第268話 再びの葵の蜻蛉
「粗方片付いたか……」
エミリは周囲を見る。
拳錻に加え、彼女の周りには多くの魔獣の死骸が累々と積み上げられていた。
避難民の匂いに釣られてやってきた魔獣をすべて打ち倒したのだ。
リヴァラスでもらった聖水も振りまいておいたし、しばらく魔獣が襲いかかってくることはないだろう。
エミリは王都の方を伺う。
残念ながらここからでは王宮の尖塔の先っぽですら見ることはできない。
だが、感じることはできる。
巨大な邪悪な気配。
そして愛した人間の気配を。
それにエミリは吸い寄せられるように歩き出した。
◆◇◆◇◆
ヴォルフは悪意と打ち合い続けていた。
かれこれ1時間以上戦っているが、勝敗はまだ着いていなかった。
ヴォルフの技は冴え渡り、その供給される魔力にも淀みがない。
表情にも余裕があった。
一方悪意の方はといえば、初めてレミニアの前に現れた時とは違って、表情に余裕がなかった。
明らかに焦りを感じる。
それが打ち合う剣にも現れ、ヴォルフに押され始めていた。
そのヴォルフは敏感に2つの大きな気配が消えたことに気づく。
「どうやら、お前の“隷”は機能しなかったみたいだな」
「ぐっ!」
ヴォルフの指摘に、悪意はさらに顔を歪める。
「所詮、お前個人が作ったものでしかない。操り手の潜在能力を超えることはない、人形だ。だが、俺は違う。旅先で出会った人たちの想いを汲んで戦っている。……世界で唯一の存在となり、最強を謳おうなどと考えているお前には負けるわけがない」
ヴォルフは思いっきり振り抜く。
その一撃には手応えがあった。
吹き飛ばされた悪意は、大鐘を橦木で撞くように大木に激突する。
つぅっと口から鮮血を吐くが、悪意は嗤って、手の甲で拭った。
ゆっくりと起き上がり、再びヴォルフに近寄ってくる。
その奇妙な雰囲気を察して、ヴォルフは剣を構え直す。
「なるほど。お前の“隷”たちも強いようだ」
「“隷”じゃない。大事な人や友人たちだ」
「どうでもいい。お前も、そいつらを使って我と同等の力を引き出していることは事実……。何か間違ったことを言っているか?」
「お前に説教するのも飽きた。そろそろ決着を着けさせてもら――――う」
突然、ヴォルフは膝を突いた。
「パパッ!!」
「ご主人!!」
ハッと顔を上げたが、遅い。
悪意の蹴りがヴォルフの顔面にささると、そのまま反対方向にあった森に突っ込んだ。
「がはっ!」
苦しそうに父が呻くのを聞き、レミニアの顔が歪む。
「パパ!!」
「だ、大丈夫だ!」
駆け寄ろうとしたレミニアを手で制する。
噴き出した鼻血を手の甲で拭い、立ちはだかる悪意を睨んだ。
一瞬だったが、ヴォルフから力が抜けた。
おそらくリヴァラス本陣の方で何かあったのだろう。
「それにこの気配……」
「その通りだ、偽の英雄。我は完全体。一個で自己完結する完全体だ。その“隷”もまた完全であって当然だろう」
悪意は哄笑を上げるのだった。
◆◇◆◇◆
「おやまあ……」
クロエが呑気な声を上げて見上げれば、横のヒナミは金切り声を上げた。
「なんじゃと!」
2人が見たのは、黒い鱗の竜――つまり、星竜と名付けられた黒竜であった。
それはつい先ほど、クロエとヒナミが協力して倒したはずだ。
どす黒い血を吐いていた星竜は、ゆっくりと起き上がると、超速再生し、元の姿に戻ってしまった。
再び翼を広げ、天へと飛び立つと、上空から炎を吐き出す。
2人は慌てて岩陰に隠れるが、岩は溶けかかっていた。
いくらも保たないだろう。
「どういうことじゃ?」
「再生能力を持っていたということやね。さすがはストラバールを困らせる困ったちゃんや。あないな化け物まで作れるなんて」
