第255話 大勇者の絶望
☆☆ 初動好調 ☆☆
『アラフォー冒険者、伝説になる』のコミックス2巻。
おかげさまで、初動好調のようです。お買い上げいただいた方ありがとうございます。
週末、お天気も良いと伺っております。書店にお立ち寄りの際には、是非お願いします。
とにかく異様だった。
姿形をすっぽりと頭から被ったローブの中に隠した男。
纏う空気はもまた異質だ。レミニアの知る限りの人間の中でどれとも違う。
あえて言うなら、ヴォルフが持つ大らかな雰囲気を真逆にしたような空気が男から漂っていた。
まるでその空気に触れるだけで、指1本落とされそうな……。
フードを目深に被っているため、顔がよく見えない。
だが、向き合うだけで〝死〟を感じるほど、男の存在は危険だったのだ。
「あなた、何者……?」
レミニアは前に出て、尋ねる。
男は質問を返す代わりに、ローブの中から1本のペンダントを取り出す。
その先に大きな赤黒い宝石が光っていた。
「まさか――――」
レミニアは息を呑む。
その瞬間、男の危険度は最初の印象以上に増した。
珍しく天才といわれた少女は構えを取る。
ショートソードの先を男に向けるが、天才だからこそわかる。
剣も、その構えも、何の意味もなさないことを……。
男は短くこう答える。
「成った……」
その言葉の意味を、天才は直感的に理解できた。
もうそれだけで十分だった。
しかし、聞かずにはいられない。レミニアは赤黒い宝石を指差した。
「それが【愚者の石】……」
男の口端が吊り上がる。
「その通りだ、【大勇者】よ」
レミニアが求めていたのは、ストラバールとエミルリアを引き離す力――【賢者の石】。
その正体とは魂の総量。人間の存在を閉じ込めた者。
そうとわかってから、レミニアは【賢者の石】が起こす現象を擬似的に起こす魔導具の制作を急いだ。
対する男が持つ者は真反対の代物だ。
【賢者の石】とは違い、物を引き寄せる力。
名を【愚者の石】という。
成ったと男はそう言った。
それはつまり、【愚者の石】ができあがったということだろう。
「長かった……」
男は唐突に語り出した。
「【愚者の石】を作り出すまで、随分と時間がかかった」
「何よ、あなた? 今から自慢話でも始めるわけ。悪いけど、わたしにそんな時間も、義理もないの。用がないなら、この親子と一緒に通してもらうわよ」
レミニアは珍しく挑発的な言動を取る。
余裕ぶっているのではない。余裕がないからこそ、言ったのだ。
「【愚者の石】の原理を生み出したのが、1年前……」
「1年……。もしかして、魔獣戦線……」
「そうだ。使ったのは、人と魔獣の合成。あそこには大量の人と魔獣がいたからな」
「あなた、まさか……」
「お前が研究していた【賢者の石】が引き離す力なら、【愚者の石】は引き戻す力。それはつまり、物体と物体を1つにする力でもある。そして、魔獣戦線で生み出されたものが――――」
「なりそこない……」
「その通り。そして実験は成功。次の段階は、精神的に強い人間――――例えば、強い信奉心を持つものにも通じるかどうかの実験だ」
レミニアは少し考えてから、思い出す。
「ラムニラ教の司祭が起こした暴走事件……」
「マノルフ・リュンクベリといったか。……そうだ。あいつに【愚者の石】を与えた。結果、あいつは神との合一を望み、自滅したが、それでも実験結果として十分なものだった」
「なんてことを……」
「次は聖樹リヴァラス……。神域に近いものにも、【愚者の石】は通じた。さらにワヒト王国にある遺物を奪取し、精度を高め、ドラ・アグマ王国とレクセニル王国――広範囲に影響を及ぼすことが確認できた」
くくく、と男の口元から笑いが漏れる。
「エミルリアからの天上族を屠り、そして最後のピースがたった先ほどはまった」
男は手に赤黒い宝石を載せ、高々と宣言する。
「ここに【愚者の石】が成ったのだ」
黒い雲の下で、男は哄笑を響かせる。
それはまさしく悪魔の笑い声だった。
心根まで寒くなるような声と、最凶と評せるような悪事の限りを聞いても、レミニアには何もできない。
おそらくここにいる人間の中で、レミニアは誰よりも賢い。
そして、この絶望的な状況の意味を深く理解していた。
もはや安全圏など、どこにもない。
レミニアの予想が正しければ、ストラバールにも、離れていったエミルリアにすらない。
人が生きられる場所に、安息の地などなかった。
そう気付いた時、ついにレミニアの膝が折れる。
アメジストのような目の輝きは消え、ぼんやりと黒い雲の向こうに向けられていた。
それを見た王都民たちが声をかけるが、レミニアは反応しない。
ただ黙っているだけだ。
反論も、反撃もできない。
今ここであの力に対抗できる者はいない。
それが例え、ヴォルフだとしても……。
「はっ!」
レミニアは気付く。
きっとヴォルフはここに駆けつける。
自分が声をかければ、世界の裏側にいてもやってくるだろう。
でも、ダメだ。来ては絶対にダメだ。
いつかこの男と対峙する時が来るとしても、今は絶対にダメだ。
レミニアは頭を抱える。
わかっているのだ。それでも、ここに父ヴォルフがきっと来ることを……。
「そうだ、レミニア・ミッドレス。もうすべては終わった。お前の命も、そしてお前の父親――――ミッドレス親子よ。お前たちの英雄譚はここで終いだ」
男は指を鳴らす。
現れたのは、魔物たちだった。
ベイウルフのようなちゃちな魔物ではない。
そのベイウルフをあっさりと捕食し、気色悪い汚臭を吐きながらSSランクに匹敵する異界の魔物たちが現れる。
空気が淀んでいく。視界が絶望に染まっていく。
レミニアの手からこぼれたショートソードはカラリと乾いた音を立てると、すでにヒビが入っていたのか、刃が折れてしまった。
ゆっくりとレミニアや集まってきた王都民たちの方に集まってくる。
レミニアの目に魔物は映っていない。
ただ――。
少女の紫水晶のような瞳に、炎が揺らめいていた。
周囲は黒煙が囲み、熱で空気が歪んでいる。
人の叫声と悲鳴があちこちから聞こえ、助けてという言葉が何度も心を抉った。
ぺたんと瓦礫の上に座り込んだ赤髪の少女は、思わず耳を塞ぐ。
彼女は【大勇者】。
世界最高の「SS」クラス保持者。
しかし、その少女でさえも今、目の前にある悪意に絶望している。
剣は折れ、矢は尽き、得意の魔法ですら魔力が底をついている状態だった。
もはや小さな身体に打つ手は残されていない。
多くの人々の期待を一身に受けながらも、応えることができなかった。
今も助けを呼ぶ声に手を差し伸べることさえできない。
助けて……。誰か助けてよ……。
子供の頃から少女は強く、たくましかった。
誰かに守られるのではなく、守る側の人間として、天性の才能を開花させてきた。
人生において初めてと言っていい、助けて――という切なる願い。
しかし、世界で一番強い勇者を助けるものなどいない。
たった1人を除いて……。
ふと目の前が暗くなる。
絶望に歪んだ顔を上げた。
【大勇者】に背中を向けていたのは、
……1人の冒険者だった。