第209話 聖女と片羽根
集落を出て、ヴォルフ一行はあてどなく歩いていた。
ここはエミルリアだ。
地図もなければ、土地勘もない。
ヴォルフたちができることといえば、歩くことしかなかった。
「ヴォルフさん、どこへ向かってるんです?」
顔を上げたのは、エラルダだ。
深緑の森に注ぐ木漏れ日が、明るく彼女を照らしていた。
「そうだな……。それを知るために歩いてるってとこだな」
「?」
エラルダは首を傾げる。
すると、ヴォルフは立ち止まった。
同じくイーニャとミケも辺りに鋭い視線を放つ。
わかっていなかったのは、エラルダだけだ。
「出てこいよ。いるのはわかってる」
ヴォルフは構えを取らず、声を森に響かせた。
茂みが揺れ、巨木の裏から影が伸びる。
現れたのは、黒いローブを着た男女だった。
ヴォルフたちがエミルリアに来て、初めて出会ったラーナール教団である。
「聖女様、どうかお戻りを……」
1人の信者が進み出る。
手を掲げていざなった。
その先にいたのは、エラルダだ。
【聖女】というのは、五英傑だった彼女の綽名だ。
しかし、ここに至っては違う。
異質な響きに、ヴォルフはただならぬ予感を感じていた。
そもそもエラルダは、集落でもそう声をかけられていたからである。
そのエラルダはピクリと身体を縮こまらせる。
やや怯えるような目で、信者を見つめた。
「もう少し……。もう少し時間をいただけませんか、バイック」
エラルダは信者の名前を呼ぶ。
バイックは顔を顰めた。
「聖女様、このままでは教祖様に我々が叱られてしまいます」
「それでも……」
「ダメです」
「脱ぎますから」
「はしたない! ……わがままが過ぎますぞ、聖女様。それとも、周りにいる輩に何か脅されているのですか?」
「そんなことはありません。ただ――彼らが、ヴォルフさんが向かう道は、この世界の向かうべき道のような気がしているからです」
エラルダはきっぱりと言い放つ。
その言葉にバイックだけではなく、ヴォルフ自身も戸惑っていた。
「やはり何かあるのですね」
バイックから返ってきたのは感銘ではない。
単なるため息だった。
「違います」
「エラルダ、そこまでだ」
ヴォルフは手で制す。
これ以上の問答は無意味に思えた。
「こいつらはエラルダを人間とも、羽なしとも、聖女とすら思っていない」
「え……?」
「物だ」
ヴォルフは断言する。
その言葉に、バイックはかすかに笑った。
「そんなことはありません。彼女は聖女。ラーナール教団になくてはならないお方……」
ヴォルフの眉間が動く。
エラルダは俯き、肩を振るわせる。
各々の反応を見て、バイックはまた笑った。
「おや。知らなかったのですか? エラルダ様はラーナール教団における№2。教祖ガズ様の次に、我ら信者に信奉されている方なのだ」
「それぐらいわかっていたさ」
そう。ヴォルフは薄々気づいていた。
彼女がラーナール教団に近い人間であることを。
それでも側にいたのは、エラルダの目だ。
「彼女はずっと訴えていた。助けてほしい……と――」
「――――ッ!」
エラルダは息を飲む。
「最初はわからなかった。でも、エラルダから話を聞くうちに、なんとなくわかった。彼女の『助けて』の意味が……。彼女は自分を助けてほしいなんて、これっぽっちも思っていない。きっとこう言いたかったのだ」
この世界を助けてほしいって……。
ヴォルフの言葉を聞いた瞬間、エラルダの目から涙がこぼれ落ちる。
その肩を抱いたのは、イーニャだった。
彼女もまたエラルダの辛さを知っていたのだ。
「イーニャさん?」
「久しぶりに会った時に、あたしは気付くべきだったんだ。エラルダとの付き合いは長いのに……。ごめんな。ずっと辛い思いをしてたんだな」
エラルダは咽びなく。
きっかけは五英傑と出会った事だった。
ストラバールでの生活の記憶。
仲間たちとの冒険。
その宝石のような体験が、エラルダの脳裏にずっと残っていた。
故に疑問をもった。
果たしてエミルリアはこのままでいいのか、と。
そして歯がゆかった。
自分がその地位にいながら、何もできない聖女であることを……。
この世界の“常識”という敵の前に、無力さに打ちひしがれ、そしてただただ絶望するしかなかった。
だが、昨夜のヴォルフの話を聞いて、エラルダは思い出す。
自分がかつて同じことを思った事を。
