第263話 本当に勇気ある者
民衆たちは頑なだった。
テイレスやミランダ、その娘ステラ、さらには後から駆けつけたリファラス大公が説得に当たったが頑として動かない。
ついには、その場に座り込み石のように動かなくなる。
いや、この場合もはや死人のようだというべきなのかもしれない。
それほど、民衆たちの心は絶望に染まっていたのだ。
ルネットは次の策を考える。
だが、良案が思い浮かばない。この作戦にしたって、様々な案の中から唯一成功しそうなものをチョイスしたものだ。決して成功すると思って実行したわけではない。
敵は強い。
はっきり言って搦め手で勝てる相手ではない。
だからこそ、超正道――ヴォルフにすべての力を託し、一点突破するやり方を考えたのだが……。
(これは私のミスだわ。敵を倒すことだけを考えて、肝心の民衆の感情まで考えていなかった)
ここまで〝敵〟が考えて、レクセニル王国を攻め立て、彼らを難民に仕立て上げたというなら、自分以上の【軍師】だ。
手でも叩いて称賛したいところだが、そんな時間は毛の先ほどもなかった。
気勢を吐ききったテイレスもミランダも、無気力な民衆を見て呆れている。このままではヴォルフに対して好意的なものの魔力まで曇ってしまう。
(いや、影響が出ている可能性もある)
魔力の純度が落ちるということは、依り代としている聖樹リヴァラスにも負担が出てしまう。
このままでは強化魔法を保持することも難しいだろう。
「あいつらと一緒だな」
茂みの中から現れたのは、イーニャだった。
イーニャには避難民の警護をお願いしていたはず。持ち場を離れて何をしているのかと思えば、イーニャの後ろに客人らしき人間が立っていた。
1人はラムニラ教の白僧服に身を包んだ宣教騎士と思われる女性。もう1人は、その護衛騎士だろう。大きな盾を持った盾騎士が、鋭い視線を周囲に送っていた。
女性はペコリと会釈するが、口を開いたのはイーニャだった。
「お前ら、あたしが見たエミルリアの住人と一緒だ」
イーニャは語り出す。
「エミルリアの住人もそうだった。自分たちは魔獣のエサだと思っていて、端から自分たちに命を守る権限などないと考えていた。仲間が殺されても、子どもが殺されても平気な顔をしてるような奴らだった」
すると、イーニャは笑う。
「へっ! 違うな。あいつらは抗うってことを知らない。むしろエサとしての使命を全うしようとしていただけだった。……けど、あんたらは違う。人間でありながら、命を放棄しようとしている。それならエサとして矜恃を全うしようとしていたエミルリアの連中の方がまだマシだ」
「なんだ! それは!!」
「俺たちはエサ以下か!!」
「ああ! もう! なんとでも言ってくれ」
「わたしたち、もう1歩だって動かないわ」
民衆たちは口々に喚き散らす。
イーニャの言葉は失意をさらに広げる。皆がその場に座り、絶望に下を向いた。
「1歩だって動かない? だからどうしたよ?」
「イーニャ! やめなさい!!」
「うっせぇ。ルネットはそこで聞いてろ」
イーニャは完全に切れてる。
でも、いつもと少し違う。冷静に切れているというか、そもそも彼女が本当に怒っているなら、とっくの昔に手が出ているはず。
最悪、ここにいる人間全員がミンチになっている可能性すらあるだろう。
「端からあんたらに期待してない。そもそもあんたらだって、自分が立ち上がることに期待してないだろ? もう死んだ人間に手を振られても、誰も嬉しくない。誰も幸せにならない」
「イーニャ……」
「けど、あたいは知ってるんだ。誰にも期待されなくて、自分でも諦めて、1度人生も、心も折れて……。それでも、立ち上がった男を知っている」
「それがヴォルフって男か」
「でも、あたしたちは違う」
「そうだ。我々は無力だ」
「あんたたちの話では、ヴォルフって男には娘の魔法がかかっていたって話じゃないか」
「それはきっかけに過ぎない。立ち上がったのは、ヴォルフ師匠の力だ。決して娘さんの力じゃない。事実、師匠は魔法なしで【勇者】を破った! あんたらに同じことができるのか? 同じ力があったなら、あんたたちは!! 今、世界を救う戦いにたった1人で赴けるのかよ!!」
答えろよ!!!!
