第216話 伝説の力
ヴォルフはガズ――かつてレイル・ブルーホルドと呼ばれた男に刀を向ける。
挑戦を表明するアラフォーの冒険者を見て、レイルは口端を歪めた。
怖じ気づくのかと思ったが違う。
初めて【勇者】という称号を与えられた男は、1度玉座に戻る。
側にあった鞘を掴んだ。
ゆっくりと鞘に収まっている刀身を引き抜く。
見事な刃紋とわずかな反り。
さらに拵え……。
かなり古いが、刀であることは間違いない。
おそらくエミリの祖先が鎚ったと聞く刀だろう。
レイルは再び玉座を降り、ヴォルフの前に立ちはだかった。
「本当にやる気か、あんた」
不気味だ。
レイルが【勇者】と呼ばれていたのは、200年前。
その後、エミルリアに戻り、どう過ごしていたのかは、想像もつかない。
ブランクは? その刀のメンテナンスは? 本当に戦っていいのか?
ヴォルフの中に迷いが生じる。
それも無理はない。
何せ今目の前にいるのは、かつての自分の憧れ……。
【勇者】レイル・ブルーホルドなのだから。
だが、その迷いを打ち払う出来事が起こる。
「来ないのか、ヴォルフ……?」
すでに我が間合いだぞ……。
レイルは囁く。
ヴォルフは全身の毛が立つのを感じた。
その通りだったのだ。
いつの間にかレイルが、すぐ目の前に立っていたのである。
「でやぁぁあああああ!!」
裂帛の気合いが、空間を走る。
躊躇なくレイルは刀を振り下ろした。
その剣筋は鋭い。
だが、ヴォルフとて、ぼうと見ていたわけではない。
最速最短……。
【無業】!!
甲高い剣戟の音が響く。
互いの魂をかけた一撃は、空を滑り、音にわずかな余韻を残した。
ギリギリと刃同士が組み合う。
「(強い……)」
レイルの膂力に驚く。
ヴォルフはパワーアップした。
娘の強化によって、そして先ほどのジフ戦で。
ジフに勝利したことによって、自分の中の殻を破れたと、ヴォルフには確信があった。
それでもなお、目の前にいる男の膂力は凄まじい。
先ほどの剣筋も荒削りだったが、鋭かった。
「(誰かさんにそっくりだ……)」
本人に言えば、烈火のごとく怒っただろう。
だが、ヴォルフは思い出さずにはいられない。
白骨化したような白髪を、深い闇夜の中で揺らす少女の姿を。
ヴォルフが思い出したのは【不死の中の不死】カラミティ・エンドのことであった。
無理もない。
レイルはカラミティの血を受けている。
さらに元はエミルリアに君臨した天上族だという。
カラミティの力と、ヴォルフが助けたあの女の力。
その2つを備えているということになる。
ストラバール最強の血族。
エミルリア最強の種族。
その2つが合わさったのなら、強くないわけがない。
ブランクなど気にする必要など、端からなかったのだ。
ギィン!!
