第201話 もう1つの世界……。
『ふむふむ……。なるほどねぇ。ああ……。なるほど。あれはそういう意味だったのね。ふーん……』
ヴォルフの目の中のレミニアは、感心する。
見ていたのは、ラーナール教団のアジトに置かれた魔導機械である。
一通り見て回ると、レミニアは顎に手を置き考え始めた。
小さく多少デフォルメされた娘の姿は言うまでもなく可愛い。
残念なのは、ヴォルフには鏡や水面に映す以外に、はっきりと姿を捉えられないことだろう。
「レミニア、どうだ? 何かわかったか?」
ついヴォルフは急かしてしまう。
娘が一生懸命考えているのはわかる。
だが、時間は少ない。
ラーナール教団の本当のアジトが、異世界エミルリアにあるのなら、一刻も早く、この転送装置とおぼしき魔導機械を動かさなければならない。
『うん。わかったわ。結論から言うわね。これはパパたちが睨んだ通り、ストラバールとは違う世界――つまり、エミルリアに行くための装置であることは間違いないと思う』
レミニアの説明に一同は思わず「おお!」と声を上げた。
「それで? こいつはどうやって使うんだ?」
イーニャは身を乗り出して尋ねる。
興奮する赤狼族の娘に対して、レミニアは非常に冷静だった。
『落ち着いて、イーニャさん。使い方はわかるわ。ただ1つ問題があるのよ』
「問題――――でござるか?」
エミリは神妙な表情でレミニアを見つめる。
クロエやアンリも、息を飲んだ。
『この装置を動かすには、膨大な魔力が必要なの。1回フルに使うと、充填に数ヶ月必要なほどの量よ』
「す、数ヶ月!!」
『で――。今のところ、魔力は半分ってところみたいなの』
「魔力がないと使えないのか?」
『少し改良すれば、問題ないと思う。パパでもできるはずよ。でも、向こうに転送する人数が限られてくるわ』
「その数はいくつなん?」
クロエが質問した。
『たぶん、ギリギリ3人ってとこね』
「つまり、こういうこと? この中の3人だけしか、異世界にはいけん」
「俺は行くぞ」
まず表明したのは、ヴォルフである。
彼は聖戦の司令官だ。
そして、この中で一番強い。
様々な観点から考えても、ヴォルフが行くことを外すことは出来なかった。
「しゃーない。正直――危険やから行ってほしくないけど」
「同感でござる」
「2人とも心配してくれてありがとう。でも、俺は――」
「師匠が行くのは当然だ。向こうで何が起こるかわからない。対処できるのは、この中でもっとも経験がある師匠において他ない」
「随分とヴォルフはん推しやないの。異論はないけど、『次に経験があるのは、あたいや。だから、あたいが行く』とか言い出すつもりなんやろ」
「な! なんでわかるんだよ、クロエ」
イーニャが顔を真っ赤にすれば、その横でクロエが「くくく」と袖で口を隠して笑う。
「獣人はんはな。単純やさかい。――あ、うちもお供するよって。剣技においては、ヴォルフはんの次に強いのは、うちやしなあ」
「イーニャ殿も、クロエ殿も、何を言っているでござるか。ここは正妻である拙者が行くでござる。ヴォルフとは夫婦の契りをかわした仲――。この縁はたとえヴォルフのお刀でも切れぬでござるよ」
「何を言ってるんや。まだおぼこのクセして」
「なっ――――! クロエ殿、いいいいい今、なんと!!」
クロエの指摘に、エミリは顔を真っ赤にする。
その手は何故かすでに柄に置かれていた。
だが、騒ぎはこれで終わらない。
とどめとばかりに、今度はアンリが入ってくる。
「お待ち下さい、みなさん。異世界に行くのはこのアンリ・ローグ・リファラスです! この中で魔法をうまく扱えるのは、私だけです。必ずお役に立ちます」
「おいおい。どさくさに紛れて何言ってんだよ、アンリ。姫だろうと、魔法のことであたいを差し置くとは良い度胸じゃねぇか、ひよっこ魔法使い」
「ほう……。ならば、ここで決着を付けますか、イーニャ様」
一触即発だ。
皆、殺気立っている。
このままでは同士討ちさえ辞さない構えだ。
「ちょちょちょ……。みんな、落ち着け……」
ヴォルフが諫めるのだが、誰も言うことを聞かない。
すると――。
『う・る・さ・い!!』
ヴォルフの目から大きな声が聞こえた。
レミニアである。
頬を膨らまし、キョトンとする女たちに睨みを利かせる。
「わたしにとっては、誰がパパと行こうと構わないの。どうせパパが一番強いんだから。……だから、じゃんけんでもして適当に決めれば」
「「「「じゃんけん!!!!」」」」
4人の女たちの声が揃う。
