第212話 最悪の魔獣
「すごい……」
エラルダは思わず声を漏らす。
強い、というのはわかっていた。
五英傑の【破壊王】イーニャが師匠と認めるほどの人物だ。
それなりの実力者だとは思っていたが、まさかジフと互角以上に戦えるとは思っていなかった。
ジフの強さは、一緒に過ごしていたエラルダも知っている。
あれ1匹だけでもストラバールに放てば、彼女も経験したことがある魔獣戦線以上の厄災を起こせるだろう。
天上族ですら、その強さに舌を巻いたと聞いている。
魔獣の王――その2つ名にふさわしい実力を持っていた。
「なのに……。どうして――――」
ジフと戦えるということですら奇跡だというのに、すでに倒しにかかろうとしているヴォルフとミケの背中を見て、恐ろしいと言うより頼もしく感じた。
だが、ジフとて黙ってはいない。
『があああああああああああ!!』
吠声を上げる。
地面を蹴ると、一直線に雷精を纏うヴォルフに向かってくる。
ヴォルフは眉宇を動かした。
先ほどよりもジフの速度が上がっていたからだ。
ヴォルフには1つ無敵のカウンター技が存在する。
それはすなわちメーベルド刀術の極意の1つである【無業】だ。
最速最短の抜刀術は、おそらくジフにも効果があるはずである。
だが、【無業】にとって重要なのは間合いのはかり方だ。
最短の抜刀術故に、敵の距離もまた最短でなければならない。
その距離がほんの少し狂うだけで、【無業】の威力は削がれてしまう。
いくらヴォルフの力が、【大勇者】によって強化され、さらに【雷王】の力を付与されているといっても、【無業】の最大値を叩き込まないことには、斬ることは不可能といっていい。
エラルダには互角以上に見えたかもしれないが、実はヴォルフもミケも、ギリギリの戦いを強いられていた。
ヴォルフはギリギリでかわす。
だが【雷王】の力は素直に応じてくれない。
1歩、いや予測よりも2歩遠い場所に着地する。
反応もピーキーだ。
少し身体を動かしただけで、何か引っ張られるように動くのに、時々全く反応しない時もある。
これはおそらく纏った【雷王】の力が、安定していないからだろう。
「くっ!!」
ヴォルフは奥歯を噛む。
暴れ牛のような力をなんとか抑え込むことに腐心する。
そこに反応したのは、ジフだ。
横に大きく逃げたヴォルフを追撃する。
まだ力に引っ張られているご主人を見かねて、ミケが雷撃を放った。
『にゃあああああああ!!』
吠声が響く。
だが、ジフはほぼ光速で打ち出された雷撃を回避する。
さらに速度を上げて、ヴォルフに迫った。
『があ!!』
爪を振り上げる。
まだ体勢が不十分だったヴォルフは【カグヅチ】で受け止めることを選択した。
爪と刃が交差する。
ヴォルフはなんとか受け止めるが、ジフは容赦なく追い込んできた。
「ぐぐっ!」
強い。
ジフの膂力は凄まじい。
加えてやはり【雷王】の力が安定しない。
徐々にヴォルフは押されていった。
「おおおおおおお!!」
裂帛の気合いで跳ね返す。
ジフが仰け反ったところで、ヴォルフは1度退いた。
だが、ジフは読んでいた。
すかさずタンッと地面を蹴ると、ヴォルフに付いていく。
「こいつ!!」
『ご主人の動きを読んだ!!』
「――――ッ!!」
ヴォルフとミケは驚愕する。
戦いを見ていたエラルダですら、大きく目を広げて動揺していた。
一方、部屋の奥の玉座に着いた男だけが不敵に笑っている。
ジフは突っ込んでくる。
そのまま突撃してくるのかと思ったが、今度は大きく顎を開けた。
鋭い牙がぬらりと光る。
「なにくそ!!」
ヴォルフは反射的に刀を振るう。
ジフの突撃を止めた。
【カグヅチ】が軋みを上げる。
かなり無理矢理だったから、刀にだいぶ負担がかかったのだろう。
それでも折れないのは、これを作った刀匠が最高の人間で、自分が愛すると決めた人の刀だからだ。
エミリが守ってくれたような気がした。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
ヴォルフは叫ぶ。
跳ね返した。
その瞬間離脱しようとする。
またジフは追いかけようとしたが、ミケの雷撃に阻まれた。
『ぐるるるるるるる……』
唸りを上げる。
どうやらジフも、獲物を思うように仕留められないことに苛立ってきているようだった。
『ご主人、大丈夫か?』
「ああ。エミリが守ってくれたよ」
ヴォルフは刀身を見つめる。
あれほど乱暴に扱ったというのに、刃こぼれ1つない。
鍛冶を少し囓った程度だが、ヴォルフにはわかる。
もはやエミリの御技は、神の領域といってもいいだろう。
『気を付けろ。あいつ、かなり頭がいいぞ』
「ああ……。魔獣の王か。だが、勝てないわけじゃない」
ヴォルフの口元に笑みが浮かぶ。
かつてない強敵と戦っているのに、ミケの目に映ったアラフォーの冒険者は実に楽しそうだった。
その顔を見て、ミケも思わず笑ってしまう。
『楽しそうだな、ご主人』
「お前もな、ミケ」
1人と1匹は不敵に笑う。
余裕がない顔をしていたのは、ジフだけだ。
早速、駆け出す。
距離を詰めてきた。
ヴォルフとミケは同時に跳び上がる。
次にジフが指向したのは、ミケだ。
おそらくミケの雷撃が厄介だと気付いたのだろう。
『上等だ。特大のを食らわしてやるニャ』
にゃああああああああああああ!!
