第221話 おっさん、羽が生える
『なんニャ、あれ!?』
「月があんなに大きく……」
ミケとイーニャが揃って反応する。
月とはストラバールの空に浮かぶ天体だ。
レミニアは、あれは衛星といっていた。
ストラバールの周りをくるくると回っているという。
レミニアから言わせると、地面は丸く、そしてストラバールは球体の形をしているらしい。
月はその周りを回っているというのだが、説明を聞いても、ヴォルフにはピンとこなかった。
ストラバールでは、月は生活の一部だと言ってもいい。
その満ち欠けの具合によって予言者たちは未来を占い、あるいは次の日の天気を占ってきた。
一般的に冬の季節は、月の季節とも呼ばれていて、秋に祭りを執り行う地方も存在すると聞く。
一番影響があるのは、イーニャだろう。
満月の時、ストラバールに満ちる魔力量が上がるといわれている。
そのもっとも影響を受けるのが、獣人だ。
人族と比べて、獣人は1日の魔力摂取量が高く、そのエネルギー量も高い。
故に、人よりも強い力を振るうことができると言われている。
満月ともなれば、そのエネルギー量はさらに高くなるのだ。
昔から広く親しまれる天体の見え方が、明らかに変化していた。
いつもなら広い空の片隅に光る星であるのに、今は違う。
まさに空を覆い尽くさんばかりに、月がその歪な姿をさらしていた。
巨大な猛獣が、空を食っているかのようだ。
「なあ、師匠……」
イーニャは声を震わせる。
身近な自然物が、大きく変貌したのだ。
ショックを受けるのは当然だろう。
しかし、イーニャが指摘したのは、変わり果てた月の姿だけではなかった。
「あたい、昔修行の一環でエストラム山に上ったことがあったんだ」
それはレクセニル王国西方にあるストラバールでもっとも大きい山の名前だった。
非常に特殊な形をしていて、山側であればなだらかな地形をしている一方、海岸線から山頂まで切り立った崖のような急勾配が続いている。
非常に高い場所で、天気が良ければ遠く離れたレクセニル王国王都を望むことができるという。
「それがどうしたんだ?」
「エストラム山の近くはすぐ海だろう。山から見るとわかるんだが、水平線までずっと海岸線が続くのが見えるんだ」
「あそこはとても入り組んだ形をしていると聞くが……」
「うん。しっかりと覚えているよ。まるで巨大な大蛇のようだった」
「…………それで?」
ヴォルフが促すと、イーニャは顔を上げたまま指を差した。
巨大化した月の地表を指し示す。
よく見ると、海のような真っ青な青が見える。
さらに深緑の緑、あるいは砂漠、あるいは雪のような白い色が、月の表面を彩っていた。
イーニャが示したのは、その一画だ。
海と陸地の間に、複雑に入り組んだ入り江が見える。
まさにのたくった蛇のような……。
「そっくりなんだ。あたいが山から見た形と、あの月の一画に見える海岸線の形が……」
ヴォルフはひやりとして、改めて空を望んだ。
背筋が凍る。
その蛇が背骨を這うような感覚に襲われ、ゾッとした。
「まさか……」
ヴォルフは息を飲む。
横でミケも気付いたのだろう。
『もしかして、あの月にゃ――――』
「ああ。あたいの記憶違いでなければ、あれは――――」
「まさか――――」
ストラバールだというのか…………。
だが、間違いない。
ヴォルフにも見覚えのある地形があった。
島国ワヒトだ。
イーニャと同じく、山に登った時に見た形と、地図で見たワヒト王国の形が、そのまま当てはまったのだ。
「そんな月がワヒト王国だったなんて」
『いや、それは違うんじゃにゃいか、ご主人』
「え?」
「そうだよ、師匠。あたいたちがよく見ていた月は、ストラバールじゃない。あれはおそらくここ――――エミルリアだったんだよ」
「第二の世界エミルリアは、俺たちが知る月だったってことか」
ヴォルフは呆然とする。
いきなりのスケールの大きい話に、頭が沸騰した。
なんとか冷静になろうとする。
だが、思い浮かぶのは最悪のシナリオだ。
月が――いやストラバールがあれだけ大きくなった。
それはつまり、離れていたストラバールとエミルリアの距離が縮まったということだろう。
原因は解放された愚者の石の力に違いない。
それによって、エラルダは天上族となり、さらには離れていたストラバールとエミルリアとの距離が近づいたのである。
いずれにしろ、このままでは両世界が潰れる。
それでは、愚者の石を望んだ者たちの願い通りになってしまうだろう。
「師匠、どうする?」
『ご主人……』
「正直に言うとわからん」
伝説クラスの力を手にしたヴォルフとて、今の状況を反転させるアイディアが浮かばない。
ただ――――。
「方法がないわけじゃない」
「それは?」
『なんにゃ? ご主人』
「レミニアに会う」
「『――――!!』」
