第25話 ヴォルフVS辻斬り
月の光に映し出された女の瞳は、きょとんとしていた。
全体的に白い容姿。
対し、雪の上に赤い宝石を置いたような瞳は、注視していると吸い込まれそうになる。
開いたローブから見える生地を巻いたような奇抜な服の端が、夜風を受けてヒラヒラと舞っていた。
ただ立っているだけで、堂に入っている。
彼女そのものが、魔法のようだった。
「ふむ……。察するに、こやつの仲間でござるか」
なんとも奇妙な言い回しを聞き、ヴォルフは気づく。
レクセニル王国より海を渡った東の向こう。
世界の果てに近い場所には、雪で覆われた大地があるという。
そこには、今の目の前にいる女のような白い肌と銀髪をもつ異民族がおり、独自の文化を形成している。
そして、その民族は自分のことを「セッシャ」と呼んだり、語尾に「ござる」と付けたりするのだという。
一般的には「雪人」と呼称されいるが、現地では自分たちのことをこういうのだそうだ。
刀匠、と――。
辻斬りの正体が女であることにも驚いているのに、それが遠く東の果てにいる民族だと知り、いくら鈍い頭をもつヴォルフも、混乱していた。
ともかく、ひたすら集中する。
女とはいえ、佇まいはまさに強者そのものだ。
本人が聞けば、さぞ反感を食らっただろうが、同じ女であるアンリと比べても、実力は伯仲していた。
1歩を踏み出すことも躊躇してしまう。
【大勇者】の加護を受けてなお、ヴォルフは目の前の女が恐ろしかった。
幸いにも、いまだ殺気というものを感じない。
だが、こういう手合いは0から一気に千にも万にも膂力を上げられる。
そう直感が訴えていた。
「違う……」
ヴォルフは喋ることにした。
話をするのは苦手だが、ひとまず自分が落ち着く時間がほしい。
女は時折、相づちを打ちながら、大人しく話を聞き続ける。
やがて――。
「ああ。やっぱり……。あの時、食堂にいた御仁であったか」
「見ていたのか?」
「拙者もあの場にいたんでござるよ」
あの一件を見ていて、女も腹を立てていたらしい。
灸を据えるために、給仕のために一発ぶん殴ったと、半分冗談めかしに語った。
ヴォルフは唖然としている。
あの場に女がいたことなど、全く気づかなかった。
そういえば、どことなく佇まいが似ている。
【灰食の熊殺し】のアジトで会った老人と……。
「その男を懲らしめるためだけに、ここへ?」
「いいや。この男には別の用事もあったでござる。この男はBクラスでありながら、『蛇剣使い』と呼ばれるほどの剣技の手練れでござる」
気絶した男の手には、蛇腹剣が解体されたまま握られていた。
「拙者……。自分の刀を使うに値する剣士を探してるでござるよ」
「自分の“かたな”……?」
「ところで――。主も、なかなかの剣の使い手でござるな。いざ尋常に仕合て、見てくれませぬか?」
そういいながら、女は刀を鞘に納めた。
「いや、ちょっと待て! なんか出会っていきなり――」
「なーに。心配する必要はござらんよ。拙者、辻斬りゆえ――」
先に飛び出したのは、雪人の女だった。
馬の尾のようにまとめた銀髪が揺れる。
まさに吹雪が迫ってくるようだった。
腰に差した剣は鞘に納まったままだ。
ヴォルフもボケッと見ていたわけではない。
すぐさま、剣を抜き放つ。
いつもより感覚が違う。
今さら思い出したが、今日は借り物のショートソードだった。
女は勢いを殺さず、とうとう鞘から剣を抜きはなった。
刀身がうねるように飛んでくる。
それでも細い糸のような鋭い斬撃をヴォルフは受け止めた。
甲高い音が、鼓膜を貫く。
目の前で火花が散った。
速い! そして重い!