雷精がミケの鼻先に現出する。
巨大な雷の塊を、容赦なくジフに放った。
高速で打ち出されたそれを、ジフは華麗にステップし、回避する。
速度を落とすことなく、ミケに迫った。
ジフは大きく顎門を開ける。
対するミケも口を精一杯大きく開けた。
『がるるるるるるるるる!!』
『にゃにゃにゃにゃにゃ!!』
2匹は互いの首筋に噛みついた。
牙を立てて、その皮膚を食い破ろうと迫る。
魔獣の王と、【雷王】。
それはまさに獣の№1を決めるにふさわしい競り合いである。
相棒がジフと暴れる中、ヴォルフはただじっと静観していたわけではない。
ジジジジジジジジジッッッッッッッッ!!
けたたましい音を立てて、青白い光が広い空間に広がる。
強烈な魔力量に気付いて、ジフは無理矢理ミケを引っぺがした。
後ろを振り返った時には遅い。
巨大な雷精を帯びた刀を掲げ、ヴォルフが迫る。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
再びヴォルフの裂帛の気合いが響き渡る。
それを見て、ミケはニヤリと笑った。
最初に打ち込んだ雷撃は、ジフを狙ったわけではない。
ジフの背後にいたヴォルフに、その力を授与したのだ。
その後、ミケはジフに噛みつき、動きを止める。
ミケに気を取られたジフの背後を、ヴォルフは詰めてきたというわけだ。
『終わりにゃあああああ!!』
ミケが叫ぶ。
その瞬間、ヴォルフの斬撃が振り下ろされた。
青白い光が明滅する。
『ぐるるるるがああああああああああああッッッ!!』
ジフは唸った。
すると後ろ肢で、ヴォルフを振り払う。
動きを見て、ヴォルフは後退した。
『やったかにゃ!!』
ジフは悶絶する。
ヴォルフの斬撃。
さらにミケの渾身の雷撃。
両方合わさった合技だ。
効かないはずがない。
だが、ヴォルフの顔は険しい。
「いや――――」
浅い……。
感触でわかった。
ジフはヴォルフの斬撃が当たる刹那、身体をよじって急所を外した。
いや、内臓そのものを動かし、中の臓器や骨を傷つけないようにしたのだ。
間違いなく、あの動き……。
本能的に自分の急所を理解しているのだろう。
なんという対応力……。知性……。感性……。
獣とは思えない。
中に人が乗って操っているという方がよほど納得できる。
だが、ジフに驚くのはこれだけではなかった。
いよいよ魔獣の王は立ち上がる。
ヴォルフが付けた深傷がみるみるふさがっていった。
『自動回復まであるのかにゃ?』
「あれは単純な再生能力だ。凄まじいレベルのな」
ヴォルフは剣を握ったまま汗を拭った。
魔獣の王を名乗るのだ。
これぐらいはあってしかるべきだろう。
特にジフは現れた時、いつも1匹だった。
他の魔獣が群れで出てきたのに対してだ。
単一の個体として完成されているというなら、自動回復の実装は当たり前だろう。
ジフの傷が治る。
すると、速くもヴォルフとミケに向かって突進してきた。
『調子に乗るにゃ!!!!』
ミケは雷撃を落とす。
だが、ジフは真っ直ぐ突っ込んできた。
当然雷撃を浴びる。
だが――――。
『にゃ!! 無傷??』
「いや、違う!!」
その前にミケとヴォルフは回避した。
さらにジフは執拗にミケを追う。
ミケは雷撃を食らわせたが、ジフは構わず突っ込んできた。
その身体は雷撃を食らっても、全く効果を示した様子はない。
ジフは猛々しく吠え散らかし、ミケに迫った。
ミケは足を広げて迎え討つ。
牙を見せて、威嚇した。
『にゃあああああああ!!』
『ぐるらああああああ!!』
2匹の獣は交錯する。
勝負はすぐに着いた。
ミケが吹き飛ばされたのだ。
【雷王】の身体から鮮血がほとばしる。
しかし、空中でくるりと回転すると、ミケは地面に着地した。
「大丈夫か、ミケ」
『心配すんにゃ! これぐらい唾付けたら治るにゃ。それよりも、あいつ……あっちの雷撃が効かないってどういうことにゃ?』
「進化したんだ……」
『進化??』
「おそらくだが、効いていないわけじゃない」
レミニアによって強化されたヴォルフの目には見えていた。
雷撃を受けた瞬間、ジフの肌が炭化した後、一瞬にして再生していたのを。
『自動回復に自動進化なんてさすがにズルいにゃ!』
ジフの一番の特徴は進化なのだろう。
強い獲物に出会った時に、自ら身体を昇華させて、機能の拡充もしくは増幅を促す。
「確かに……。魔獣の王だな」
『ご主人、どうするにゃ?』
「……エラルダ!」
ヴォルフは突然エラルダを呼んだ。
突然のことで本人も驚き、思わず肩をびくつかせる。
「な、なんでしょうか?」
「君に2つ頼みがある。1つはミケを治療してほしいこと」
「それは構いませんが……。もう1つは――」
「君に手伝って欲しい」
このジフを倒すのを……。
ヴォルフは刀を返し、ジフを睨めつけるのであった。








