第256話 おわりのはじまり
☆☆ コミカライズ更新 ☆☆
BookLive様にて先行配信している単話版ば、更新されました。
ミケ編完結です。原作で展開を知っているのですが、作者でもほろりと泣いてしまう感動的なお話になっております。
コミックが出るまで待ちたいという読者の方もいらっしゃるかと思いますが、
是非ともコミックスの15、16話をお買い上げいただき、読者の皆様と感動を共有できたら嬉しいなと思いました。
少女の紫水晶のような瞳に、炎が揺らめいていた。
周囲は黒煙が囲み、熱で空気が歪んでいる。
人の叫声と悲鳴があちこちから聞こえ、助けてという言葉が何度も心を抉った。
ぺたんと瓦礫の上に座り込んだ赤髪の少女は、思わず耳を塞ぐ。
彼女は【大勇者】。 世界最高の「SS」クラス保持者。
しかし、その少女でさえも今、目の前にある悪意に絶望している。
剣は折れ、矢は尽き、得意の魔法ですら魔力が底をついている状態だった。
もはや小さな身体に打つ手は残されていない。
多くの人々の期待を一身に受けながらも、応えることができなかった。
今も助けを呼ぶ声に手を差し伸べることさえできない。
「助けて……。誰か助けてよ……」
子供の頃から少女は強く、たくましかった。
誰かに守られるのではなく、守る側の人間として、天性の才能を開花させてきた。
人生において初めてと言っていい、助けて――という強い願い。
しかし、世界で一番強い勇者を助けるものなどいない。
たった一人を除いて……。
ふと目の前が暗くなる。
絶望に歪んだ顔を上げた。
【大勇者】に背中を向けていたのは、一人の冒険者だ。
それも英雄譚に出てくる白馬に乗った若い騎士などではない。
お世辞にも艶がいいとは言えない肌。緩んだ頬。目尻にも小皺がより、握った手にも経験の数だけ皺が刻まれていた。
若い騎士とは明らかに正対する年齢。
しかし、その眼光は鋭く、勇者すら助けを請う脅威を前にしても、身じろぎすらしていない。
子供の頃から何度も見た背中だった。
そして唯一【大勇者】を救ってきた男の姿だった。
「パパ……」
少女の顔が一瞬歓喜に沸く。だが、すぐに暗く沈んだ。
確かに父は強い。
魔獣を斬り。竜を斬り。百人以上の盗賊団を1人で斬ったこともあったという。
それでも目の前の悪意と戦うには、実力が不足している。圧倒的にだ。
「パパ……。ダメだよ」
絶対ダメだ。戦わせてはいけない。
最愛の人の最後を見届けるぐらいなら、自分が戦う。
一度は折れた膝を動かす。立ち上がろうとするも、うまく力が入らない。
いまだ身が竦んでいた。
「大丈夫だよ、レミニア」
「――え?」
「昔、言ったろ? パパはレミニアの勇者になるって」
赤髪を撫でる。
いつの間に近づいたのだろうか。
父の顔がすぐそこにあった。
思わず笑ってしまうぐらい穏やかに笑っている。
「レミニアはパパが守るよ」
剣の柄に手をかけ、歩み出す。
その傍らには、青白い毛を炎のようになびかせた大猫が控えていた。
体高が父親の肩まである猫は、飼い主に甘えるようにその顔を舐める。
青白い毛をわしゃわしゃと撫で、落ち着かせると、1人と1匹は同時に前を向いた。
父は歩む。
かろうじて命を手にした人間たちが、その背中にすがるように見つめる。
広い肩に、世界の命運と希望が乗せ、暗い大地を進む。
対し向かう先にいたのは、すべての絶望であり、悪意そのもの……。
そして勇者すらおののく恐怖だった。
悪意は嗤う。
「現れたか、ヴォルフ・ミッドレス。だが、貴様は所詮、勇者に力を授かった仮初めの英雄……。いや、貴様はもはや英雄ですらない。英雄の皮を被った単なる偽善者だ」
天地を割らんばかりの哄笑が響く。
空気が震える度に、絶望が伝播していった。
わずかな希望に顔を上げたものは顔を伏せ、立ち尽くしていたものは膝を折り、黒天の空に背中を向けて頽れる。
あの【大勇者】すら例外ではない。
それでも冒険者は決して怯まない。
目の前の悪意を見据え、落ち着いた様子で言葉を返した。
「否定はしない。俺は娘に力をもらった。確かに英雄ですらないだろう。だが、強くなることに一本の道しかないなんてありえない。回り道をすることも、誰かに押され、ようやく駆け出すこともあるだろう」
手を柄にかけたまま深く腰を下げる。
「俺はただ一歩一歩あゆんできただけだ。俺が……俺自身が信じ、突き詰めた道を」
伝説へと至る道を……。
「道化と思うならば、笑うがいい。愚かだと思えば、罵倒すればいい。初めから俺は賞賛が欲しくて歩いてきたわけじゃない。ただ……娘を守る力が欲しくて、ここに至っただけだ」
冒険者は揺るがない。
対し、悪意は鼻で嘲嗤う。
「して? お前は何をしにきた」
「簡単だ。俺のやれることはたった1つ……」
お前、斬り伏せる……。ただそれだけだ。
ヴォルフは刃を掲げ、凜と宣戦布告する。
グッと腰を落とすと、一気に加速した。
まさに雷光の如し。地を這う雷蛇のように進む。
一瞬にして悪意との距離を侵略する。それはまた火の如し。
刀の剣閃は林のように静かに切り裂かれ、ついにめり込んだ足は山のように堂々としていた。
「なにぃ?」
常に先手を打ち、余裕の笑みを見せる悪意の顔が歪む。
慌てて持っていた得物を抜き、防御に構える。
悪意の首に届こうかという一寸前に、ヴォルフの剣閃は受け止められた。
だが、剣は受け止められても、その衝撃まで相殺できなかったらしい。
悪意の顔に傷が走る。同時にフードが捲り上がり、全貌が露わになった。
「あなたは――――」
レミニアは立ち上がり、露わになった正体に戦慄する。
黄金の髪が戦地の空気に震えるように靡く。
鍛え抜かれた筋肉は首の肉にまで達し、上背こそないものの、ヴォルフとさほど体格の不利を感じさせない。
野性味に溢れる赤い瞳は、【剣狼】と呼ばれたヴォルフの前で、飢えた狼のように光らせている。
そして何より異質なのは、額に埋め込まれた赤い宝石であった。
「ガーファリア・デル・バロシュトラス……」
レミニアはそう名前を言い、ついに悪意の正体を暴いた。