第258話 アラフォー冒険者の半生
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ついに冒険者としての新たに1歩を踏み出したヴォルフ。
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「馬鹿な……」
悪意は叫んだ。
腕、胸、太股、脇、足首、頬には無数の切り傷が浮かび、鮮血が灰色の地面に点々と落ちていく。
見た目よりは浅い傷だが、悪意からすればこうもあっさり自分の肌を傷付けられるとは思わなかったのだ。
ただ者ではないことはわかっている。
何せあの天才【大勇者】が、賢者の石の依り代に考えていた男である。
普通の身体ではないだろう。いや、普通の身体に作り上げているわけがない。
悪意は自分の目的のために、ヴォルフ・ミッドレスという男を調べた。
裏返せば、それほど悪意がヴォルフという男を買っていたということだ。
しかし、調べれば調べるほど疑念しか浮かばなかった。
その半生は、あまりに凡庸であったからだ。
ヴォルフの半生は冒険者であったが、そこに突出した才能があったわけではない。
むしろ平凡を通り越して、才能がなかったと断じてもいいぐらいであった。
平凡な才能に対して、実直な性格とそれなりの努力で補っている――といったところだろう。
D級になれたのも、強さとはかけ離れた総合的な評価によってもたらされたものであった、悪意から言わせれば奇跡という他ない。当然潜在的能力も感じなかった
つまり、絶望的なほどヴォルフは冒険者に向いていなかったのである。
そんな男が何故冒険者になったかわからない。
度々、始まりの【勇者】の名前を出して、その憧れを謳ったというが、過去の英雄に対する執着がここまで如実に表れることに、悪意は失笑すらできないこともあった。
結果的にヴォルフはごく平凡に冒険者の適齢期に於いて引退した。
娘レミニアを拾ったということも大きいだろう。だとしても、よく続けて2年後には故郷ニカラス村に帰っていたはずだ。
転機となったのは、娘の存在だ。
天上族が自我を持つのは、人類よりも遥かに早い。
おそらく1歳前後ぐらいには、娘は自分が何者で、目の前の男がどういう立場の人間であるのか、理解していたに違いない。
そして天上族の1つの能力として、親の知識を受け継ぐことができるというものがある。
自我こそレミニア・ミッドレスであったが、娘には母親の知識と記憶があった。
世界の危険を察知した彼女は、早急に賢者の石の器を作らなければならなかった。
だが、レミニアの側にいるのは、引退した冒険者ただ一人。村にいるのも、老人や子どもばかりで、器として使えない。
結局、レミニアは父親を強化し、器とするより他なかったのだろう。
思いの外順調にいっていたが、レミニアはある日突然、方針を転換する。
ヴォルフ・ミッドレスの肉体を、ただ道具同然に扱うのではなく、1人の人間として扱うことに決めたのだ。
簡単に言えば、子としての愛情がその時初めて芽生えたのだ。
ヴォルフという父を、ただこのまま器として扱うのが惜しくなったレミニアは、父を守る名目で最強の強化魔法を作り上げた。
そして、それはレミニア・ミッドレス――いや、天上族でも予想の付かない結末へと向かっていく。
結果的に平凡だったヴォルフ・ミッドレスという男は、数々の英雄や人外に匹敵する力を、手に入れることになった。
悪意にとっても、ヴォルフという男は悉く自分の予想を裏切る存在であった。
計画通りというなら暴走したマノルフに討ち取られているか、あのワヒト王国で起きた魔獣戦線に飲み込まれていたはずだ。
そして、またここに悪意の予想の斜め上を行く事態が起きた。
よもや自分の肉体をこうもあっさり斬られるとは思ってもみなかったのだ。
「全く予測不可能にも程がある」
単純な強さというなら、あのガーファリアの方がよほど強かった。
けれど、何か違う。このヴォルフ・ミッドレスという男の強さは、天上族やそれに匹敵した英雄たちの強さとは根本から違う。
それこそが、【大勇者】の企みによるものなのか。
それとも悪意に見えてこなかったヴォルフ・ミッドレスの本性なのかわからず、ついに5秒ほど沈黙してしまった。
「かかってこないのか?」
「信条でな。相手に心構えがない時、斬りかからないことにしているんだ」
「ふん。やはり変わっている」
「そうか。俺にはそれが普通だと思うけどな」
ヴォルフは涼しげに言葉を返す。
この余裕も、悪意には不気味だった。
何が起こるかわからない。何を考えているかすらわからない。
「だからこそ、お前は最後に選んだ」
理解不能な相手――それがヴォルフ・ミッドレスだった。
「だが、余はそのための準備を怠っていない。認めてもいい。ヴォルフよ。貴様は強い――。しかし、余はもっと強い」
訳がわからないこそ、十全な準備をしてきた。
さあ、死合おう。ヴォルフよ。
それでも、上に行くのは、余の方だがな……。
刹那、あるいは一瞬――――。
世界は黄金に満ちた。
戸惑ったのは、悪意の方だ。そして次の瞬間、大量の血を流して悶絶する。
ついに悪意は倒れた。
その悪意に背中を向けて立っている男がいる。
当然、ヴォルフであった。
後ろを振り返り、刀を少し粗野に肩にかけながら呟く。
「どうした……」
随分と温いな、お前……。