第215話 おっさん、溶ける
『ご主人!! あっちも――』
ミケは叫んだ。
再びジフと対峙する主人を慮る。
しかし、ミケは満身創痍の状態である。
ジフに刻まれて、雷獣化する力すら危ういところだった。
一方、ヴォルフは振り返らなかった。
ただ広い背中を見せたまま口を開く。
「ミケ……。安心しろ。ロカロさんの仇は俺が討つ」
『くっそ!』
ミケは無理矢理動かそうとする。
気力を吐き出し、ジフに対する憎悪を再び燃やしても、身体は悲鳴を上げて、言うことを聞かなかった。
結局ミケは諦める。
だが、自分の前に最後の雷精を収束させた。
それをヴォルフが握っている【カグヅチ】に纏わせる。
『あっちの最後の力にゃ』
「ありがとう、ミケ」
『ごめんな、ご主人』
ミケは意識を失う。
膨大な魔力が切れ、大猫に戻ってしまった。
「十分だ……」
お前の思いを受け取った。
ヴォルフはジフを見据える。
いや、ずっと魔獣の王と向かい合っていた。
対するジフもまた牙を剥きだし、ヴォルフを威嚇している。
それを見て、ふっと笑ったのは、教祖ガズ――かつてレイル・ブルーホルドといわれた男であった。
「相棒の援護なく……。その状態で勝てるのか、ヴォルフよ」
安い挑発であった。
先ほどまで怒り心頭だったヴォルフをさらに焚きつけるには十分だろう。
しかし、ガズの企みは空振りに終わる。
ヴォルフの今の心境を、一言で表すのは難しい。
怒りがないわけではない。
ガズに対する怒り。
ロカロを殺したジフへの怒り。
それだけではない。
聖戦総司令官としての責任感。
いつか娘を越えなければと思う向上心。
恋人のこと。
仲間のこと。
弟子のこと。
世界のこと。
今、きっとヴォルフの背中には、多くのものが乗っかっている。
そして彼は、あまりに重すぎるそれらを、投げ出すことなく律儀に担ぎ、押し潰れる寸前になっても持ち続けていた。
だが、ヴォルフがこれまで成長してきた理由の1つは、それらを重荷と思わなかったことだろう。
冒険者時代、ヴォルフは何も期待されてこなかった。
けれども、今は違う。
多くの人が期待してくれている。
レミニアを託したあの謎の女も含めてだ。
ヴォルフはそれを敏感に感じていた。
だからこう考えていたのだ。
それ故に、剣が鈍っていると……。
ヴォルフはガーファリアと戦って以来、妙な違和感に囚われ続けていた。
何を斬っても、一抹の空虚感を感じる。
それはかの有名な殺し屋『傀儡使い』メカール・メーカルとて例外ではない。
苦戦はしたが、すべてを出し切ったかと言われればそうではなかった。
いや……すべてを出し切るぐらいでは、もうヴォルフは満足していなかったのだ。
ヴォルフは心の奥底で“敵”を求めていた。
己を高次元に引き揚げてくれる好敵手を。
鍛錬だけでは得られない、剣士としての成長を……。
心から満足できる相手と、向かい合うことを――。
「(おそらくここだ……)」
ヴォルフは自分が立っている場所に目を落とす。
ここにある、と確信した。
伝説のSSSへと向かう道。
娘を越える冒険者となる道。
そして、今目の前にいる敵を越える道……。
ここだ。ここにあるのだ……。
そうヴォルフは確信し、【カグヅチ】を鞘に収めた。
いつも通りの【無業】の構え。
最速最短を切り裂くヴォルフ必殺の技。
しかし、その攻撃は1度破られている。
たとえ、精神が落ち着いていたとしても、かの魔獣に通じるとは思わない。
故にヴォルフは歩き出した。
待つのではない。
ゆっくりと己の眼に刻まれた道を歩き出す。
黄金に輝く道……。
伝説に至る道……。
この道はあくまでイメージ。
ヴォルフが見る勝利の心象風景だ。
それは強烈に伝播し、他者をそのイメージの中に引き釣り込む。