「感心しておる場合か。対策を講じねば、いつか妾らがやられるのじゃぞ」
「そないなこと言われても、うちも姫さんも斬ることしか能がないやろ?」
「そなた、はっきり言うな」
「しゃーない。うちは王都育ちやない。掃きだめ育ちや。言葉ぐらいキツくなるよって」
「一理あるというか、それしかないか」
ヒナミは岩陰から出て、炎を斬る。
再びクロエとともに、星竜という名前とは裏腹に真っ黒な腹を抱えた竜を睨むのだった。
◆◇◆◇◆
クロエたちに起こっていることは、エミリの方でも起こっていた。
エミリは再生した拳錻をあっさりとバラバラにしたが、その場から復活をしてしまう。
「これで12回目。どうやら不死というのが現実味を帯びて来たでござるな」
次に13回目の斬撃を食らわせる。
拳錻はまたバラバラになったが、回数が加わる度に、エミリの顔が疲労で歪んでいく。
まだ使い慣れない『リュウガ』のおかげで、身体の負担が大きい。その重さ故に切れているところもあるのだが、振り続けることが難しくなってきた。
「さて、どうするか? 先に本体をやっつけねばならないか。あまりヴォルフ殿の戦いに水を差すようなマネはしたくないのでござるけど」
思案しながら、斬撃はついに14回目を迎えるのだった。
◆◇◆◇◆
クロエとヒナミ、そしてエミリが戦う戦場から東。
聖樹リヴァラスの付近にも、悪意が解き放った“隷”の魔の手が伸びていた。
現れたのは、黒い炎を噴き出す怪鳥だ。
その周りを複数の冒険者が囲みそれと戦っている。
いや、空を飛び回る怪鳥を見上げているものがほとんどであった。
すでに戦場は炎に包まれ真っ赤――いや、黒く染まっている。
呪いかけられたような炎が、確実に人の精神に作用し、避難民たちの心を絶望に染め上げていた。
その中で勇敢に戦う騎士たちの姿があった。
「姫様、今です!!」
第六階梯の拘束系魔法を使って、蘇雀と名前を付けられた怪鳥を縛り上げたのは、辺境の騎士団『葵の蜻蛉』の魔法使いダラスであった。
瞬間、空から現れたのは、見目麗しい姫騎士だ。
その背中には魔法で作られた白い翼が付いている。一羽ばたきしながら速度を上げて、怪鳥に襲いかかった。
「はあああああああああああああ!!」
今まで握っていた杖から再び細身の剣に戻したアンリは、蘇雀と名付けられた怪鳥に向かって斬撃を落とす。
だが、その前に蘇雀を縛っていた拘束系魔法が解かれた。
次の瞬間、アンリと交錯するような形になる。
一旦アンリは地面に下りたが、蘇雀は元気に空を飛び回っていた。
「くそ! 浅かったか!」
「すみません、姫。私の魔法が甘いばかりに」
「いや、ダラスのせいではない。やはり強いな……」
「感心してる場合ですか、姫様。相手は化け物の上に、空を飛び回ってるンです。私たちに手に負える相手では……」
「それでもやるんだ」
リーマットが暗に退却を忠告するが、アンリの意志は固かった。
よく見ると、ブレストプレートの上から切り裂かれて、鮮血が滲んでいる。
ダラスは慌てて、回復魔法を主に押し当てた。
「我々は辺境の騎士団『葵の蜻蛉』だ。今退けば、名が泣こうというもの」
リーマットはお手上げとばかりに肩を竦める。
とはいえ、主が逃げないのであれば、彼も逃げるつもりはない。
「正直、決め手がないですねぇ。単純に方法というか、戦力が足りてないんですよ、我々は」
冷静に分析してみせる。
「なら、オレが手伝おう」
不意に大きな影がアンリたちを覆う。
その影の登場に、蘇雀も警戒して見せた。
恐る恐る振り返るアンリ。
そこに立っていたのは、山のように大きな巨人族だった。
「「「で、でけぇぇえええええええええ!!」」」