イーニャの絶叫の横で静寂が纏わり付く。
その叫びとは裏腹に人々は静まり返った。
イーニャは拳を振るわせながら、言葉を紡ぐ。
それは怒りであったが、決して無気力な民衆に向けられたものではない。
自分自身へ向けられたものだった。
「あたいには無理だ。あんな化け物……。どうやったって勝ち目がない。だから、こんな後方であんたたちに説教を垂れてる。本当なら師匠の盾になりたい。それで死ぬなら本望だって思う。けど、足が動かねぇんだよ」
イーニャは目を赤くして、ボロボロと泣いていた。
獣人――赤狼族の戦士は、滅多なことで泣かない。さらに勇敢で、どんな戦いに於いても、先方を務める。戦いの化身みたいな種族だということは、一般常識として知られている。
その赤狼族が泣いている光景に、絶望に打ちひしがれ、心が枯れた民衆でも反応せずにはいられない。
誰も何も言い返さなかった。
それは静かな反応かもしれない。だが、イーニャの声は少し彼らの心に刺さったような気がした。
聞けよ、愚かなるものたちよ……
はたとみんなの顔が上がる。
イーニャもまた赤く腫らした目を擦りながら、振り返る。
歌だ。
美しく、柔らかな声が五線譜で森を包むように広がっていく。
ルネットもまた振り返った。
さっきの宣教騎士の1人が声高らかに歌い上げていた。
皆が息を呑み、騎士と言うよりは少女に近い歌声に戸惑っている。
時が求めた足音を……。
おもてをあげた英雄の声を……。
光が満ちていく。
その不思議な現象に、ルネットはハッとなった。
「もしかして、【聖歌手】……」
「そうだ。これがアローラ様のお力だ」
「アローラ……。聞いたことがあるわ。十代で宣教騎士から司祭になったっていう。あなたたちは……」
「俺の名前はリック・スタッタラッパ。アローラ様の護衛騎士だ。……ヴォルフ・ミッドレス、彼とアローラ様とは縁があってな。馳せ参じた」
「そう。それにしても……」
【聖歌手】とはかなりの特異なジョブだ。
そもそも声に対して、天性の能力を持たなければなれない職業の1つである。
治癒士のように回復もできるが、亡霊を討ち払ったり、結界にもなる。
そして歌という性質上、人々の心をリラックスさせる効果も持つ。
でも、まだ民衆すべて届いているわけではない。
むしろその声を嫌悪する者すらいる。
徹底して立とうとしないものたちだ。
だが、アローラは紡ぐ。
さらなる歌を……。
「転調……?」
「いや、歌を変えた」
――その子のことをお願いします。
山で薬草を採っていたヴォルフは、ハッと顔を上げた。
籠を背負い直し、導かれるように歩き出す。
「これは?? もしかして……」
「ヴォルフ殿の歌だ」
そう。それはヴォルフの歌だった。
いや、ヴォルフが歩んだ物語そのものだと言ってもいい。
12歳から冒険者稼業をはじめ、最初こそ若さを武器に魔獣と戦った。
やがて己の限界を知り、若く才能ある冒険者にどんどん抜かれていった。
下っ腹に贅肉がつき始める頃には、危険な冒険を避け、拾った薬草や鉱石を売って生計を立てていた。
結局、ランクは下から数えて3番目のDクラス。
習得したスキルは、中級の【鑑定】【調合】と基礎級全般ぐらいだ。
それが冒険者ヴォルフの15年の成果だった。
イーニャも内容に驚く。
「師匠の歌だ……」
そう。それは伝説の始まりを告げる歌でもあった。