第245話 【大勇者】の目覚め
「え……」
レミニアは自分が作り上げた【疑似・賢者の石】装置の中で、目を覚ます。
すでに装置は止まっていた。
近くにあった計器に目をやると、ストラバールとエミルリアの位置は元に戻っていた。
それを見て、レミニアは静かに歓喜に震える。
自分が長年用意していた【賢者の石】がついに結実したのだ。
(やったよ、わたしのママ……)
そう。それはレミニアの願いであり、同時にその文献を残したレミニアの母の願いでもあった。
レミニアは装置に繋がれながら、少し前のことを思い出す。
「あれはわたしのママだったのかしら」
首を傾げた。
装置の中にいたから、詳しいことはわからない。
だが、天使に向かって行く――背中に翼を生やした人間を見た。
アクシャル……。
大賢者ラームの弟子。
もちろん、レミニアも面識があるが、その存在はレミニアにすら汲み取ることができなかった。
だが、ふと目が合う瞬間、あるいは王宮の廊下をすれ違う時。
何か赤の他人とは思えないシンパシーを感じたことは事実だ。
(いや、まだそれを考える時ではないわ)
すでに【大勇者】たるレミニアは事の異様さに気付いていた。
エミルリアが元の位置にあったということは、あの天使が発する愚者の石の効果が消えなければ、達成できない。
もしくはその力を凌駕するものによって、制御されたかのどちらかだ。
その答えはレミニアすらわからない。
それよりも、作戦が成功したのに、誰も自分を起こさなかった事の方が気になる。
ハシリーならば、レミニアの目覚めを知って、飛びついてくるだろう。
はしたないと思うが、ハシリーにはそういうところがあった。
ところがハシリーどころか、他の研究員の姿すらない。
レミニアは装置から這い出す。
身体が重い。自分の魔力のすべてを吸い取られたのだ。
かつてない極度の魔力欠乏症に陥り、3日いや、5日以上寝ていた可能性が高い。
幸い装置から自動的に栄養と魔力が供給されるようになっていたのだが、余分に入れておいたはずなのに、2日前に切れていた。
「わたし、一体どれぐらい寝ていたの?」
実は意識があったのは、装置を動かして、半日ぐらいだ。
そこからトランス状態に入り、その後のことは判然としない。
時々、強い微震を感じたが、それも夢のようなもので現実味がなかった。
なんとか側の壁に手をつき、立ち上がる。
それだけで息が上がった己の姿に、レミニアは「情けないわね」と自らに活をいれた。
改めて、研究室を見渡す。
「何よ、これ……」
レミニアは呆然とした。
普段は人を驚かせることの方が多い【大勇者】が、心を抜き取られたかのように立ちすくむ。
レミニアの研究室は、レクセニル王国の研究所の地下に作られている。
しかも、ただ穴を掘ったわけではなく、周りを分厚い魔法銀の壁で囲み、どんな衝撃にも耐えられるように設計した。
いざとなれば、ここに国王を匿うぐらいのつもりで作ったのだが、その研究室の上部が完全に崩れ落ち、すっかり抜け落ちて土砂が流入していた。
入ってきた土砂はレミニアが入っていた【疑似・賢者の石】まで後一歩というところまで届いていた。
設置場所が違っていれば、レミニアは装置ごとペチャンコになっていただろう。
とはいえ、研究室も丈夫であれば、【疑似・賢者の石】もまた丈夫に出来ている。
たとえ魔法銀の塊が落ちてきたところで、ビクともしない。
問題はそこから脱出する方法に悩むことだろう。
「ハシリーは……」
レミニアは辺りを窺うが、人の気配もない。
【探知】の魔法を使いたかったが、魔力が戻っておらず、火を起こすことすら難しい。
(おそらく魔力の欠乏状態が長期間に及んだのが原因ね)
人間には魔力を回復させる回路が存在するが、それを回すためにも最低限の魔力が必要になる。
レミニアはその最低限度の魔力すら使い切ってしまっていた。
(もしかしたら、もう2度魔法を使うことができないかもしれないわね)
だが、それは覚悟の上であった。
ハシリーが心配していたのも、その件だ。
でも、レミニアは満足だった。
自分の命ではなく、魔力だけでヴォルフがいるストラバールを救えるのなら、安いものだ。
レミニアは奇跡的に無事だった自分の私服を着ると、ゆったりとした足取りで歩き始めた。
地下から地上に出る道は塞がれていたが、流れ込んだ土砂がスロープのようになっていて脱出は可能だ。
何度も足をもつれさせながらスロープを上る。
地上に出た時には、泥だらけになっていた。
そしてレミニアの鼻を突いたのは、何かが焦げた匂い。
アメジストを思わせる紫の瞳に映ったのは、この世の地獄だった。
「何よ、これ……」
広がっていたのは、華やかな王宮の姿ではない。
陽の光を遮る暗雲と煙、そして真っ平らとなった無残な王宮の姿だった。
一瞬、自分はどこか別の場所に放り出されたのだと思ったが、やはり違う。
これだけ跡形がなくなっても、建物が建っていた面影は残っていた。
間違いない。
「嘘でしょ。これがレクセニルなの」
言葉を吐き出す。
それは【大勇者】が初めて吐いた絶望の吐息だった。