第229話 起動
「【疑似・賢者の石】、起動……」
レミニアの声が凜と研究所に響いた。
迷いに迷った研究成果の起動……。
本当であれば使いたくない。
使えば、ヴォルフの到着が遅れるかもしれないからだ。
だが、すでにストラバールとエミルリアの距離は、【疑似・賢者の石】を使って、跳ね返すには困難な場所まで来ている。
このまま放置すれば、如何にレミニアが生み出した物が優秀と言っても、いずれ重力という力に引かれ、2つの世界は激突するだろう。
今をおいて、もう他にはないのだ。
【疑似・賢者の石】の中に入ったレミニアには、もう迷いはない。
アメジストを思わせる紫色の瞳には、父ではなく、父が愛した大地と未来が映っていた。
レミニアの号令とともに、研究室内は物々しくなる。
暗がりの中で光っていたのは、様々な計器だ。
魔力の種類を20通り以上にわけ、熱量、質量、距離、光量、空気の濃さ、音、臭気、圧力、影響力etcetc、色んな角度で計測している。
それもすべて、レミニアが【疑似・賢者の石】を動かすためだ。
【疑似・賢者の石】はまだ完成していない。
賢者の石が放つ様々な魔力幻体。
おおよそ物体に対して微量に影響力を持つそれらを、観測する装置を作ることは出来た。
だが、時間と予算の関係で、それを制御する装置の開発までには至らなかったのだ。
故にレミニア自身が、観測されたデータを元に動かす。
言ってみれば、【疑似・賢者の石】と名付けられたこれらの器類は、【大勇者】レミニアが振るう杖に近い。
「熱量、質量ともに正常です」
「魔光角0.3修正」
「圧力問題ありません」
「魔力量、第1フェーズクリア」
「続いて第二フェーズに入ります」
第二フェーズに入ると、室内は青く光った。
その中で【疑似・賢者の石】の中に入ったレミニアだけが赤く光っている。
「空気流入」
「聖水出るよ」
ボコボコとレミニアの足下から現れたのは、聖水だ。
それがレミニアが閉じ込められた特殊な硝子管の中に満ちていく。
「レミニアは大丈夫?」
ハシリーはちょっと心配になって研究員に尋ねる。
「大丈夫です。この聖水は普通の聖水じゃありません。聖樹リヴァラスの根本で採取したものです。体内を活性化する効果があって、おぼれ死ぬことはありません――って、ハシリーさんも訓練で見てるんじゃ」
「わ、わかっています。それでも、心配なんですよ」
「過保護だなあ」
「レミニアちゃんのこと言えないよね」
「仕方ない。自称【大勇者】の母親代わりなんだから」
研究員たちは口々に言い合う。
実験はかなり緊張感を要するが、研究員たちはリラックスしていた。
彼らは単なる研究員ではない。
レミニアが集めた選りすぐりの変態魔導研究員たちなのだ。
むしろ修羅場であればあるほど、逆に強い。
ちょっと頭の螺子が吹っ飛んだ者たちばかりだった。
「う、うるさい! これは実践ですよ」
ハシリーは一喝する。
それでも、研究員たちは悪びれる様子はない。
余裕といった感じで、作業を進めていく。
硝子管の中に聖水が満ちる。
先刻研究員が言った通り、レミニアはピンピンしていた。
純粋な聖水は魔力を通しやすい性質を持っている。
今回の【疑似・賢者の石】の制御は、コンマいくつといった微細な操作が求められる。
多少のノイズも、制御を誤りかねない。
それはたとえ大気の中にあっても同じなのだ。
「心拍、脳波正常です」
「よし。第三フェーズ」
「第三フェーズに入ります」
室内の色は変わらず青。
その中でせわしなく計器を読んでいた研究員達の手が止まる。
ここからは、【疑似・賢者の石】と一体になったレミニアの出番だ。
【大勇者】は目をつむる。
深く集中を始めた。
その脳波計もモニターされている。
良い数値だと、研究員が静寂の中で漏らす。
「魔力量を感知……。0.1、0.2、0.4…………」
魔力量が徐々に上がっていく。
一気に全開にすると、【疑似・賢者の石】がどんな反応を示すかわからない。
暴走して、最後に爆発なんてこともあり得る。
だからゆっくりと、それこそ生まれたての赤子が、そっと母親が差し出した指を掴むような力と優しさで、魔力を蒸かしていく。
そもそも魔力をゼロにするのは、厳密には難しい。
生まれたての子どもにすら魔力がある。
それをゼロにするには、余程の抑制力が働かないとダメだ。
すると、【疑似・賢者の石】が光を帯び始める。
「総員、計器から目を離さないで下さい」
ハシリーが声を上げる。
返事はなかったが、研究員が仕事に集中していることだけは伝わった。
「魔力量……臨界点を迎えます――――今」
【疑似・賢者の石】の光が最大になる。
すでに研究所自体が震え、計器が乱れていた。
「行けるの?」
「大丈夫です!」
「いける……」
「お願い!」
「いけぇ!!」
硝子管の中から光が溢れる。
すでにレミニアの姿が見えない。
作業を続けているのか。
意識はあるのか。
いや、本当にそこにいるかわからなかった。
頼りは計器だけだ。
「レミニアは?」
「大丈夫! 脳波の反応はあります」
「脈拍も安定!」
「と、とてつもない魔力だ」
「さすが【大勇者】……」
「これが…………ボクとレミニアが研究していた賢者の石の光――――」
コゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウ!!
一条の光が立ち上る。
まるでそれは超巨大な1本の剣であった。
研究所を貫き、レクセニル王国の空を駆け、さらに上昇していく。
ついに大気がなくなった空の上の宙に来た時、ついにその光は物体に激突した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!
凄まじい轟音と光。
これまでにない圧縮された魔力は、ストラバールに向かっていたエミルリアを穿つ。
もはや世界そのものを貫かんとする光は、確実に成果を上げていた。
「止まった!!」
距離を測っていた研究員たちが叫ぶ。
側で光の剣を吐き出すのを見ながら、興奮気味にストラバールとエミルリアの距離を示した画像をみんなに見せた。
そこに現れたのは、停止したエミルリアの姿だった。
「成功?」
ハシリーはぼんやりと呟く。
「成功ですよ!」
「大成功です!!」
「やった! 賢者の石がついに!」
「俺たちが賢者の石を作ったんだ!!」
研究員達は跳び上がって喜び、さらにはしゃぐ。
「みんな、喜ぶのは後にしてくれる」
声を上げたのは、レミニアだった。
相当制御が難しいのだろう。
なのに、声を出したのは、まだ安定していないからだ。
「すみません」
「計器観測に戻ります」
研究員達はあてがわれた椅子に戻る。
「レミニア……」
ハシリーは心配そうにレミニアを見つめる。
そのレミニアは膨大な魔力を解放しながら、硝子管の中で宙を眺めていた。
「パパ……。早く、早く帰ってきてね」
改めて無事を祈るのだった。
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