受け止めることが出来たのは、単なる偶然だ。
だが、その奇跡がなければ、首が飛んでいたかもしれない。
「やはり、拙者の目に狂いはなかった。拙者の【居合い】を受け止められたのは、久しぶりでござるよ」
ヴォルフはふと思い出す。
雪人の固有スキルに、鞘走りを利用した【居合い】というスキルがあることを。
攻撃の威力を倍加できる技は、レベル5の稀少スキルに認定されている。
「ちょ――! ま――!」
雪人はサイドに回り込む。
逆袈裟に振り上げた。
やや千鳥足ながら、ヴォルフは捌く。
態勢不十分のところを狙って、女は強引に押し込んだ。
鍔迫り合いになる。
だが、力比べなら、ヴォルフの方に分があった。
逆に押し返すと、女の剣を払う。
夜の空気が震えた。
女は一旦距離をとる。
攻撃が終わったのかと思ったが――違う。
身体が沈み込んだかと見れば、剣先を前に向けて飛び込んできた。
弾丸のような突きを、ヴォルフはかろうじてかわす。
アンリ、いやリーマットの剣よりも明らかに速い。
どんどん態勢が崩れていく。
その度に女は強引に押し込んできた。
連撃を加え、畳みかける。
だが、ヴォルフも踏ん張る。
防戦一方だが、なんとか反撃の糸口を探した。
その時だ。
天のいたずらか……。
地面が揺れた。
また地震。今度は少し大きい。
「っと……」
雪人の体勢がわずかに崩れる。
ほんの一瞬だったが、隙が生まれた。
「(ここだ……)」
呼吸を合わせる。
女が一瞬退いた引き足を狙った。
「――――ッ!」
女の顔が初めて歪んだ。
かろうじて、ヴォルフの斬撃をかわすことには成功する。
しかし、強引に足の位置を変えたため態勢が崩れた。
このままでは剣を打てない。
逆にヴォルフは踏み込む。
一気に間合いを詰めると、ショートソードを振り下ろした。
衝撃が墓場を駆け巡る。
受け止められたが、ヴォルフは強引に連撃へとつなげた。
容赦のない打ち込みに、今度は女が防戦一方だ。
戦う前、余裕があった表情が、いささか青みがかっている。
ヴォルフも必死だった。
女の剣技と比べれば優雅さのかけらもない不細工な打ち込み。
しかし、自分が女に勝るところといえば、単純な膂力しかない。
それをやめれば、倒れるのはヴォルフの方だった。
そして、その考えはついに正答を掴む。
「ぐっ!」
抗しきれなかった雪人の女がついに片膝をついた。
すかさず、ヴォルフは踏み込む。
ショートソードを上段から一気に振り下ろした。
女は咄嗟に受け止めようとする。
コォォォォオオオオオオオンンンン!
希代の名勝負の決着の割には、間抜けな音が響き渡る。
夜空に刃がくるくると回っていた。
空を切り、やがて地面に突き刺さる。
「あ……」
ぼんやりとした声を上げたのは、ヴォルフの方だった。
根元からポッキリと折れた借り物のショートソードを見つめる。
その虹彩から光が消えて行った。
まずい――。
腹から背筋にかけて、恐怖が蠢く。
女に視線を向けた瞬間、思いも寄らぬ言葉を吐いた。
「参った……。拙者の負けでござる」
愛嬌のある女の笑顔がそこにあった。
◇◇◇◇◇
稲光が頭上で閃いたのが見えた。
ヴォルフは咄嗟に女を抱えると、そこから飛び退く。
数瞬後、落雷が槍のように突き刺さった。
「おい。大丈夫か、ご主人様」
現れたのは、白い毛を逆立てた巨大な猫だった。
「ミケか! 危ないだろ! そもそも寝てるんじゃなかったのか?」
「心配して加勢にきてやったんにゃ。あっちに感謝しろし……。――って、どうやら必要なかったようだな」
ミケはジト目で睨む。
ヴォルフは首を傾げた。
立ち上がろうとして、手に力を込めた瞬間、何かとてつもなく柔らかいものを握りしめていることに気付いた。
「あぅ……」
小さな嬌声が聞こえる。
