第199話 アジト突撃
新章『異世界篇』がスタートです!
バロシュトラス魔法帝国最大の湖――ルドワン。
その特徴はなんと言っても広いということに尽きる。
ストラバールでも1、2を争い、その豊かな水源は多くの動植物に多大な恩恵を与えてきた。
その側近く。
深い森の中にぽっかりと空いた洞窟があった。
入口の側には歩哨――ではなく、魔獣がうろついている。
何かを守っているかのように目を光らせていた。
キマイラタイガーと呼ばれる魔獣は、鷲の翼を生やした虎の姿をしている。
その見た目からもわかる通り、機動力が高い。
地上でも、空でも自在に動き回ることができ、鋭い爪や牙は幾人もの冒険者たちの命を奪ってきた。
極めつけは尻尾についた毒針である。
これで背後にいる敵を威嚇し、前面の敵に突撃する戦法を得意としていた。
ギルドが付けたランクはA。
それが2体である。
普通の冒険者では全く太刀打ちできないだろう。
だが、今宵――洞窟にやってきた強者たちは違った。
入口の前に尻を下ろし、くつろいでいたキマイラタイガーはふと顔を上げた。
耳をしきりに動かす。
しかし、何も聞こえない。
かすかに梢が揺れるだけだった。
それでもキマイラタイガーは確信する。
口を裂き、「うー」と唸りを上げて、警戒した。
Aランクの冒険者すら気付かなかったであろうわずかな空気の揺らぎ……。
そこに感づいただけでも、キマイラタイガーの索敵能力は目を見張るものがある。
だが相手が悪かった……。
茂みが揺れる。
その時にはキマイラタイガーの初動準備は整っていた。
顎を落とし、尻を上げて後ろ肢をわずかに引く。
飛びかかる体勢を作り、大きな眼で接近してくるものを睨めつけた。
けれど、1体のキマイラタイガーができたことはそれだけだった。
茂みから何かが飛びだした瞬間、声が聞こえる。
「おそい……」
独特の訛りがある言葉が、夜気に紛れる。
次の瞬間には、1体のキマイラタイガーの首は落とされていた。
Aランクの魔獣は為す術なく絶命する。
血臭が、血煙が広がる。
もう1体のキマイラタイガーは翼を広げた。
すかさず空に逃げる。
仲間の仇を討つことも、他の個体に警戒を促すために吠えることもなかった。
逃亡を選んだのは、本能的な条件反射であろう。
巨体が空に向かって高度を上げていく。
月と重なる瞬間、まさしく雷鳴がキマイラタイガーを貫いた。
突如の迎撃に、キマイラタイガーは為す術ない。
まだ意識があったが、筋肉が一時的に膠着して、動かすことができなかった。
地面に激突する瞬間、凶刃が魔獣を襲う。
待っていたのは雪のような銀髪を振り乱した少女であった。
1つ、2つ……。3つ、4つ……。
合計にして、8つの剣閃が閃く。
キマイラタイガーが地面に激突する前にバラバラになった。
その様は積み木を崩した瞬間と似ている。
血が桶をひっくり返したように降り注ぎ、地面に広がっていった。
静かな夜であった……。
「見事だな、クロエ、エミリ」
森の中から現れたのは、ヴォルフだった。
側にはイーニャと、アンリが控えている。
両者とも、ヴォルフと同じく見事な手際を見せた女性2人を称える。
共に刀を持ち、刀術を操る2人は静かに鞘に収めた。
ワヒト王国特有の刀術は、他の地域や国の術理とは違って、動作が少ない。
身体的な能力に頼るのではなく、動作を極力簡略化することによって、速さを生み出すのだ。
動作が少ないため、メリットとして体力の減りが少ない。
つまり継戦能力が高いのである。
だが、何よりは動作が少ないことによって、動作音が少なくなることが、刀士たちが考える術理の中でもっとも評価すべき点であろう。
魔獣たちの中には、動作した時に鳴る骨の音すら聞き分けるものがいる。
