第194話 【大勇者】のくしゃみ
「さすがは、あたいの師匠だ!」
「まあ、これぐらいは当たり前やね」
「惚れ直したでござるよ、ヴォルフ殿」
「見事……。これ以上言う言葉は見つからぬ」
『さすがご主人様にゃ!!』
薄暗い地下に、明るい歓声が響く。
刀を収めたヴォルフは、ちょっと照れくさそうに癖毛を掻いた。
だが――。
くくく……
かすかに笑い声が響く。
一瞬気のせいかと思ったが違う。
その場にいる誰もが反応していた。
勝利に沸き、笑みを浮かべていた仲間たちに緊張が走る。
各々自分の得物に手を伸ばした。
最初に気付いたのは、ヴォルフだ。
ふわりと雲が生まれるように、突如背後で殺気が沸き立つ。
それは先ほどまで勇ましく戦っていたヴォルフの背筋すら、凍てつかせた。
高速で踵を返す。
同時に鞘の中で刃を走らせた。
【居合い】!!
ただの【居合い】ではない。
腰を深く捻転し、威力・速度を上げたものだ。
ヴォルフは敵を確認することなく斬りつけた。
しかし、刀は空を掻く。
否――集まってきた膨大な死霊たちを薙いだだけだ。
「なんや? 何が起こってるんや?」
「死霊です、クロエ殿。無数の死霊が集まってきているでござる」
「おいおい。うちの師匠にビビって逃げたんじゃねぇのかよ」
見ていたヴォルフの仲間たちも慌てていた。
イーニャの言う通り、メカールに憑き纏っていた死霊たちは、ヴォルフに恐れをなして逃げたはずである。
だが、今また死霊は集まり始めていた。
メカールが死んだというのにだ。
だが、その答えを出すのに、さほど時間はかからなかった。
回答したのは、アンリである。
「簡単です。ヴォルフよりも恐ろしく、力の強い宿主を見つけたからです」
アンリは指差した。
死霊が動き回る中心に、人影があった。
まるで荒波に立つ1匹の海坊主のようである。
死霊、そして内包される憎悪、嫉妬、不幸、哀切、欲望――負の感情を泥のように浴びた人間は、目だけを光らせ、ヴォルフたちを睨んでいた。
やがて沖に上陸でもするかのように進んでくる。
同時に暗い声を響かせた。
「成った……」
「成った――だと……?」
「メカールの死霊術は完成したんだよ。くくく……」
不気味な笑いを響かせる。
もはや人の思考すらあるのかどうか怪しい。
ただどうやらメカールであることは間違いないようだ。
「聞いたことがあります」
アンリが神妙な顔で口を開く。
「死霊術とは、元は【蘇生】を魔法で再現しようとする試みが始まりだったと聞きます。死霊を操ったりするのは、その技術の中で生まれた副産物でしかないんです」
「ということは何か、アンリ? あいつはこの土壇場で、死霊術の悲願を叶えたってことか」
イーニャの質問に、アンリはわずかに躊躇いながらも顎を縦に振った。
「ともかくどうするんや? 斬っても斬られへん。死んでも死なへん相手なんて、さすがのメーベルド刀術にもあらしまへんえ」
「くくく……。泣き、そして叫べ……。負の感情は我が死霊術の糧となる。さあ……。死してなお、恐ろしい我が死霊術……。存分に味わうといい」
きゃはははははははははははははははははは!!
復活を果たしたメカールの笑声が狂い咲く。
地下に反響し、まるで空間そのものがメカールの口内のようであった。
さしもの仲間たちに打つ手は無い……。
――かに見えた。
ザッと石畳を蹴り、死霊術師として完成したメカールの前に立ちはだかったのは、やはりこの男だった。
「ヴォルフ・ミッドレス……」
笑いを抑え、メカールは目を細めて警戒する。
正気の薄れた瞳には、冴えない引退冒険者の顔が映っていた。
ヴォルフは刀を返す。
そして、その切っ先を慎重にメカールに向けた。
背中から漏れる闘気に些かの衰えもない。
紺碧の瞳は、如何に相手が禍々しく歪んでいても、濁ることはなかった。
「まだメカールと戦うの?」
「俺は不器用な男でな。相手に近づいて斬るぐらいしか能が無いんだ。たとえ、死霊であろうと、お前が死霊術を完成させようと、俺のやることはただ1つ――」
斬る――――ただそれだけだ……。
【カグヅチ】の刃が暗闇にあって雷光のように光る。
だが、それを聞いても、メカールは1歩も退かない。
それどころか口を開けて大笑いした。
「斬るだけか……。それは不便だな」
「確かに不便だな。だが、俺は悪くない。何も考えずに、お前に集中することができる」
「ふん! やれるものならやってみろ!!」
メカールが手を振る。
死霊が渦を巻きながら、ヴォルフに襲いかかった。
竜巻の如く死霊が飛来する。
それをヴォルフは宣言通り、切り裂いた。
『うおおおおおおおんんんんん!』
死霊が真っ二つに切り裂かれる。
どうやら死霊術が完成したといっても、ヴォルフの聖属性に抗えるわけではないらしい。
ヴォルフは「よし」と小さく頷く。
