第206話 武器を知らない子どもたち
ぐぅ~。
空腹を告げる音が鳴る。
皆が一斉に自分の腹を押さえて、顔を赤らめた。
ヴォルフもイーニャもミケも、エミルリアにやって来た直後に見つけたあの茸しか食べていない。
「お腹が空きました……」
エラルダも同様のようだ。
何故五英傑の【聖女】が、イーニャたちよりも先んじてエミルリアにいるのか。
ラーナール教団との関係は?
聞きたいことは山ほどあるが、今は腹ごしらえが先決のようである。
「お腹が空いたと言われてもなあ」
イーニャは自分の髪を撫でた。
周囲の自然を見渡すが、自分が見知った木の実はどこにもない。
それっぽい物はあるが、食用に足るものか、イーニャには判断が付かなかった。
仮に食べて、毒があれば一大事だ。
「エラルダ。お前なら食べられる木の実とか、植物の根とかわかるんじゃないのか?」
エラルダは首を振る。
「だよな。……エラルダって昔から食に興味がないものな」
「それは違います、イーニャ」
いつになくエラルダは真剣な表情でイーニャを睨む。
出会ってから、どうも焦点の合わない表情をしていたエラルダが、こうして真面目になると、何かあるのではないかと思ってしまう。
「私は食事に興味がないわけではありません。単純に五英傑の皆さんが、料理が下手だっただけです」
きっぱりと言い放つ。
微妙な空気が流れた。
ヴォルフとミケは苦笑いを浮かべる。
過剰に反応したのはイーニャだ。
「なんだよ! あれってそういう意味だったのか?!」
「知らなかったのですか? 正直に言うと、虐待されているのかなと思ってました。まあ、私は皆様に助けてもらった身なので、我慢して食べてましたが……」
「仕方なく食べてたみたいに言うなよ。あたいの料理は激ウマだったろ?」
「ええ……。ルネットさんの次にぐらいは激ウマでした」
「馬鹿野郎! ルネットと比べるんじゃねぇよ! あいつの料理はな。一国の軍隊すら全滅しかねないほどの兵器なんだぞ。あれを平気で食えるのは、ルネットにぞっこんだったルーハスぐれぇだ!」
いつの間にか昔話に華を咲かせる展開になる。
昔の話を言い合ってるイーニャを見て、ヴォルフは少し安心した。
ヴォルフと別れてから、彼女が一体どんな生活をしていたのか、ずっと気になっていたからだ。
五英傑は冒険者の中の冒険者。
ヴォルフとイーニャがかつて所属していたパーティーよりも、遥かにプロフェッショナルな集団である。
想像するだけで背筋が伸びるような空気の中で、イーニャは果たしてついていけているのか、心配にはなっていた。
だが、どうやらそれは杞憂のようだ。
「2人とも、そこまでだ。イーニャもあまり大声で喚くな。魔獣がまたやってくるかもしれないぞ」
『その時は返り討ちにしてやるにゃ!』
ミケは自分の爪を研ぐ。
血気盛んな【雷王】の頭を、ヴォルフは軽く戒めた。
「お前はもう少し反省しろ。また同じミスを犯すつもりか? お前がかつてのご主人様の仇を討ちたいのはわかる。だが、忘れるなよ。俺だってロカロさんと無関係というわけじゃない。ミランダさんを悲しませるつもりか?」
ヴォルフは懐かしい名前を持ち出す。
ミランダはミケの元契約主――【雷獣使い】ロカロ・ヴィストの奥さんだ。
魔獣に飲み込まれたロカロに遺品はない。
唯一残ったのが、ミケだった。
ミランダの名前を出されては、ミケも立つ瀬がない。
ミケは賢い幻獣だ。
自分がどんな罪深いミスをしたのかは、ミケ自身がよく理解していた。
「お前の今の相棒は俺だ。もう少し俺のことを信じろ」
『ああ。すまねぇ、相棒』
「わかってくれてうれしいよ」
ヴォルフはミケの頭を撫でる。
その愛撫に、【雷王】はまるで雷のようにゴロゴロと音を鳴らし、気持ち良さそうに目を細めた。
すると、ヴォルフはすっくと立ち上がる。
「とりあえず、あの茸を探してくるよ」
「お待ち下さい。この近くに小さいですが村があります。そこで食糧を分けてもらいましょう」
「本当か、エラルダ」
エラルダは指差す。
ともかくその方向へ向かってみると、ついに森を抜けた。
少し遠くに集落のようなものが見える。
