第218話 不穏な宣言
レイルは自ら膝を突いた。
その場であぐらを組む。
依然として袈裟に斬られた傷口からは赤い鮮血が滴っていた。
息は上がり、顎も開いたままだ
鼻筋に脂汗が流れていく姿に、先ほどまでの【勇者】としての威厳はない。
それ相応の年齢を重ねた老人が、ただ座っているようにしか見えなかった。
「エラルダ、すまん。レイルを回復させてやってくれ」
「よろしいのですか?」
エラルダはハッとして顔を上げる。
「ああ。……こいつには聞きたいことが山のようにあるからな」
ヴォルフはレイルに向き直り、眉間に皺を寄せて睨む。
表情に「回復させてやってくれ」と言った男の慈悲はない。
まるで大罪を犯した咎人の前に立つ、拷問官のような威厳があった。
しかし、ヴォルフの計らいを断ったのは、レイル自身だ。
待ったをかけるようにして、手を前に出す。
相変わらず苦しそうだったが、ヴォルフの視線を受け止める瞳は、今だ獣のような獰猛さを秘めていた。
「……わかった。すまん。エラルダ」
「は……。はい……」
エラルダは引き下がる。
少しホッとした様子だった。
「では聞かせてもらおうか。俺が娘に騙されているとはどういうことだ?」
はっきり言えば、唾棄して然るべき言葉だ。
もう語るべくもないが、ヴォルフにとってレミニアは最愛の娘である。
その愛娘に「騙されている」など、たとえ冗談でも聞きたくなかった。
ただ床に座り、何もできない老人を見ているだけでも、怒りが湧いてくる。
「ぐふふふ……。まずは祝意を述べよう。おめでとう、ヴォルフ・ミッドレス」
「お前、ふざけているのか?」
ヴォルフはまさに狼の如く猛る。
だが、レイルは表情を変えずに言った。
「お前は誇っていい。私を倒したのだ。私の実力は語るまでもない。戦ったお前ならわかるだろう」
「……同じだ。あんたは、娘と同じだ」
SSの力があった。
認めねばなるまい。
魔獣の王ジフ。
そしてこのレイルは、間違いなくSSランクの力があった。
それはつまり、【大勇者】であり、娘であるレミニアと同等であることを認めることだ。
「そうだ。そしてお前は、その上をいった。それはつまり――――」
前人未踏のランクに到達したということになる。
「それは――――」
「違うというのか? お前はジフを倒し、私をも凌駕した。立て続けにSSランクの敵と戦い勝利したのだ。誇って良かろう。いや、むしろ己自身を讃えるべきだ」
「違う! 俺の身体には、娘の強化魔法が……」
ヴォルフが言いかけると、レイルは大口を開けて笑った。
「かははははは! なるほど。伝説に至った男も、魔法についての知識はまだまだと見えるな」
「どういうことだ?」
「気付いていないのか? 娘の強化魔法など、とっくの昔に切れておるよ」
「な――――――!!」
ヴォルフは絶句する。
後ろに控えたイーニャやミケも驚いていた。
「貴様、身体に何か違和感のようなものを抱えていただろう」
ヴォルフはハッと顔を上げる。
そう。身体が噛み合わない感じが、エミルリアに来る前からあった。
レイルの言うことが間違っていなければ、もうその頃にはヴォルフの身体にかかった強化魔法は、切れていたということになる。
「だが、エミルリアに来る前に、娘が俺の言葉に応答した。あれは、レミニアの強化魔法の1種じゃ……」
エミルリアに来る前。
ラーナール教団のアジトで、ヴォルフはレミニアの強化魔法の1つと思われる魔法を使用し、転送装置の解析を行った。
あの時、強化魔法がかかっていたことになる。
「おそらくだが、強化魔法の一部がキャンセルされたのだろう。ここに来る前に、何か拒否系の魔法や、魔力の運用を阻害するレベルの呪いを受けなかったか」
「あ!! メカールとの一戦か」
暗殺者にして、死霊術者であるメカールとの戦い。
あの時、ヴォルフは膨大な量の死霊を浴びてしまった。
もしかしたら、あの瞬間レミニアの強化魔法が剥がれたのかもしれない。
メカールはSランクの術者だった。
レミニアには及ばないまでも、その強化魔法に影響を及ぼすぐらいならできるかもしれない。
それに思えばあれからなのだ。
何か身体に違和感を感じていたのは……。
「だが、お前はそれからも戦い続けた。そして、私とジフを倒した。……もう反証は見当たらぬであろう。認めよ、ヴォルフ」
お前こそ伝説にふさわしい……。
もう認めねばならない。
自分はついにSSSランクに至った。
娘以上の存在になったのだ。
これで胸を張って、レミニアの勇者と言える。
けれど、ヴォルフの胸は晴れやかではない。
伝説的な勇者を己の手で斬ったからというのもある。
こんな形で、SSSランクにはなりたくなかった、と。
それに今目の前には、達成感をぐちゃぐちゃにするような疑義を投げかけた者が座っている。
SSSランクになった高揚感よりも、まず目の前にいる男を問いただすほうが先だった。
「レイル……。俺のことはいい。もう1度言う。娘が俺を騙しているとはどういうことだ?」
「わからぬか? ふふ……。呑気な伝説もあったものだ。なあ、ヴォルフ・ミッドレス」
「早く答えを言え!!」
ヴォルフは勝者だ。
レイルとヴォルフ――その2人の立ち位置から見ても、明らかだろう。
