが敗れれば、魔獣は村を襲うということだ。
7年前の悲劇を繰り返させるわけにはいかなかった。
それでも行商人は馬首を返そうとはしない。
ヴォルフは一旦ベイウルフを引き離すと、馬の尻を叩く。
驚いた馬は立ち上がり、見事くるりと回ると、元来た道を全速力で走り出した。
「頼んだぞ」
行商人を見送る。
刹那、再びベイウルフは襲いかかってきた。
ヴォルフは側にかわす。
思った通りだ。
昔よりも身体が切れる。
1度戦った経験が生きているのだろう。
あの時より気持ち的に楽だった。
『あまり無茶なことはしないでよ』
娘の言葉がちらつく。
また父がベイウルフと戦っていると聞いたら、どう思うだろうか。
「ごめん、レミニア。パパは悪い子だ」
祈るように呟く。
それに応答できるものはいない。
魔獣がかすかに首を振るだけだった。
ベイウルフが突進してくる。
ヴォルフはまた回避した。
身体が妙に軽い。
7年前あれほど苦戦したベイウルフの攻撃が何故かゆっくりと動いているように見える。
(あれ? おかしい)
ちぐはぐに感じているのは、ベイウルフも同じだった。
簡単に仕留められそうな中年冒険者に1度どころか、もう3度も回避されている。
(俺、もしかして強くなってる)
確かに毎日欠かさず素振りをしていた。
贅肉も落ちた。
現役の晩年に比べれば、動けているかもしれない。
しかし、これほど劇的に身体が切れるだろうか。
次々仕掛けてくるベイウルフの攻撃を避けながら、ヴォルフの頭の中で疑問が堆く積み上がっていく。
同時にベイウルフの矜恃をくすぐった。
攻撃がどんどん単調になっていく。
「ここだ!」
ヴォルフは一瞬の隙を見つける。
飛び上がったベイウルフの下っ腹に潜り込むと、銅の剣を突き刺した。
どす黒い鮮血を浴びながら、魚の腹でも捌くように切り裂く。
ベイウルフはもんどり打つ。
鼻や口から激しく息を吐き出した。
それでも四足を踏みしめ、立ち上がった。
腹からは内臓が飛び出ている。
一方、ヴォルフもまた表情が冴えなかった。
魔獣の血を浴び、見た目こそひどいが全くの無傷。
だが、困ったことに先ほどの一撃で銅の剣が根元からポッキリ折れてしまっていた。
「まずい……」
ベイウルフが退くことを願ったが、向こうは復讐する気満々だ。
差し違えてでも、ヴォルフを殺すつもりらしい。
逆立った体毛の1本1本から執念がにじみ出ているように見える。
もしや7年前に倒したベイウルフの親族かとも思ったが、考えても詮のないことだった。
魔獣が地を駆る。
ヴォルフはステップして回避しようとした。
が、運悪く血に濡れた地面に足を取られる。
踏ん張ったものの、顔を上げた時にはベイウルフの牙が真正面に見えた。
「くそ!」
破れかぶれだ。
ヴォルフは拳を突き出す。
ちょうどベイウルフの下あごを貫いた。
「ぎゃいん!」
甲高い獣の鳴き声が森に響く。
次にヴォルフの視界に映ったのは、高々と打ち上げられた魔獣の姿だった。
木の頂点近くまで上昇すると、そのまま落下し、地面に叩きつけられる。
ベイウルフは微動だにしない。
ただゆっくりと血の海だけが広がっていった。
ヴォルフは尻餅をつく。
大きく目を広げ、自ら仕留めた魔獣を呆然と見つめた。
◇◇◇◇◇
かくてヴォルフはニカラスに戻った。
村の近くまで来ると、逃げ支度を始めていた村長、そして知らせてくれた行商人が駆け寄ってきた。
「ヴォルフ、大丈夫か」
「大丈夫ですか、ヴォルフさん。ああ……。こんな血だらけになって。どんな風にお詫びすれば良いか」
まるで聖者でも見つけたかのようにヴォルフの手を取る。
当人は苦笑するしかなかった。
「大丈夫だ、村長、行商人さん。これは返り血だ。俺は無傷だから心配するな」
「無傷じゃと。馬鹿な」
「そんな強がりいわなくていいんですよ」
全く信じてくれない。
行商人はタダでいいと薬を押しつけてくる始末だ。
「別にいらないよ。それよりも、あんた魔獣の素材をさばけるかい?」
「素材ですか? まあ、それも仕事のうちですし」
「なら、あの道に戻ってみな。ベイウルフが死んでる。C級の魔獣だから結構な金になるだろう。それで護衛でも雇え。女の一人旅は危険だ」
「いや、ヴォルフさんが仕留めたものでしょ」
「自分でさばけなきゃ持ってても、無意味だろ。俺は疲れた。身体を洗ったら、ちょっと寝る」
ヒラヒラと手を動かし、ヴォルフはそのまま自宅に直行した。
今日はこれまでです。
しばらく毎日投稿続けるつもりです。
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