第250話 15年前の真実
すみません。先に251話を投稿しておりました。
なので、250話を改めて投稿させていただきます。
失礼いたしました。
「俺に……」
ヴォルフは息を飲んだ。
瞬間、山で起こった出来事と、母レミニアとの出会いを思い出す。
同時にそこで味わった虚無感、悔恨が嗚咽のようにこみ上げて来て、思わず顔を歪めてしまった。
明らかに悲しそうな顔をするヴォルフに向かって、手を差し伸べたのは母レミニアだった。
そして、話は続く。
「私とガダルフに決定的な差異があったとすれば、この世界にいた時間でしょう」
「時間……?」
ヴォルフの言葉に、母レミニアは目だけで頷いた。
「結局、ストラバールは私にとって異界です。高濃度の魔力に覆われたエミルリアとは違う。普通に暮らすぶんには何も問題なかったのですが、やはり濃度の低い魔力を吸っていた分、私の身体の機能は徐々に腐り始めていたのです……」
「そんな……」
「よって私は普通の天上族よりも、遥かに低い寿命が設定されました。その点、ガダルフはストラバールに来て間もない……」
「若者と老人の戦いだったわけか」
「女性を目の前にして言う言葉ではないですけどね」
そう言って、母レミニアは意味深げに笑うと、ヴォルフは慌てて謝罪した。
「す、すまん!」
「冗談です。そしてその通りですから」
「……しかし、何故あなたはそのような姿に……? 俺と会った時は――」
ヴォルフは15年前のことを回顧する。
そう。あの時の母レミニアの面影はあまりない。いや、雰囲気や話し方からして間違いないと言えるのだが、姿形はあの時のものではない。
黒髪だったが、もっと長かったと思うし、背も高かったように思う。
それが今のレミニアと肩を並べるほどになっているのは、どこか解せなかった。
「はい。それを今からお話するところです。ヴォルフさんも関わることですから、よく聞いていてください」
ヴォルフは頷く。
母レミニアは天井を仰ぎ見ながら、話を続けた。
母レミニアはガダルフとの戦いをなんとか引き分けた。
内容こそ引き分けたが、実質負けに近い。
母レミニアはガダルフを仕留めるつもりだった。それほど彼は危険な人物だったからだ。
それに賢者の石についても知られてしまった。
なんとか体勢を立て直し、もう1度ガダルフと戦って、今度こそトドメを刺さなければ……。
そう思った矢先、突然それはやってきた。
「ごふっ……」
ドロリと溶けて、口から出てきたのは、腐った肉の破片だ。
それを見て、母レミニアは悟った。
身体が自壊しようとしていることを……。
つまり寿命だった。
ガダルフとの戦いによって、急激に魔力を消耗した反動だろう。一気に老化が進んだのだ。
気が付けば、誰もいない山中で1歩動けず、母レミニアはその場に倒れた。
自壊を抑える魔法を一瞬で作り上げて、実践してみたが芳しくない。そもそも魔法自体が魔力を食うのだから、あまり効率的ではないことは明らかだった。
ならば、栄養はどうか……。
食物から摂取できる魔力は、母レミニアからすれば微量だ。
それでも何かを摂取するより他ない。
しかし、もうこの時、指1本すら動かせない。食べようにも喉がからからで、物を砕く気概すら浮かばなかった。
死ぬ……。
その言葉が脳裏によぎる。
気が付けば涙が流れていた。
理不尽なこともあったが、決して悪い人生ではなかった。それでも、肝心要のところで何かを成し遂げることができなかった。
子どもがいるのに、面倒を見ることが出来ない。
あまりに中途半端な自分に、悔しく涙が出てしまったのだ。
「せめて最後は我が子の顔を見て……」
母レミニアは、自分が作り上げた異空間の中から我が子を召喚する。
自分で作った木のバスケットの中で、我が子はスヤスヤと眠っている。天使のようにというと、語弊があるかもしれないが、本当に安らかで気持ちよさそうだった。
その幸せそうな寝顔を見ながら、また涙がこみ上げてくる。
「ごめんね、私の可愛い赤ちゃん」
そこで言って、今さら気付いた。
自分の子どもに未だ名前がないことを……。
生んだ直後に、ガダルフとの戦いが始まり、それどころではなかったし、生む前からもずっと悩んでいて、決められなかった。
そもそも人に名前を決めたことすら初めての経験だったのだ。
「せめて名前を与えよう……」
朦朧とする意識の中で、母レミニアは必死に頭を巡らせた。
けれど、なかなかいい名前が浮かばない。
滑稽だ。今際の際に考えることでもないだろうに……。
己の迂闊さと、無能さに辟易してしまう。
考えている間も意識が遠くなっていく。
寝てしまうと、2度と目を開けられないような気がして、瞼だけはしっかり開くようにした。
それでも、やはり瞼が重くなっていく。
いよいよという時、声が聞こえた。
「おい! あんた、大丈夫か!!」
その声で閉じかかった意識が、少し覚醒できた。
瞳に映ったのは、三十路近くの男だ。
必死にその声に耳を傾けようとした。そうすれば、少しでも長く意識を保たれるような気がしたからだ。
男は冒険者らしい。見知った顔ではない。ただ平凡な、どこにでもいるような普通の冒険者だったが、今頼れるのは偶然に自分を見つけたこの男しかいない。
「なんだ? これ? 単なる病気とかじゃないぞ。呪いか? くそ! こんな症状みたことないぞ」
慌てる男は1度頭を掻いた。
だが、すぐに目に強い意志が宿る。
持っていた薬をすべて広げる、あらゆる方法で母レミニアを癒そうとした。しかし、どれも効かない。むしろ症状は進む一方だった。
必死になって介抱してくれるのはわかる。
しかし、男の知識はあまりに浅く、そのスキルは稚拙であった。
それでも彼が一生懸命自分を救おうとしているのはわかる。ただその真剣な横顔を見るだけで、救われたような気がした。
(ありがとう……。でも……)
いよいよお迎えが来たらしい。
「もし……。冒険者の方……」
母レミニアは瞼を持ち上げ、なるべく穏やかに声をかけた。
「私は長くありません。最後に頼みを聞いてくれませんか?」
そう言って、母レミニアは我が子へと手を伸ばした。
「その子のことをお願いできませんか?」
見ず知らずの人間に我が子を託すなど馬鹿げているのはわかっている。
でも、なんとなくだが、この男は信頼できると感じた。鑑定したわけでも、心を覗き見たわけでもない。
自分を助けようとするあの必死な形相を見て、信頼できると感じたのだ。
男は我が子を抱き上げると、大きく頷いた。
「よかった……」
「待て! 死――――」
男の声が急速に遠ざかっていく。
暗い縁の底へと向かって、自分の意識がゆっくりと沈んでいくのがわかる。
遠くの方で男の声が反響するように聞こえた。
何を言っているかわからないが、名前を聞いているように思えた。
そうだ。名前だ。
そう言えば、我が子に名前をつけていない。
なんと付ければ良かっただろうか。
どんな名前であれば、我が子は喜んでくれただろうか。
わからない……。
もう冒険者に委ねるしかない。
ならせめて、自分の名前だけでも我が子に覚えていてほしい。
母レミニアは最後の力を振り絞り、こう答えた。
レミニア……。
と――――。