第247話 16年前の答え
そこにいたのはアクシャル・カーン。
つまりラームの弟子だった。
こちらもひどい怪我を負ったらしく、顔色が悪い。
呼吸も浅く、言葉を発することすら苦しいといった状態だが、意識がある分だけエラルダよりマシといった様子だった。
「連れてきたわ、アクシャル。約束通りね」
「アクシャルは何故こんな姿に? ラーム殿は?」
彼女の側に常にいた師の姿を探すがどこにもいない。
アクシャルもルネットも何も言わない。
つまりはそういうことなのだろう。
「ら、ラーム…………いえ、師は亡くなりました。……私をかばって」
「そうか……」
ヴォルフは奥歯をギュッと噛む。
自分とラームは言葉をかけた数こそ少ないものの、恩人であることに変わりはなかった。
冒険者を引退してから初めて望んだ盗賊退治。
相手は【灰食の熊殺し】という大盗賊たちだった。
そこでヴォルフは初めてラームに出会う。
その頃のヴォルフは、娘から与えられた強化魔法の使い方に悩んでいた。
レミニアが父を守るためにもらった力を、もう1度冒険者として奮起するために、人のために使おうと考えていたのだ。
だが、簡単に決断できたわけじゃない。そこには深い葛藤が存在した。
果たして、娘からもらった力を、まるで自分の力のように振るっていいものかどうかと……。
しかし、ラームはこう言って、背中を押してくれた。
自分に嘘をつくでない。お主が思っている通りのことをすればいい。
そしてラームはまるでヴォルフの悩みが小さいことであるかのように、一笑に付してくれた。
あの言葉だけで、どれだけ当時の自分が救われたかわからない。
ラームと出会っていなければ、今ここにヴォルフの姿はなかっただろう。
言わば、彼はヴォルフにとって人生の恩師なのだ。
そのラームが亡くなった。
あの偉大な賢人が認めた弟子を守ることができたのだ。
悔いなく、この世から去れたに違いない。
「君は……。アクシャル、君は大丈夫なのか? 俺ができることなら、何でも言ってくれ!」
ラームが亡くなった今、その意志を継ぐ者を失うわけにはいかない。
ヴォルフは言葉に力を込めた。
しかし、アクシャルは首を振る。
「ふふふ……。あの時も、そんな顔をしていましたね」
「あの時?」
「私は傷の方こそ回復していますが、少々力を使い過ぎました。この急造の身体に負荷をかけすぎてしまったようです」
「??? 君は何を言ってるんだ?」
ヴォルフは尋ねるも、アクシャルは今まで見たこともないほど穏やかな笑みを浮かべるだけだった。
と言っても、ラームより遥かに彼女との接触回数は少ない。
ただその美貌もあるだろうが、どうも気になる人間だった。気が付けば、視界に入れてるような。実にソワソワとした気分になるのだ。
そのアクシャルはルネットの方に視線を移す。
「ルネットさん。申し訳ないですが、2人っきりにしていただけませんか?」
「でも――――」
「大丈夫。お約束はお守りしますから」
「約束?」
1人だけ話についていけていないヴォルフだけが、ポカンとなる。
「わかったわ」
ルネットは席を外した。
ヴォルフが慌てている間に、アクシャルと2人っきりだ。
御簾の向こうにはエラルダが寝ているとはいえ、そしてアクシャルが今ベッドに寝ているとはいえ、年甲斐もなく緊張してしまう。
アクシャルの年齢は、おそらくレミニアと同じか、少し上だろう。
倍以上、年が離れているのに、妙に大人びた雰囲気を持つアクシャルの雰囲気に、ヴォルフはドキマギしてしまう。
何故か、初恋した時を思い出してしまった。
そんな甘酸っぱい気分になるのは、何もこの部屋が薬の匂いに満ちているからというわけではないだろう。
「手を……。握っていただけませんか……?」
アクシャルは被った白いシーツの中から手を上げる。
手首が細い。ちょっと力を入れるだけで、ポキリと折れてしまいそうだ。
枯れ木を握るようにヴォルフは慎重にアクシャルの手を取る。
ヒンヤリとして冷たい。だが、人間の肌らしい触り心地というか、むしろすべすべしていて気持ちが良かった。レミニアの手と似ている。
「ふふ……。思った通りの手ですね。ゴツゴツして硬い」
「す、すまん」
「いえ……。でも、これは優しい人の手です。色んな人に優しくしてきたからこそ、手も強くなったんだとわかります」
「なあ、アクシャル。君と俺は、その……ほぼ初対面も同じだ。君のことを、俺は何も知らない。君は一体何者だ?」
「ラームの弟子ではダメですか?」
「それが真実ならそれでいい」
「私が嘘を吐いていると確信してるような目ですね」
「そ、そういうわけでは!」
慌ててヴォルフは目を隠すが、もう遅い。
アクシャルは鈴を鳴らすように笑う。
何もかもが初めてだった。こうして、アクシャルの笑顔を見るのも、アクシャルの笑声を聞くのも……。
そしてアクシャルは天井を仰いだ。
しかし、その目は天井を見ていない。
天井の先の廃墟、さらに空、そしてその先にある黒い宙、最後にあのエミルリアを見ているような。
彼女はその時、途方もなく遠い目をしていた。
「ヴォルフさんは知っているのでしょう? 天上族という言葉を」
「――――!」
ヴォルフは反射的に息を止めた。
エミルリアに渡った時、何度も聞いた言葉だ。
かつてエミルリアを支配していた種族の名前。
その影響力はかつて流刑地であったストラバールにまで及んだと言われている。
「私はその1人です」
「え? 嘘だろ?」
「証拠をお見せすることはかないません。象徴たる【天の翼手】をもう開くことはできませんから」
「【天の翼手】?」
「天上族に見られる羽のことです。我々はそう呼んでいます」
証拠はないというが、その物言いだけでアクシャルが嘘を吐いていないことだけはわかる。
それにこの状況で嘘も真実もないだろう。
駆け引きができるほど、彼女の寿命が長くないことだけは、医学に疎いヴォルフでもわかることだった。
「それで、君が天上族だとして、俺に何を言いたいんだ?」
「2体の天上族が、このストラバールで相争ったというお話は聞きましたか?」
「ああ……」
「その1体が、この私なのです」
「はっ! え? そうなのか?」
その時、ヴォルフの記憶の中で、ある光景が思い浮かぶ。
それはかなり古い記憶であり、かなり色あせていたが、幾度となく節目で思い出しては、ヴォルフが歩み道を立ち止まらせてきた光景だった。
それは15、いやもう16年前の話になる。
その事件をきっかけにして、ヴォルフは冒険者を引退した終わりの話。
そしてこの数奇な運命を辿ることになった始まりの話であった。
頭に浮かんだのは、ある女の死……。
さらにその周りに広がっていたのは、大きな翼と大量のもがれた羽……。
ヴォルフの始まりであると同時に、娘との大切な思い出であり、そして長く胸に残る後悔でもあった。
「まさか……」
と言った時、ヴォルフの瞳には涙が浮かんでいた。
「はい。その通りです、ヴォルフ・ミッドレス」
「あの時の――――」
レミニアです。
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