「信奉というなら、何故彼女の声を聞いてやらない。何故、エラルダの言葉を拒絶する。答えを先に言ってやろう。お前達は、聖女の神の声を聞いても、エラルダの人間としての言葉を聞かなかったからだ」
やがてヴォルフは剣を構えた。
後ろでイーニャもミケも戦闘態勢に入る。
「俺たちが守るのは、聖女エラルダじゃない。人間エラルダなんだ」
ヴォルフの言葉に、バイックは舌打ちする。
「鬱陶しい無神論者め。どうやらストラバールから来たようだが、ここでは異物でしかないようだ。……おい、お前たち。離れていろ」
最後の台詞は別の信者に放ったものだ。
信者たちは指示通りに大きく下がり、姿を消した。
その反応を見て、ヴォルフの後ろに隠れていたエラルダが叫ぶ。
「バイック、止めなさい! この人たちを傷つけてはダメです」
「あなたが悪いのですよ、聖女様。あなたが本山に戻らないというなら、力尽くで連れ戻すだけです」
バイックは手を光らせる。
魔法か、と思ったが違う。
どうやらエミルリアにおける別体系の力らしい。
直後、音が聞こえた。
無数の音だ。
あちこちから聞こえてくる。
ヴォルフ、イーニャ、ミケはエラルダを守るように隊形を作る。
三方に視線を送り、警戒した。
「来るぞ!!」
ヴォルフが叫ぶ。
途端、出現したのは、あの森で出会った魔獣である。
巨大な獅子を思わせる魔獣が10体以上、ヴォルフたちを囲み、唸っていた。
「くははははは!! どうだ? 少しは出来る冒険者のようだが、これほどの魔獣では一溜まりもあるまい」
バイックは胸を張って、大笑した。
だが、ヴォルフは薄く微笑む。
イーニャもまた同じだった。
「馬鹿か、おめぇ」
「なに?」
「飛んで火に入る夏の虫はてめぇなんだよ。あたしたちが闇雲に歩いていたと思ってるのか?」
「…………!」
「すべてはお前達をおびき寄せる餌だ」
刀の切っ先をバイックに向ける。
「案内してもらおうか。ラーナール教団の本山という場所に」
「黙れ、異物! 行け!!」
バイックは信奉を捧げる魔獣たちに、乱暴に命令を下す。
その声に魔獣たちは動いた。
一斉にヴォルフたちに飛びかかってくる。
ヴォルフは襲ってきた魔獣を一刀のもとに切り伏した。
イーニャもミケも戦況はいい。
「師匠! こいつら大したことないぞ」
「油断するな、イーニャ。お前の悪い癖だ」
『お前らなんかに負けないにゃ!!』
あっという間に10体を平らげる。
だが、魔獣はぞろぞろと集まってきた。
さらに数を増えていっている。
ヴォルフたちは獅子奮迅の活躍をしていたが、物量で押しきられようとしていた。
最初の余裕がなくなってくる。
対して、バイックは醜悪な笑みを浮かべていた。
「あははははは!! 所詮は羽なし。この程度だな」
「なら、こちらも使います」
また赤い光が森を染める。
その中心にいたのは、エラルダだ。
赤い光を掲げ、力を地面と水平に放つ。
「なっ!」
バイックは息を飲んだ。
魔獣が一瞬にして止まったのだ。
ゆっくりとその巨体が、バイックの方を向く。
獰猛な牙を剥きだし、威嚇した。
「な、何が起こっているんだ! やめろ! やめろ、魔獣!! 俺は片羽根だぞ!!」
「片……羽根?」
ヴォルフは眉を動かす。
エミルリアに来て、初めて聞いた単語だった。
「わからないの、バイック? あなたは所詮信者。私は聖女。教祖ガズ以外では、支配権はこちらにある」
「や、やめ……」
「さようなら」
無数の魔獣がバイックに襲いかかる。
鋭い牙を打ち鳴らすような音が、森に響いた。
「あ…………えぐ…………え…………えふ……」
しんと静まり返る。
聞こえていたのは、バイックが咽びなく声である。
魔獣の口の前で、涙を流し、股から尿を漏らして、醜い姿をさらしていた。
「心配しないで下さい。殺したりしません。だけど、この人たちの言うことを聞いて下さい」
エラルダの言葉に意志の強さが込められていた。
どうやら覚悟を決めたらしい。
魔獣は森の中に散っていく。
その中でヴォルフはエラルダの頭をそっと撫で、その判断と意志を称えた。
そしてバイックの前に出て、問いかける。
「俺も殺生は望むところじゃない。いや、これ以上この世界で人が死んではいけないんだ。だから、頼む。俺たちを本山に案内してくれ」
ヴォルフの頼みに、バイックは何度も頷くのだった。
昨日コミックス版『ゼロスキルの料理番』の最新話が更新されました。
今回は夏にピッタリなあの料理なので、是非ご賞味下さい。