「良いのか。これでもあたいはじゃんけんも強いんだぜ」
「じゃんけんは心理戦なんやで……。相手の心を読むのは、うちの十八番や」
「ヴォルフへの想いが強い人間が勝つでござる。つまり、拙者でござろう」
「じゃんけんは運――。勝敗は神のみぞしるところです。つまり、日頃の行いが試されるゲーム。……私はこの時のために、人を救ってきたのかもしれない」
四者四様の反応だ。
それぞれの国、あるいは地方の願掛けを行い、ついに運命のじゃんけんが始まる。
「いいか? 最初はグーだかんな」
「パーを出した人間は斬るでござる(ガチ)」
「じゃあ、いきますか」
「せーの」
「「「「最初はグー!! じゃんけん……ほい!!」」」」
女たちの手が同時に出される。
奇しくも、その手は全員握られたままだった。
思わず「おお」と歓声が上がる。
結果は全員「グー」。
いきなり揃ったことになる。
「ふふふ……。なんだ? お前ら、緊張してるのか?」
「イーニャはんこそ、緊張で手を空けるの忘れたんやないの?」
「この勝負……。好勝負の予感がするでござる」
「次! 次、行きましょう」
皆が口々に言う。
「あいこで……」と言いかけた時、ヴォルフがじゃんけんを止めた。
「待った、みんな」
「なんや、ヴォルフはん。じゃんけんに混ざりたいんか?」
「そうじゃなくて、みんなの下を見てみな」
「「「「下」」」」
4人の女性たちは下を見る。
そこにはミケがいた。
大きく手を広げている。
すると、ニヤリと笑った。
『パーにゃ』
「――だそうだ」
ヴォルフは苦笑した。
「そ、そんな!」
「ミケはんのこと忘れてた」
「じゃ、じゃあ……」
「もう1人はミケ殿?」
ミケはスルスルとヴォルフの肩に上った。
波斯猫よりも一回り大きい猫は得意げに微笑む。
そこには『ご主人の相棒はあっちにゃ』という強い意志が見え隠れしていた。
「レミニア、ミケも1人分で数えるのか?」
『さっきも言ったけど、ギリギリ3人分ってところだからね。むしろ、ミケちゃんで良かったかも。下手に3人選ぶより、2.5人の方が成功率も高くなるし』
「ということは……」
「あと1人ということでござるな」
アンリはゴクリと息を飲めば、エミリは額についた汗を拭う。
拭った手は、まだ握り込んだままだった。
そして、女たちの最後の戦いが始まった。
「「「「あいこで……しょ!」」」」
「「「「しょ!」」」」
「「「「しょ!」」」」
「「「「しょ!」」」」
「「「「しょ! ――――あっ……」」」」
決着が着いた。
栄えある勝者は――――。
「やったあああああああああ!! あたいだああああああ!!」
飛び上がって喜んだのは、イーニャだった。
暗い洞窟内で、妖精のように飛び跳ねる。
よっぽど嬉しかったのだろう。
バク宙まで披露して、喜びを表現した。
一方、負けたクロエ、エミリ、アンリの3人はがっくりと肩を落とす。
「くううう! 最後はパーやと思ったのに」
「そんな……。そんな……。拙者がお供できないなんて」
「ああ……。どうしてですか、ラムニラ神様。何故、私に試練をお与えになるのです」
「にへへへ……。どうだ、お前ら。羨ましいだろう」
イーニャはちょっと物足りない胸を反る。
自慢げに笑った。
「な、納得いかん。そもそもイーニャはんは、副長ポジやろ? なんかあった時、うちらはどうしたらいいんや?」
珍しくクロエが駄々をこねる。
それをなだめたのは、ヴォルフだった。
「クロエさん、じゃんけんで決めるってのは、みんなで決めたことなので」
「うう……。ヴォルフはんまで、そんないけずなことを言うんか?」
「この中ではクロエさんが一番の年長です。ですから、2人のことを頼みます」
「そ、そんな大任……。うちには荷が重い。それに、また待つのはいやや、うち」
クロエは俯く。
彼女は1度、夫を亡くしている。
その時のことを思い出したのかもしれない。
「大丈夫です。俺は戻ってきますよ、必ず」
「約束やで……。戻ってこなかったら、針千本……いや、刀千本飲ませたるさかい」
「そ、それは怖いな。……でも、約束します。必ず――」
クロエの手をギュッと握る。
そして請われるまま、その細い肢体を抱きしめた。
「絶対やからな」
光を失ったクロエの瞳から、ひとしずくの涙がこぼれた。
「ああ……。絶対に」
ヴォルフは手を離す。
クロエは涙を払いながら、後ろを向いた。
これ以上、情けない自分の顔を見られたくないのだろう。
「アンリも頼む。この中で指揮の経験があるのは、アンリだけだからな」
