第207話 聖獣様
ここからちょっとずつですが、ダークファンタジー的な要素も入ってきます。
ただラストに向けて大事な要素であるので、ご理解の上読んでいただける助かります。
宿を貸してくれた上に、集落の人はご飯までご馳走してくれるという。
何から何まで世話をしてくれる人たちに、ヴォルフは「何かできることはないか」と得意のお節介を発動した。
集落の人たちは「ゆっくりしていればいい」と言ったが、最後はヴォルフの根気に負けて、子どもたちの相手をすることになった。
男の子には剣の真似事を、女の子には簡単な髪飾りの作り方を教える。
最初警戒していた子どもも、力強く、そして器用なヴォルフにすぐに懐いてしまった。
エミルリアでも、子どもというのはどうやら無邪気なものらしい。
ニカラスの子どもや、小さい頃のレミニアとなんら変わらない。
しかし、漠然とした不安だけが心の中でモヤモヤしていた。
ヴォルフに教えてもらったことを、自分たちで真剣に模索を始めた子どもたちを見て、ひとまず息を吐く。
側で見ていたエラルダの横に腰掛けた。
「子どもが好きなんですか?」
「まあね。でも、昔はどっちかと言えば苦手だったよ。娘をもらうまではね」
「娘?」
「レミニア・ミッドレスという。俺の自慢の娘だ」
「そうですか」
エラルダは素っ気ない。
ストラバールでこの名前を出せば、少しは反応するのだが……。
「ところで、エラルダ。1つ聞きたいことがあるんだが」
「なんでしょうか?」
「羽なしってなんだ?」
「今目の前にいるじゃないですか?」
エラルダは指差す。
それは遊んでいた子どもたちに向けられていた。
「ここでは普通の人間のことを羽なしというのか……。それとも何か特別な能力を持っているのか?」
質問を続けると、エラルダは首を振った。
「いえ。彼らには何の能力もありません。魔法も使えないし、スキルのような力も持っていない。故に羽なしと言われているのです」
「羽なしがいるなら、この世界には羽ありがいるのか? それこそ空想上の天使のような存在が……」
エラルダはゆっくりとヴォルフの方を向く。
汚れのない薄い水色の瞳は鏡のようにヴォルフの姿を捉えていた。
やがて神妙に頷いた後、その視線の先をエミルリアの空に移す。
夕刻が迫っていた。
青、赤、黄、あるいは橙色。
陽が沈もうとする中で、空は様々な色を見せていた。
その色の鮮やかさを褒めるわけでもなく、ただただエラルダは憧憬の視線を放っている。
「羽ありはいました。天上族という名前で」
「天上族……? じゃあ、ここは神様の世界なのか?」
「ストラバールの人間が想像する神とは少し違います。あくまで、この世界における支配者です。とはいえ、もうこのエミルリアにはいないのですが……」
「いない? 滅んだのか?」
エラルダは首肯する。
「はい。とあることをきっかけにして、天上族は2つに割れ、戦い、そして滅んだのです」
「その……とあることがきっかけというのは……」
「ああ!!」
大きな声を上げたのは、子どもの1人だった。
集落の外を指差している。
そこにいたのは、森で出会った例の魔獣だ。
だが、形状こそ似ているが、随分と小さい。
子どもなのだろうか、と思っている間に魔獣はゆっくりと村に近づいてきている。
その口からは涎が垂れていた。
「聖獣様だ!」
「でも、小さいね」
「ダメだぞ! 聖獣様を小さいとか言ったら」
「そうだそうだ」
子どもたちが口々に話し合う。
おぞましく、殺気と魔気を放つ魔獣を前にしても、全く動じる気配はない。
ニカラスならパニックが起こっているはずだ。
なのに、野良猫に餌でもやるかのように落ち着いている
「聖獣? 魔獣ではないのか?」
ヴォルフは呟く。
その声に子どもたちは反応し、キョトンと純粋な眼を向けた。
「何を言っているの、おじさん」
「あれは聖獣様だよ」
「魔獣なんて言ったらダメなんだぞ」
「おじさん、なんか嫌い……」
たちまち子どもたちの表情が変わる。
本来魔獣に向けられるはずの敵意が、ヴォルフの方に向けられてしまう。
その間も、魔獣はゆっくりと集落の方に近づいてきていた。
赤黒い瞳はすでに子どもたちを捉えている。
ゆっくりと威嚇するのだが、全く子どもは動じた様子はない。
その異様な空気に、ヴォルフは立ち止まって見ていることしかできなかった。
すると、魔獣は走り出す。
その姿を見て、子どもたちは逆に熱狂した。
手を振りながら、魔獣を呼び込む。
一体何が起こっているのか、ヴォルフには理解できなかった。
その最中、魔獣と子どもの間に現れたのは、エラルダだ。
大きく手を広げ、眼をカッと開く。
そして一言魔獣に言い放った。
「去りなさい……」
凛と響き渡る。
魔法ではない。
魔力の流れは感じなかった。
それでも、ヴォルフですら何かの強制力を感じるような力強い声だった。
瞬間、魔獣はピタリと止まる。
1度名残惜しそうに首を伸ばし、改めて集落を見つめた。
ヴォルフは気付く。
もうその時には、魔獣から殺気も魔気も、怒りすらなくなっていたことに。
やがて魔獣はひらりと尻尾を揺らし、元来た方向へと戻っていく。
茂みを揺らして、森へと消えた。
ホッとヴォルフは胸を撫で下ろす。
だが、安心するのはまだ早かった。
「帰っちゃった」
「聖女様が追い返したの」
「ええ……。そりゃないよ」
今日絶対、私が食べられると思ったのに……。
ヴォルフは息を飲む。
冗談でも聞きたくない言葉だ。
ましてや子どもである。
ヴォルフは瞼を大きく広げて、1人の少女を見つめた。
ストラバールでも普通に小さな集落に1人はいそうな可愛い女の子だ。
さっきの手芸講座でも、自分で作った髪飾りをみんなに自慢していた。
何度でも言う――普通の女の子だ。
だからこそ、衝撃的だった。
自分が食べられることを望む発言に……。
「おじさん、どうしたの?」
「顔が怖いよ」
ヴォルフは我に返る。
子どもたちが怖がっていた。
何か魔獣でも見るかのように。
いや、それはヴォルフとて同じだ。
ヴォルフもまた真っ直ぐに子どもたちを見つめることができなかった。
すると、ここでもエラルダがフォローする。
子どもたちを優しくなだめると、家に帰るように促した。
ヴォルフとエラルダは2人っきりになる。
子どもたちの帰宅を見送った後、やや肌寒い風を浴びながらエラルダは言った。
「ヴォルフさん、この世界ではストラバールでの常識は通用しません。それは根本的にストラバールと、エミルリアが違うからです」
「一体、何が違うというんだ、エラルダ」
魔獣を聖獣という子ども。
さらにその聖獣に食べられる事を本気で望む子ども。
もはや倫理観がおかしいとしか思えない。
まるで狂信者のようだ。
「そうだ……」
妙な既視感を感じていた。
そうだ。狂っているのだ。
魔獣を信奉するラーナール教団と同じなのである。
「ヴォルフさん、この世界では今や――――」
魔獣が支配者であり、そして「羽なし」は魔獣の餌でしかないのです。
拙作『ゼロスキルの料理番』のコミカライズ2巻が、
8月4日に発売されます。
すでに入荷し、店頭に並んでいる書店もあるようです。
週末書店にお立ち寄りの際に、もし見かけましたらお買い上げいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。