だが、お互いの表情は対照的だった。
レイルは笑い、ヴォルフは何か悔しそうに見える。
これではどちらが敗者なのかわからなかった。
「お前は考えたことがあるか? 何故、レミニア・ミッドレスがお前に強化魔法をかけたのか?」
「それは1人で暮らす俺を心配して……」
「なるほど。めでたいヤツだ。田舎で暮らす父親を心配するなら、その田舎に大規模な結界を貼れば済むだけの話だ。実際、【大勇者】にはそういう力があったはずだな」
「あっ…………」
確かにニカラス村には、レミニアが貼った強力な結界が張られていた。
レイルの言う通り、ヴォルフを守るためならそれが現実的だろう。
「なのに【大勇者】は、他の干渉がなければ恒久的に張れる結界よりも、いつ切れるかわからない強化魔法をお前にかけ続けた。それは何故だと、私は問うているのだ」
「それは、俺を強く……。レミニアが、俺を勇者に――――」
「では、何故お前を選んだ?」
「え?」
「お前の経歴はすでに調べた。元々パッとしない冒険者だったそうだな。最高ランクがDランクというのも、実に平凡だ。……もう1度問うぞ。ならば、何故娘はDランク風情の――しかも、引退したアラフォーの冒険者に、自分の力を託した。【大勇者】がこうなることを予期し、自分以上の勇者を育てたいというなら、もっと適切な人材がいたはずだ。例えば、五英傑の【英雄】ルーファス・セバットのような――な」
うっ――思わずヴォルフは唸った。
喉元にナイフでも突きつけられたかのようだ。
レイルが喋るたびに、ヴォルフは追い詰められていく。
【勇者】と言われた伝説の姿は、すでに見る影もないはずなのに、どんどん沼に嵌まっていった。
「そんなことはねぇ!!」
ヴォルフが固まる中、声は後ろからした。
耳と尻尾を逆立たせたイーニャが、親の仇みたいにレイルを睨んでいる。
大股でのっしのっしと歩いてくると、ヴォルフの横に立った。
「なんだ? 紅狼族の娘よ」
「そんなことはない! 師匠が、ルーファスより劣ってるなんてあり得ない」
「事実だ。こやつがルーファスと同じぐらいの年との功績を見比べれば、一目瞭然であろう」
「確かにルーファスはデカい功績をあげた。いっぱい勲章をもらったことも知ってる。みんなから喝采も受けていた。でもな! 師匠だって、あたしや他の冒険者から一目置かれていた。なくてはならない人なんだよ!!」
「話にならんな……」
レイルは首を振る。
「話にならないのは、レイル! あんたの方だ! なんでレミニアが師匠を選んだかって? そんなの簡単だろう。レミニアには、他人の評価や功績とは違う部分で、師匠を買ってるところがあったってことだ! 結果を見てみろ! 実際、師匠はSSSランクになった。そもそもそう認めたのは、レイル! あんたじゃないのかよ!!」
イーニャはまくし立てる。
いつも口よりも手が先に出る【破壊王】が珍しく正論を唱えた。
後ろでミケもうんうんと頷き、同意する。
横で見ていたヴォルフも驚き、ちょっと照れくさくなって、頭を掻いた。
だが、レイルは退かない。
またもや口を開けて笑った。
「なかなか勇ましい弟子を持ったな、ヴォルフよ」
「ああ……。じゃじゃ馬過ぎて困ってる。けど、今のイーニャの言葉が間違っていないと、俺は信じたい」
「師匠……」
「ありがとな、イーニャ。……レイル、俺はあんたの言葉ではなく、ここにいるイーニャの言葉を信じる。そして真実を知りたいと思った時、俺はレミニアの口から真実を聞くつもりだ」
「ふははは……。これでも私なりに気を遣ったのだがな。娘の口から聞くよりは、衝撃が少なかろう」
「あんたが決めることじゃない」
ヴォルフは明確に否定する。
その表情はいつものヴォルフに戻っていた。
レイルは1度低く唸ると、再び口を開く。
「良かろう。だが、私が言いたいのは、人の問題などではない。あの娘にとって、父か英雄かなど、些細なことに過ぎなかっただろうからな」
「レイル……。はっきり言え。お前、何が言いたい」
「お前達は、賢者の石あるいは愚者の石について、どこまで知っている?」
「それは――――」
ヴォルフもイーニャも言葉に詰まる。
「その反応からして、どちらの石も強力な魔力や、奇跡的な力を持つものの魂が必要だと気付いているようだな」
「あ……」
ヴォルフの口から思わず声が漏れ出る。
改めて賢者の石や愚者の石の精製の仕方を聞いて、何か違和感のようなものを感じたからだ。
いや、違和感どころではない。
もはや確信めいていた。
「まさか――――」
「ようやく気付いたか、ヴォルフ・ミッドレス。そうだ。何故、レミニア・ミッドレスがお前を鍛え上げたのか。答えは意外と簡単なのだ」
やめろ……。
ヴォルフは心の中で唸る。
先ほどまで感じていたレミニアに対する絶大な信頼。
それがレイルの言葉を聞いた瞬間、硝子のように壊れていく危険を感じた。
そして、無情にもその言葉は、ヴォルフの心を切り裂く。
「そうだ。ヴォルフ・ミッドレス。お前こそが、賢者の石にふさわしい素体なのだ……」
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