ヴォルフの故郷ニカラスに似たような雰囲気だ。
背が低く、粗雑な一戸建てが並んでいた。
家には煙突のようなものがあり、煙が上がっている。
「あんな化け物が森にいるのに、よくこんなところに住んでられるな。師匠みたいなすげー強い冒険者でもいるのかな」
「詮索は後回しだ。ともかく行ってみよう」
ヴォルフたちは村へと向かう。
のどかな村だった。
やはりニカラスと似ている。
だが、気になったのは強力な魔獣が出るというのに、結界もなければ、堅固な石垣もない。
門番はおろか武器も見当たらない。
おかげで、ヴォルフたちはあっさりと村の中に入ることができた。
中にいたのは、普通の村人だった。
彼らがエミルリアの現地人かどうかはわからないが、少なくとも変わった容姿をしているということもない。
ただすべて人族で、エルフや獣人はいなかった。
キョロキョロと辺りを見回していると、人々が集まってくる。
ヴォルフにではない。
連れていたエラルダにだ。
「おお! 聖女様!」
「どうかお恵みを」
「ようこそお越し下さいました、聖女様」
村人はエラルダを囲み、歓迎する。
その中でエラルダは慣れた様子で、挨拶を返していた。
「みなさん、お変わりはないですか?」
「すこぶる元気です、聖女様」
「ありがとうございます。すっかり腰がよくなって……」
「前に怪我した肩も、今は何の違和感もありません。これも聖女様のおかげです」
エラルダに対する称賛は留まることを知らない。
どうやらかなりの人気者のようだ。
「聖女様、こちらの方は?」
「お付きの方ですか?」
「あー! 猫さん、いるー」
最後にヴォルフたちに興味を示したのは、子供だ。
3、4人の子どもたちがミケの周りに集まってくる。
猫にしては少しおデブだが、このエミルリアでもミケの姿は猫と認識されるようだ。
中身が【雷王】という怖い幻獣にもかかわらず、子どもたちは無邪気にミケに飛びつく。
「すごーい! モフモフ……」
「モフモフ気持ちいいね」
「お髭かた~い」
『にゃにゃ! こ、こら! あっちに気安く触るにゃ』
突然、子どもの攻撃にさすがの最強の幻獣もタジタジだ。
なすがままなされるままにいじくられている。
「おじさんの猫なの?」
「うん。そうだよ。お嬢ちゃんは何歳?」
「9歳だよ。おじさんの猫面白いね」
得意げに両手を掲げて示した女の子は、再びミケをなで始める。
不意にレミニアの昔のことを思い出した。
「(この頃のレミニアは可愛かったな。今も可愛いけど)」
「師匠、変な気を起こすなよ。レミニアに言いつけるからな」
「そ、そんな訳ないだろ! お前、師匠をどう思っているんだよ」
「動揺するところが怪しい……」
イーニャはジト目でヴォルフを疑う。
すると、後ろで気配を感じた。
少年たちがそっと足を忍ばせ、ヴォルフが腰に下げた刀に手を伸ばそうとしている。
ヴォルフと目が合うと、慌てて飛び退いた。
「おしかったなあ」
「ああ。あともうちょっとだったのに」
「ねぇねぇ。……なんでそんな大きな包丁を持ってるの?」
少年の1人が質問する。
その意外な疑念に、ヴォルフは答えを窮する。
「これは刀といって、魔獣を倒すための武器だよ」
「魔獣? 魔獣って何?」
「え?」
「魔獣って何?」
「もしかして聖獣様のこと?」
「あー。ダメなんだぞ、聖獣様のことを悪く言ったら」
「それはどういう――――」
ヴォルフは質問しようとした時だった。
「ヴォルフさん。宿が決まりました。羽なしの方たちが、家を一軒空けてくれるそうです」
「え? 羽……なし…………?」
この時、ヴォルフはまだ知らなかったのだ。
このエミルリアという世界が、ストラバールの人間であるヴォルフにとって、どれほど非常識で理不尽な世界であるかを……。
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1巻が重版かかった魅惑の魔獣料理をご堪能下さい。
さらに『叛逆のヴァロウ』1巻が電子書籍で半額となっております。
サーガフォレスト5周年記念にて、特典SSも貰えるそうなので、
是非チェックして下さい。