「任されました……。私は何も心配していません。ヴォルフ様は必ず戻ってきます。追放されても、レクセニル王国に舞い戻ってきたのですから」
「ああ。今度も、ちゃんと戻ってくるよ」
クロエと同じく、別れの挨拶をする。
そして、最後にヴォルフはエミリと向き直った。
すでに泣き顔だ。
元々赤い目だが、今日は白目の部分まで赤く充血している。
「せ、拙者は信じているでござる」
「強がるな、エミリ。わかってる。お前が不安なのは」
今度はヴォルフから手を差しだし、エミリを抱きしめる。
強く強く抱擁した。
「お土産は何がいい?」
ヴォルフの胸の中で、エミリは頭を振った。
「拙者がほしいものは何かわかってるでござろう」
「そうか。大丈夫。俺は戻ってくるから」
「でも、1つ欲しいものがあるでござる」
「なんだ?」
エミリは顔を上げる。
無理やり笑みを浮かべながら、こう言った。
「もし、ヴォルフが帰ってきたら…………」
子どもがほしいでござる。
「い――――ッ!!」
予想外の望みに、ヴォルフは思わず変な声が出てしまった。
それでも否定はしない。
優しくエミリを包み込みながら、答えた。
「わかった。戻ってくるよ。エミリと――――」
『ストップ! ストップ!!』
いきなり喚いたのは、目の中のレミニアだった。
皆と別れの挨拶をしていて、ヴォルフもすっかり目の中に娘がいることを忘れていた。ずっとやりとりを見ていたらしい。
「れ、レミニア? どどどどうした?」
突如、雰囲気を台無しにした娘に、ヴォルフは怒るよりも戸惑っていた。
レミニアを差し置いて、子どもの話をしたからか。
そう思ったが、レミニアが止めた理由はもっと抽象的なものだった。
『それ以上言ったらダメ! パパが戻って来れなくなるから』
「え? どうして?」
『なんでも! いーい! それ以上言ったら、ダメ! 刀娘も離れた、離れた!!』
しっしっとばかりに、エミリを追い払う。
まるで意地悪な叔母みたいだ。
「ところで、レミニアはこのままなのか?」
『たぶん、パパが向こうの世界に行ったら、魔力と魔力をつなげるパスが切れると思う。だから、わたしもここまでね』
「最後に会えてよかった」
『パパ! 最後なんて言葉使わないで、怒るわよ!!』
ムッとレミニアは睨む。
ヴォルフから見ることはできなかったが、ここにいる誰よりも恐ろしく、そして愛情に満ちた顔をしていることはわかった。
「あ、そうだ。レミニア、カラミティには……」
おそらくエミルリアに行きたいと考えているのは、ヴォルフが知る中でも彼女が一番といってもいいだろう。
エミルリアには、彼女の想い人であるレイルがいるかもしれないからだ。
この話を聞けば、光の速度を超えてでも、ここにやってくるかもしれない。
『わかってる。あの人の気持ちはわかるけど、今行かせるわけにはいかない。あまりに危険すぎる』
レミニアの言葉に、ヴォルフは深く頷いた。
彼らの目的はレミニアであり、カラミティだ。
たとえ彼女が強く望んだとしても、危険な場所に行かせるわけにはいかない。
「じゃあ、行ってくるよ」
『早く帰って来てね、パパ』
レミニアはヴォルフの目の中で手を振る。
手を振り返すと、娘の笑顔が見えたような気がした。
◆◇◆◇◆
「うっ……」
ヴォルフは瞼を開ける。
飛び込んできたのは、木漏れ日の光だ。
やたら日差しが強い。
緑は青々として、まるで夏期の風景を見ているようだった。
しかし、ヴォルフがいたストラバールは、冬期の真っ只中だったはずだ。
大きく息を吸い込んだ。
森の匂いが濃い。
それでも大気中に何か有害な成分が含まれているというわけでもなかった。
ヴォルフは側にあった大樹を登り始める。
頂上まで来ると、深い森から一時的に脱出することに成功した。
青い空が広がっている。
ストラバールと同じだ。
そして、その下に広がっていたのは、見たこともないほど広い森の姿だった。
地平の彼方まで森が広がっている。
遠くで雷鳴が鳴っていた。
同時に雨が降っている
一見、ストラバールのどこかにも見えるが、ヴォルフの経験上――こんなに広い森は、ストラバール中どこを探してもないはずだった。
「とうとう来たのか。あの謎の女がいた世界に……」
エミルリアに……。
拙作『叛逆のヴァロウ』2巻が発売されました。
WEB版よりさらに加筆、修正され、とても読み応えのある作品になっています。
戦記ものが好きな読者にはご納得いただける作品になっているので、
書店でお見かけの際には、是非ともご購入ください。