「師匠!!」
その時、陽動を終えたイーニャがやって来た。
光り輝く道を見て、息を飲む。
それは側にいたエラルダにも、さらに教祖ガズの眼にも映っていた。
黄金の道は見たものは、等しく圧倒される。
そしてこの伝説の前に、数々の好敵手がヴォルフに敗れさってきた。
だが、まだその黄金を見ぬものがいる。
ジフだ。
ゆっくりと近づいてくるヴォルフを威嚇している。
それは獣ゆえに、ヴォルフが見せるイメージを共有できていない――というわけではなかった。
単純に、かの魔獣の王を倒すことに、まだヴォルフのイメージが追いついていないだけの話だ。
ヴォルフの道は確かにジフに向かっているが、イメージが途切れている。
まるで闇に阻まれるように黒く塗りつぶされていた。
しかし、それでもヴォルフは進む。
たとえ光が己を照らさなくても……。
未知の領域だとしても……。
ヴォルフは進む。
特別なことではない。
彼はずっとそうしてきた。
いや、正確には違うだろう。
あの日、あの時……。
あの瞬間――。
あの女を助けようとした時からずっと――ヴォルフは、常に勇敢だった。
退くことなく、ただ己が信じた道を歩き続けた。
今までずっとやってきたことを、今するだけ。
ヴォルフにとって、それは日常と変わらない。
たとえ、アラフォーの冒険者になってもだ。
「(これじゃあ、ダメだ……)」
歩きながら、ヴォルフは否定した。
今のままではジフに勝てない。
踏み出すだけでは何も変わらない。
もっと根本的に変わる必要があった。
もっともっと勝利のイメージに近づきたい。
そのためには歩くだけでは足りない。
勝利に溶けるように。
この黄金の道と一体化するように。
そう……。
水だ。
水のようになる。
流れるまま……。
身体が動くまま……。
魂が震えるままに……。
水のように溶ける……。
シュ――――――ン!
一瞬起こったことを話すのは難しい。
ただ見ていたイーニャには、こう見えたという。
ヴォルフが溶けた――と……。
消えたというならわかる。
高速で動いた時に、目で追えなくてそう見えることは、魔法とスキル技術が進んだストラバールではよくあることだ。
実際、ヴォルフの動きは速く、何度見失ったかわからない。
けれど、今のは消えたのとは違う。
イーニャが確認できたのは、初動のほんの少し前までだ。
一瞬ヴォルフの体勢ががくりと前に揺れたと思った瞬間、まるで空間に溶け込むように存在が朧気になった。
そして、そのヴォルフがどこに行ったかといえば――。
すでにジフの後ろに立っていたのだ。
『がぅぅうぅうぅ……』
ジフは唸る。
ヴォルフの基礎能力を上回るほどの魔獣が、微動だにできなかった。
つまり、ジフが反応できなかったほど、ヴォルフは速かったのだ。
牙を突き立てることも、爪を振り上げることもできなかった。
今、見せたヴォルフの前で、最強の魔獣は文字通り手も足もでなかったのである。
そして、ヴォルフは速くなっただけではない。
『があああああああ!!』
ジフは嘶いた。
瞬間、鮮血が飛び散る。
巨体が袈裟に斬られていた。
鋼鉄の毛と鎧のような筋肉に覆われたジフの肉体に、深々と斬撃の後が残る。
もはや自動回復など効かない。
そのままジフは2つに割れ、もの悲しい断末魔の悲鳴を上げながら、地面に伏す。
魔獣の目が死んでいくのに、そう時間はかからなかった。
チンッという音が鳴る。
1度鞘に【カグヅチ】を収めたヴォルフは振り返った。
「今度はあんただ、レイル」
【剣狼】の目はまさしく狼のように光るのだった。
拙作『ゼロスキルの料理番』のコミカライズ最新話が、
ヤングエースUP、めちゃコミック等で更新されました。
読んでいただけると嬉しいです。