ミケとイーニャが目を合わせた。
ヴォルフは真剣な眼差しのまま口を開く。
「レミニアなら、この状況を打開できる方法を知っているはず。なんせうちの娘は【大勇者】な上、天才だからな」
「こんな時に親馬鹿かよ」
『ご主人らしいな』
イーニャが笑えば、ミケは耳の後ろを掻いて呆れた。
「けど、師匠。そうは言っても、どうやってストラバールに帰るんだよ」
その通りだ。
レミニアがいるのは、ストラバール。
エミルリアとの距離が近づいたとはいえ、いくらヴォルフでもジャンプして届く距離ではない。
また小さなレミニアの知恵を授かりたいところだが、ここに来る前にその魔力は完全に消費している。
試しに呼んでみたが、全く反応がなかった。
その時だ。
「あああああああああああああああああああああ!!!!」
再びあのエラルダの声が聞こえた。
巨大なストラバールをバックに、空を横切っている。
その天使の姿をしたエラルダが向かうのは、そのストラバールだ。
どうやらエミルリアから、直接乗り込むつもりらしい。
「師匠! あれ!!」
イーニャが指差した。
天使から少し離れてついてきているのは、エミルリアの魔獣だ。
どういう原理かはわからない。
おそらくエラルダに力を与えられたのだろう。
多くの魔獣が空を飛び、エラルダとともにストラバールを目指していた。
すでに空は真っ黒になっている。
本来の空は3。魔獣の色が7。
そんな割合だ。
「やばい! あれだけの魔獣がストラバールに行ったら」
『大変なことになるにゃ!!』
イーニャとミケは頭を抱える。
絶望的な姿と状況を見ながら、ヴォルフは言った。
「俺たちも行こう……」
「いや、師匠。その方法がわからないなら」
「俺たちも天使になればいい」
「え?」
『ついにおかしくなったのか、ご主人』
1人と1匹はあきれ果てる。
だが、ヴォルフは大まじめだった。
「考えてもみてくれ。俺たちは、愚者の石の力を解放した。そうして、エラルダは天上族となった。そのために生まれたからあの姿なのだろうけど、その力の恩恵を受けたのは、エラルダだけじゃないはずだ」
「え? それって、まさか――――」
「そうだ、イーニャ。俺たちにも受けているはずだ。同じ力を浴びたなら、俺たちにだって、ストラバールに渡ることができるはず」
「いや、道理はそうなのかもしれないけど…………いや、道理もおかしいとはおもうけど、でも――――」
だが、ヴォルフは弟子の意見を全く聞いていなかった。
ヴォルフはゆっくりと精神を統一する。
自分の中の魔力を回した。
イメージするのは、ストラバールへと渡る力。
そのために必要な形を思い浮かべる。
その時、ヴォルフに変化が起きた。
淡く光を帯び始める。
その変化に、イーニャとミケは目を剥いた。
すると、ヴォルフの背中が光り出す。
肩甲骨の辺りから、何か光の塊のようなものが浮き出てきた。
それはゆっくりと広がり、ヴォルフの背後の風景を隠す。
『げげ! ご、ご主人!?』
「す、すげぇ! すげぇぞ、師匠!!」
ミケは驚き、イーニャは目を輝かせ、憧憬の眼差しを送った
深い集中の最中にいたヴォルフは、目を開く。
背中の熱さに気付くと、そっと振り返った。
「げぇ! これは――――」
羽だ!
大きな羽が、ヴォルフの背中から生えていた。
「まさかこんな力が…………」
それは、実は奇跡の産物だった。
ヴォルフはその時愚者の石の力だと思っていたが、後日この光の羽の正体を知ることになる。
実は、これもまたレミニアがかけた強化魔法の1つだ。
エミルリアから帰れなくなった時に、ヴォルフが戻ってこられるように。
ヴォルフが強く、レミニアの元に戻りたいという意識がなければ発動しない魔法であったが、それが偶然にも起動したのである。
「よし! 行くぞ、2人とも」
「おう! 格好良くなった師匠!!」
イーニャはノリノリだ。
だが、横でミケはジト目で見つめていた。
羽が生えたアラフォー冒険者を。
『なんかシュールにゃ……』
と言いながら、ミケはヴォルフの頭に乗る。
イーニャはお姫様だっこされた。
赤狼族の娘の顔が赤くなる。
「行くぞ!!」
ヴォルフは羽を動かす。
力強く羽ばたくと、一気に上昇した。
「うわあああああああ!!」
『にゃあああああああ!!』
側で相棒たちが絶叫する一方、ヴォルフは真剣な眼差しでストラバールを見つめていた。
今行くぞ、レミニア!!
きっとこの状況において、困っているのはレミニアも同じだ。
だから、力を貸してもらうと同時に、ヴォルフはレミニアの力にもなろうと誓うのだった。
ミケも言ってるけど、絵面にしたらシュールだなw
コミカライズ始まりました。
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