甲高い音が響く。
退いたのはレイルの方だった。
打ち合った刃を確かめながら、その口を動かす。
「メーベルン刀術【無業】か。最速を以て、最短を穿つ。カウンター系の技術だが、防御にも使えるのか。なかなか利に適った術理だ」
「それはどうも……。師範が聞いたら、喜ぶよ」
「だが、もう2度見た。それで十分だ」
レイルは再び飛び出す。
だが、ヴォルフにとって好機だ。
ジフ戦と違って、相手は人――いや、正確には人ではないのだろうが、人の形をしていることに間違いはない。
メーベルン刀術は元々魔獣を倒す事に適した術理ではない。
むしろ対人。
特に刀を持った相手には、最大の威力を発揮する。
あの麒麟児にして【剣聖】――ヒナミ・オーダムですら、舌を巻いた程だ。
いくら相手が元【勇者】とて、通じないわけがない。
「(今度はカウンターに合わせる)」
ヴォルフは【カグヅチ】を鞘に収める。
向かってくるレイルに対して、自然体を維持した。
レイルがキルゾーンに侵入する。
その瞬間、ヴォルフの【カグヅチ】が閃いた。
いや……。そのはずであった。
【カグヅチ】は抜かれなかった。
技の発生の前、レイルがその柄の先を押さえ付けたのだ。
「なに!!」
ヴォルフは驚くしかない。
さらにレイルは柄に力を込める。
たまらずヴォルフは、鞘の腰紐に引っ張られるような形で膝立ちになった。
刀を押さえ付けられたまま、レイルが繰り出したのは斬撃などではない。
片足で【カグヅチ】を押さえ付けたまま、レイルは腰を切って、ヴォルフのこめかみに向かって蹴りを見舞った。
クリーンヒットすると、ヴォルフは吹き飛ばされる。
そのまま柱に叩きつけられた。
「ガハッ!!」
凄まじい衝撃に、ヴォルフは血を吐く。
レミニアが見れば、たちまち顔面蒼白になっただろう。
だが、その彼女の強化によって、ヴォルフの傷付いた内臓が修復されていく。
『ご主人!』
「師匠!」
ミケとイーニャの声が、ヴォルフの耳に届く。
見ると、エラルダが心配そうに見つめていた。
ヴォルフは立ち上がる。
口元の血を拭い、口内に残った血を吐き出した。
「大丈夫だ……」
「それが【大勇者】が施した強化魔法の1つか。ジフも大概化け物であったが、お前も相当化け物だな」
「あんたに言われたくない」
「ふむ……。確かに……。だが、身体は一級品でもまだまだ経験が追いついていない」
「なに……?」
レイルは刀を無造作に掲げたまま微笑む。
「最速最短の刀術といえど、刀が消えるわけではない。技の発生さえ見極めることができれば、無力化することは可能。それに貴様……。我が刀を使うと侮っただろう。その思い込みの時点で、すでに私に負けている。これぐらい初歩中の初歩だ。お前、その年でありながら、一体何をこれまで学んできた」
「…………っ!」
悔しい……。
ぐうの音も出ない指摘だった。
【無業】の弱点。
ヴォルフの思い込み。
そして、経験の不足。
どれもヴォルフ自身も感じていたことだった。
誰もがヴォルフの経験値は高いという。
年の功ということだろう。
特にイーニャは絶対の信頼を置いている。
確かに、ヴォルフは15年以上冒険者をやっている。
ベテランといってもいいだろう。
だが、それはあくまでDランク冒険者としての経験だ。
レミニアによって強化され、そこから急成長し、数々の難敵と対峙してきたのは、ここ1年ぐらいのことである。
圧倒的に強者と戦った経験値が、足りないのだ。
これまでレミニアの強化でどうにかなっていた。
だが、今ヴォルフの目の前にいる敵は違う。
今まで対峙してきた誰よりも経験があり、長く生きている。
それに比べれば、Dランク冒険者として生きた15年すら短いだろう。
おそらく今、彼の経験を越えられるものはいない。
「ふふふ……」
身体能力も互角。
技術は多少上でも、ほぼ互角と言って差し支えない。
頼りの経験値は、向こうが圧倒的に上だ。
ヴォルフより遥かに強い。
考えてみれば、当然のことかもしれない。
それでも笑わずにはいられなかった。
声にこそ出さなかったが、素直に嬉しかったのだ。
今、眼前で自分に刃を向けているのは、本物の【勇者】レイル・ブルーホルド。
伝説と戦えていることに、ヴォルフは歓喜していた。
昔の仲間が聞いたら、一体どう思うだろうか。
「師匠、大丈夫か? あたしも――――」
「イーニャ、悪いが手を出さないでくれ」
「え? でも――――」
「楽しいんだよ。このままやらせてくれ……」
「私は構わんぞ、ヴォルフよ」
「いや、あんたを倒すよ……」
俺の刀で……。
ヴォルフは立ち上がる。
そして1つ決心した。
もう1度さっきの技を……。
勝機はそこしかない。
そしてヴォルフは再び水となった。