第251話 慟哭
ヴォルフの頭が沸騰する。
怒りではない。無念さからだ。
あの時の未熟さ。己の浅はかさ。
自分に薬の知識がもっとあれば、自分にもっとスキルがあれば……。
何より冒険者として、もっと上を向いて走っていれば……。
後悔を上げればキリがない。
いや、振り返れば自分の人生は後悔しかなかったように思う。
我が子と出会うまでは……。
目の前に彼女がいなければ、大泣きしていたかもしれない。
思い出してしまったあの時の無念に苛まれる中、そっと差し出されたのは母レミニアの冷たい手だった。
「そんな顔をなさらないで下さい、ヴォルフ・ミッドレス」
「でも、俺は――――」
「あなたは悪くない。……それに、あなたは立派に私の願いを聞き届けてくれました」
「レミニアのことか……?」
ヴォルフの言葉に、母レミニアは頷く。
「あの子を立派に育ててくれた。健やかに、明るく、賢く、優しく……。私が育てても、あそこまで真っ直ぐ彼女が育ったかはわかりません」
「いや、あなたの子どもだ。きっと誰が育てても、レミニアはレミニアのままだったはず」
全く手の掛からなかったといえば嘘になるが、それでもレミニアは聡明で幼くして「自分」というものを持っていた。
「いいえ。ヴォルフさん、伝え聞くあなたの噂、そして今こうして面と向かってあなたと話せたことによって確信しました。レミニアはちゃんとあなたの娘です。あなただからこそ、今のレミニアがいる。私はそう思います」
「……そうか。あなたにそう言ってもらえると嬉しいな」
ヴォルフは頬を赤くした。
「それにヴォルフさん、あなたは昔の自分を卑下するように思っていますが、そんなことはありませんよ」
「え?」
「考えてもみて下さい。……死んだと思った私が、何故ここにいるのかを」
「あっ……!」
母レミニアの言うとおりだった。
ヴォルフは母レミニアが死んだと思っていた。実際、脈は止まっていたことは確認している。埋葬もした。
しかし、彼女は今こうしてヴォルフの前に倒れている。姿形を変えてだ。
「な、何故……?」
と尋ねると、母レミニアは薄く笑った。
「簡単なことです。私は死んでいなかった。……いえ。私も死んだと思っていた」
母レミニアは少し遠くを眺めるように、再び回想した。
母レミニアはヴォルフが去った後に、土の中で息を吹き返した。
自分が生きていることを理解するのに、数秒かかったという。
依然、重傷であったが、動けなかった身体が土をひっくり返すことができるぐらいには回復していた。
(何故……?)
母レミニアはその場でしばし考える。
そして己の身体を丹念に調べた時、自分に魔力が少し戻っていることに気付いた。
どこで摂取したのか。
(土をかけられたことによって? いや、そんな馬鹿なことがあるはずがない。だとしたら……)
あ……。
母レミニアは思い出す。枯渇していた魔力が回復していた原因。
「そう……。あの人の薬草か……」
どの薬草が効いたのかわからない。多分本人すら気付いていないだろう。
だが、あの調合された薬のおかげで魔力が回復した可能性は高い。
というか、要因としてそれ以外に考えられなかった。
「あなたのおかげです、ヴォルフ・ミッドレス」
母レミニアは、ヴォルフの方を向く。
その表情は大輪の花を思わせるような笑顔だった。
「あなたが一生懸命、私のことを治療してくれた。例え、それが奇跡的な確率だったとしても、私はあなたに救われたことは事実です。……もう1度言います、ヴォルフ・ミッドレス」
ありがとうございます。私を助けてくれて……。
母レミニアの言葉が地下の医務室に響く。
ヴォルフは思わずへたり込んだ。
だが、身体は軽い。ずっと肩にのしかかっていた積年の後悔が、今まさに取り払われたような気がしたからだ。
「俺が……。あなたを……」
「はい。救っていただきました」
「俺がやったことは、無――――」
「無駄なんかじゃありません。……あなたの生きた40年以上の人生に無駄など1つもない。あなたは常に真摯に、そして一生懸命生き続けた。そして私と娘を救ってくれた。もう1度言います。あなたの人生に無駄などなかった。誇っていいと思います」
「うう……。うおおおおおおおおお!!」
それは英雄のように奮い立たせているわけではない。獣の鳴き声でもなかった。
ヴォルフは泣いていた。
目から滝のように涙を流し、目の前に人がいて、地下室に声を轟かせながら、それでもヴォルフは泣いた。
ずっと後悔していたのだ。
自分がレミニアの強化魔法を受けてからも、ずっと……。
冒険者となったきっかけもそうだった。
あの時の後悔を精算するために、ヴォルフはもう1度やり直そうと決めた。それから彼は多くの人間を救ってきた。人間どころか、国そして今世界をも救おうとしている。
それでもヴォルフが、ヴォルフたる由縁は未だに彼が15年前の出来事に囚われていたからだろう。
机を叩き、泣きわめくアラフォーの男の手に、母レミニアはそっと手を伸ばした。
優しく、まるで子どもをあやすように頭をなで続ける。
しかし、ヴォルフは泣きやまない。
これまで募っていた後悔を吐き出すように、アラフォーの冒険者は涙を流し続けるのだった。