第274話 正体
突然の【勇者】の登場に驚いたのは、悪意だけではない。
悪意と対決していたヴォルフ。
さらにそれを見守っていたレミニアとミケを驚かせた。
悪意を含めて4人が瞠目したのは、ルーハスの登場だけではない。
悪意がもっとも信頼していたと思われる百虎をあっさりと屠ってきたことだ。
すでに死体となってもその化け物のプレッシャーは伝わってくる。
ヴォルフとて、今のルネットが考案した強化なく戦えば、苦戦しただろう。
それをルーハスは単独で討伐してみせた。
(感じる……)
ヴォルフは反射的に愛刀を握り直す。
すでにルーハスとは2度戦っている。
1度目は敗れた。2度目は偶然相手の心に漬け込み、辛くも勝利した。
だが、今のルーハスは1度目とも2度目とも違う。
今まで出会ったどのシチュエーションよりも、纏う空気は引き締まっていた。
「何に気を散らしている! ここは戦場だぞ、ロートル!」
気が付いた時には、ルーハスが隣に立っていた。次の瞬間、脇腹を蹴られる。あの【破壊王】イーニャの鉄球をまともに食らったような衝撃に、思わずヴォルフは顔を顰める。
そのまま吹き飛ばされると、気が付けば娘のいるところまで後退していた。
強化魔法で傷はすぐに治ったが、傷以上に蹴られたことにショックを受けていた。
ヴォルフに近づいてきた速度。
蹴りの速さと、重さ……。
何よりこうして後ろから見る【勇者】としての風格……。
どれも極まって見える。
そう。まるでそれは英雄の風格であった。
今でこそ、ヴォルフは国の、世界の英雄として見られている。
だが、その前に魔獣から世界を守ってきたのは、間違いなく今目の前に立っているルーハスである。
英雄の凱旋。
あるいは英雄の交代。
1人悪意の前に立ちはだかった本物の英雄の姿を見て、二の腕に粟立つ。
ヴォルフ自身も英雄に憧れる1人である。
若いとはいえ、ルーハス・セヴァットは間違いなく、英雄と言える1人だ。
それが今、真に力を取り戻し戦おうという姿に、一冒険者として感涙を隠せなかった。
ただちょっと娘には評判が悪かったようだ。
「ちょっと! パパに何をするのよ!!」
「しばらくそこで休んでいろ」
「え?」
「【勇者】の戦いを見せてやる」
そして、ルーハスは構えた。
本当に悪意と1人戦うつもりだ。
ルーハスは地を蹴る。
それはもはや一筋の銀光だった。
速度を見て、ヴォルフは思わず「速い!」と唸る。
ヴォルフとミケが行う連携技『雷獣纏い』――もしかしたら、それよりも速いかもしれない。
「ふはははは! 【勇者】風情が! 我の相手をするだと!!」
それを見て、悪意は嗤う。
「確かにお前は本物の英雄だ! しかし、所詮は時代が祭り上げた過去の英雄でしかない。もはやギルドが決めたランクや戦績など関係ない。もうそのレベルにはないとしれ! 雑兵!!」
「言いたいことはそれだけか?」
次の瞬間、ルーハスは刀を抜く。
【居合い】である。
【勇者】が放つ渾身の一撃は、今この戦場で見せていたどんな剣閃よりも速かった。
慌てて悪意は剣で受ける。
激しい剣戟の音が響くと、レミニアの髪を乱すほどの衝撃が生まれた。
「なにぃ?」
悪意は喉から声を絞り出す。
だが、攻撃はこれだけではない。
それはルーハスの目が語っていた。
白狼族と人間のハーフであるルーハスは、先天的に得た膂力を見せつける。
刀の柄で悪意が持った剣を弾くと、あっさりとその体勢を崩す。
息を整う間もなく、2撃目を繰り出した。
悪意はなんとかこれも受けるが、精一杯の対応だ。
その顔からはルーハスを「過去の英雄」と罵った余裕が消えている。
対するルーハスは歯車が入ったらしい。
3撃、4撃……と連撃を繰り出す。
まさに暴風の中の風見鶏のように回り、あらゆる角度から悪意に迫った。
一転、防戦になった悪意は永遠とも思えるような連撃の嵐を捌き続ける。
そこには確かな非凡な才が見受けられるが、笑みが消え、ただ師匠の剣技を受ける弟子のように足捌きが乱れていた。
「すげぇ……。あいつ、あんなに強かったのかニャ」
さしもの雷獣ミケもルーハスの強さに舌を巻いていた。
その横で油断のない視線を送っていたのは、レミニアである。
「ええ……。認めたくないけど強いわ。あまりこんなことを言いたくはないけど、パパと戦った時のルーハスはベストコンディションからはほど遠かった」
レミニアは基本的にパパが大好きである。
彼女の世界は、いつもパパ中心に回っている。
パパより優しい人間なんて認めないし、パパよりカッコいい人間なんているはずがないと思っているし、パパより強い人間などあり得ないとさえ思っている。
そんな彼女でも五英傑にして【勇者】と呼ばれる英雄のことは認めていた。
特にレミニアは1度ルーハスと共闘したことがある。
2匹目の災害級魔獣アダマンロールと戦った時だ。
レミニアはあの時、明らかにベストコンディションではないと見抜いていた。しかし、それでも問題ないと思っていた。自分であれば、アダマンロールぐらいなら倒せると思っていたからだ。
けれど、ルーハスが引かないのを見て、興味を持った。
結果、少し手助けをしたものの、ルーハスはあのアダマンロールを切ってみせた。
何度もいうが、ルネットをなくした直後で強化魔法も十分ではなく、明らかにコンディション不良であるにもかかわらずだ。
レミニアはその時、ルーハス・セヴァットという【勇者】に対して、少しだけ興味を持った。
ルネットという存在を知り、彼女のことを調査して生き返らせたのも、今後ルーハスがヴォルフにとって何らかの有用な駒になり得るかもしれないと考えたからである。
「けれど、これは……」
駒どころの話ではない。
ルーハスの勢いは明らかに悪意を凌駕していた。白狼の牙が、まさしく【愚者の石】を手にした者に食い込もうとしていたのである。
ギィン!!
強い剣戟の音が響く。
ルーハスが悪意の剣を大きく弾いた音だ。
完全に崩された。
フードから垣間見えていた口元は笑っていない。ギュッと唇に皺が寄り、恐怖に引きつっているようにも見える。
ルーハスに慈悲はない。
それがルーハスとヴォルフの差であろう。
身体をその場で回転させながら、ルーハスは切り刻む。
わずか0.7秒。
1秒にも満たない内に、6連撃を悪意に叩き込む。
だが、悪意は必死に躱した。
倒れ込みそうになりながら、バックステップする。
少々無様な回避行動になったが、ルーハスの連撃は空を切ることになる。
……かと思われた。
悪意を覆っていたローブが弾け飛ぶ。
それまで顔がわからなかった悪意の姿が、ついにさらされた。
「それがお前の顔か……」
「うにゃにゃ!?」
「え? 嘘だろ……」
ルーハス、そしてヴォルフとミケが息を呑む。
その中でも1番驚いていたのは、レミニアだった。
「嘘でしょ……」
男の子のようなボーイッシュな髪型。
目はキリッと吊り上がり、やや厚め唇には女性的な色気がある。
全体的に細い身体をしており、その胸元には大きな赤い宝石が埋め込まれていた。
それはその場にいる誰もが知る人物だった。
「なんで? なんであなたが?」
ハシリー……。