視線を落とすと、ヴォルフの大きな手が、女の胸を鷲掴んでいた。
馬乗りになり、まるで強●しているようにも見える。
「どわぁぁああ! す、すまん」
慌てて、飛びずさる。
そのまま額を地面に突いて、謝った。
「まさかご主人様が、こんなところでするど変態だったとは……」
ミケはわざとらしい仕草で周りを見る。
大小様々の墓石が並ぶ墓地は、静かである一方で薄気味悪かった。
「誤解を生むようなことをいうな! これは事故だ! 元はといえば、ミケが悪いんだぞ」
「へーいへい。そういうことにしておいてやる。あと老婆心ながら、行為後の男の態度によって、男の価値は決まるんだぞ。ちゃんとケアしてやれよ」
「(なんで、幻獣がそんなことを知ってんだよ!)」
飼い主は睨むが、飼い猫はどこ吹く風だ。
相変わらず匂いが気になるらしく、必死に後ろ足で鼻を掻いていた。
ヴォルフは改めて手に残った感触を確認する。
乾燥させた蔓茘枝のような張りと弾力を感じた。
もしかしたら、娘より大きい――。
(――って、一体何を考えているんだ、俺は)
記憶をかき消すように頭を掻きむしる。
そこに近づいてきたのは、雪人の女だった。
「お主、強いでござるなあ」
気にした様子もなく、むしろ赤い瞳をキラキラさせている。
「さ、さっきはすまない」
「別に気にしてないでござるよ。それよりも凄いでござる。拙者があそこまで追い込まれたのは、父様と立ち会って以来でござる」
「とと……?」
「拙者の父様は――っと、そういえば自己紹介がまだでござったな」
女は地面の上に正座する。
乱れた服装を整え、軽く銀髪を梳いた。
「拙者の名前はエミリ。エミリ・ムローダというでござる。お気づきかと思うが、ここより遙か東方の国ワヒトより参った」
丁寧に頭を下げる。
その仕草だけでエミリの素性がわかった。
かなり良いところのお嬢様なのだろう。
剣を持てば荒々しいが、こうして佇まいを見ると、そこかしこに気品がある。
どことなくアンリとよく似ていた。
「俺の名前はヴォルフだ。ニカラスのヴォルフ」
「ニカラスのヴォルフ……。もしかして、ヴォルフ・ミッドレス殿でござるか? 『竜殺し』『100人斬り』の?」
エミリはヴォルフの手を反射的に握る。
氷のように冷たい手。先ほど、剣を振るっていた手とは思えないほど冷めている。
だが、硬い。
かなり剣を振っているのだろう。
女子の手とは思えないほど、ゴツゴツしていた。
「え、ええ……。まあ……」
自然に近づいてくるエミリを見ながら、年上であるはずのヴォルフの方が戸惑っていた。
回答を聞いて、エミリはさらに鼻息を荒くする。
「お願いがあるでござる。是非お力を貸していただきたいでござるよ」
「力って……。辻斬りの?」
「いや、あれはそのぉ……。人の力を試すためにやったというか。あっ! でも決して殺しはしておらんよ。あくまで人を試すために仕合ったでござるから。辻斬りならぬ、辻試しでごさるよ」
「辻試しって……」
ヴォルフはエミリの脇に見えていた冒険者を見る。
墓に寄りかかり、気絶したままだった。
「あ、あれはあの男が悪いでござる。国の御宝である女に手を挙げるなど、言語道断!」
頭を下げたかと思えば、今度は大きな胸を反る。
なかなかに表情が多様だ。
ヴォルフは少し興味を持つ。
彼女が辻斬りならぬ辻試しをしてまで、人を量ろうとした理由が気になった。
途端、エミリの表情が固まる。
半ば躊躇しながらも、はっきりと口にした。
「拙者が鍛った刀で、災害級魔獣アダマンロールを斬ってほしいでござる」
血のように赤い瞳の中で、月光が揺らめいた。
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若干おっさんの息が切れてるけど、まだまだ更新頑張ります!!