その意味で、刀術は暗殺や奇襲に打って付けなのだ。
「大したことあらへんよ。これぐらい運動のうちやあらへん」
クロエは謙遜するが、嬉しそうだった。
闇夜だったが、頬がうっすらと赤くなっている。
その反応を見て、エミリは「はははは」と笑った。
「そうでござろう。ヴォルフ、褒めてほしいでござるよ」
「はあ? 何言ってんのや、エミリはん。冗談やろ?」
「何を言う。拙者にとって大仕事だったでござる。ささ、ヴォルフ。拙者を大いに褒め、甘やかすでござるよ」
ヴォルフに向かって、エミリは頭を差し出す。
どうやら頭を撫でてほしいらしい。
「あ、ああ……。エミリ、よくやったな」
なでなで……。
ヴォルフはエミリの頭を撫でる。
それを見て、頬を膨らませたのはクロエだった。
「や、やったら、うちも!」
「何を言う。クロエ殿には朝飯前なのであろう」
「そ、そやけど。うちかと褒めて欲しいわ。あと朝飯前なんて、うち言ってないで。勝手に改竄せんといてくれるか」
「コラコラ……。2人とも喧嘩するなよ」
「ヴォルフはんはだまっとりやす」
「そうでござる。これは女と女の戦いでござる」
クロエとエミリは互いに睨み合う。
この旅が始まって、場所を変え、対戦相手を変えて何度も行われてきたキャットファイトが、また勃発しようとしていた。
もはや日常風景になってしまった乙女たちの戦いを止められる者はいない。
最初の頃止めていたイーニャだったが、すでに興味を失っているらしく、2人の側を横切り、入口を覗き見た。
生真面目なアンリは周囲の索敵を怠らない。
ちなみに本物のキャット――【雷王】ミケは空から戻ってくる。
ちょっと大猫の姿に戻ると、顔を掻いた。
クロエとエミリの方を向きながら、大きな欠伸をする。
『アジトの前だってのに、緊張感ないにゃ』
相棒の指摘に、ヴォルフは苦笑いを浮かべるしかない。
一方、洞窟の中を覗き込んでいたイーニャは手で合図する。
どうやら魔獣以外に警備は少ないようだ。
「2人ともそれまでだ」
ヴォルフは睨み会うクロエとエミリの頭の上に手を置く。
優しく撫でると、そのまま洞窟に入っていった。
これで我慢しろということだろう。
少々不満は残るが、クロエもエミリも配置に付く。
「よし。アンリ、やれ」
アンリは頷く。
魔法を呪唱した。
「午後の眠り女神!!」
洞窟に向かって放つ。
橙じみた霧状のものが洞窟の中に流れていった。
眠りの効果がある霧で、広範囲に散布が可能だ。
こうした密閉空間に噴射すれば、かなりの効果が期待できる。
「これで信者を無力化できればいいのですが……」
アンリは洞窟を覗きながら、呟く。
ここはラーナール教団のアジトの1つだ。
魔獣を肯定し、魔獣を信奉する狂信者が集まる。
当然抵抗が予想された。
だが、相手は人間だ。
余計な殺生を好まない優しいヴォルフは、魔法による無力化を望んだ。
「問題はここがラーナール教団のアジトってことだな」
「ええ……。人間じゃないのもおるやろうしね」
「だとしても、退くわけにはいかないでござる」
「その通りです」
『にゃ!』
ヴォルフは1度息を吸い込む。
アジトといってもそう大きくはない。
人の数も、千や2千いるわけではないだろう。
だが、慢心は油断に繋がる。
ヴォルフは己の心を引き締めるように鞘に触れた。
やがて橙色の霧が晴れていく。
時間が経ち、魔法の効果が切れたのだ。
「行こう!!」
ついにヴォルフたちは虎の穴に飛び込むのだった。
新作『「ククク……。ヤツは四天王の中でも最弱」という風評被害のせいで追放された死属性四天王のセカンドライフ』をお読みいただきありがとうございます。
おかげさまで好調のようです。
まだ読んだ事がない人は、是非読みに来て下さい(リンクは下欄にあります)