一方、メカールは「ちっ」と舌打ちした。
すると、ヴォルフはアンリに向かって叫ぶ。
「アンリ! 俺に浄化の魔法をかけてくれ!」
「え? でも――」
「アンリ、言う通りにしてやれ」
「イーニャさん!」
「師匠には何か考えがあるのさ」
イーニャはニヤリと笑う。
その顔と、ヴォルフの自信に満ちた表情を見て、アンリは決断する。
『死者にたむける聖歌』
呪文を詠唱し、浄化魔法を完成させる。
放ったのは暴れ回る死霊の中心ではない。
それを迎え討つ男の背中だった。
浄化の光がヴォルフに集まる。
「ぐっ……。ぬぐぐぐぐ……」
ヴォルフは悲鳴を上げる。
その浄化魔法を一身に浴びた。
浄化魔法は死霊だけではない。
生きている者――人間にも効果がある魔法だ。
死霊は魔導の世界では、肉体を失った精神体が観測できるほど魔素を帯びたものだと言われている。
言わば、可視化された“心”そのものだと言い換えてもいい。
そして浄化魔法とは、その“心”――精神を抉る魔法なのだ。
邪な心があれば、それに反応して精神を戒める。
そんな構造をした魔法であるが故、如何にヴォルフとてただではいられない。
だが、ヴォルフはその力を手に持った刀に注いだ。
「【カグヅチ】が……」
刀匠エミリが息を飲む。
同じく横で見ていたイーニャも驚いていた。
「まさか……。受けた魔法を操作して、魔法剣にしたのかよ」
それは魔法剣――あるいは魔法武器は、イーニャの得意技でもある。
ヴォルフはおそらくそこから発想を得て、自分の刀を魔法武器化したのだろう。
だが、強化や補助でもない魔法を武器化することは困難だ。
そんな芸当をできるのは、かの【大勇者】ぐらいなものである。
しかし、忘れてはならない。
いまだヴォルフの身体には、【大勇者】レミニアによる手厚い強化魔法が発動中である。
「なるほどねぇ……。あのお嬢ちゃん、ほんと過保護やわぁ。魔法制御をする補助魔法まで、完備してるなんてねぇ」
目が見えなくとも、クロエにはヴォルフの身体に通った魔力の流れがきちんと確認できていた。
それによれば、アンリから受けた浄化魔法はヴォルフの身体を通って、なるべく精神を痛めつけないようルートを辿り、【カグヅチ】へと注ぎ込まれていた。
【大勇者】レミニアは、この事態すら見越していたのである。
◆◇◆◇◆
「へっくし!!」
レクセニル王国魔導研究所の一室で、レミニアは盛大にくしゃみをした。
ずるっと鼻水を啜り、側にあったちり紙で鼻の周りを拭いた。
若干ぼぅとしている【大勇者】の姿を見て、心配そうに見つめたのは、ハシリーだった。
「ちょ! 大丈夫ですか? この大事に風邪なんて引かないでくださいよ」
「わかってるわよ。……これはきっと誰かがわたしを噂しているんだわ」
「噂って、誰ですか?」
「決まってるわ……」
「はいはい。ヴォルフさんですね」
「パパ……。一体、わたしの何を言ったのかなあ。わたしを褒めてくれたのかしら。帰ったら、絶対に聞くわ」
目をキラキラさせながら、レミニアは窓の外を見る。
はあ、とため息を吐いたのは、ハシリーだった。
(レミニア……。そっちは南……。ヴォルフさんが向かった先と真逆ですよ)
肩を竦めるのだった。
◆◇◆◇◆
黄金の光が闇を裂く。
それはかつてレミニアがヴォルフの窮地を助けた時に送った聖剣の光と似ていた。 いや、それに匹敵していた。
「すごい! 私の浄化の魔法よりもさらにパワーアップしてる」
ヴォルフの中には、魔法を増幅強化するための魔法も配備されている。
アンリが放った浄化魔法の10倍以上の力を有していた。
その力におののいたのは、メカールである。
「そ、そんな虚仮威し!!」
メカールは死霊を操作する。
先ほどよりも多く、さらに鋭くヴォルフに迫った。
その数は万を超える。
鬨の声にも似た声を上げ、床面を抉りながらヴォルフに襲いかかる。
それは巨大な破城槌のようであった。
対してヴォルフのやったことと言えばシンプルだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
上段から振り下ろし――――ッ!!
たったそれだけだ。
それだけで、死霊による破城槌を粉々に粉砕してしまった。
何万という死霊を一瞬にして浄化したのだ。
「な、なんだとッッッッ!!」
いよいよメカールの表情も厳しくなる。
そしてヴォルフもまた油断しない。
「悪かったな、死霊使い……。俺1人なら負けていたかもしれない。だが、俺は1人で戦っていないんだ」
そう。
ヴォルフには仲間がいる。
そして、自分を心配し、寄り添い続けてくれた娘がいる。
【剣狼】は、これまで決して1人では無かった。
親子で戦い続け、そして伝説の扉を開こうとしていた。
この形、なんか懐かしい……。
書籍版の方もよろしくお願いします。