第190話 最強帝国の皇帝
広い――というよりは、長大という言葉が似合う空間だった。
ただそこはバロシュトラス魔法帝国の謁見の間であるのだが、レクセニル王国と比べて明らかに広い。優に倍以上はあるだろう。
なのに、掃除は行き届き、いくつも並ぶ白亜の柱は、鈍く光っていた。
一体どれほどの年月を掛けて編まれたのかわからないぐらい大きな赤絨毯の上で、ヴォルフ、イーニャ、クロエ、エミリ、アンリ、そしてミケが平伏していた。
その前には空の玉座が鎮座している。
翡翠と金で作られ、言うまでもなく華美であった。
玉座に座るにふさわしい者の到着を待っていると、大股で歩く足音が聞こえる。
ヴォルフたちの前を横切ると、やや乱暴に椅子に座る音が響いた。
「全員、面を上げよ」
如何にも傲慢な声が謁見の間に落ちた。
生まれた頃から、人を使役することに慣れていたような声音である。
そうとわかっていても、ヴォルフは自然と顔を上げていた。
魔法でもスキルでもないのに、ただ人の腹から滲む声だけで、【剣狼】は動いたのである。
顔を上げると、男が肘掛けに肘を突き、頬杖を突いて、こちらを見ていた。
黄金の髪に、狼のように鋭い瞳。
髭はなく、それ故に幼い子どものようにすら映る。
ターバンを巻き、開いた上着の奥には白い肌と鍛え上げた筋肉が客人たちを威嚇していた。
商人が着ているような緩やかなパンツを履き、首からアクセサリを下げている。
街中でよく見る小金持ちか、貴族のボンボンみたいな恰好ではあるが、そんな男が玉座に座れるはずもない。
彼は間違いなくバロシュトラス魔法帝国皇帝ガーファリア・デル・バロシュトラスであった。
しかも、彼はただの君主ではない。
むろん、ストラバール№1の強国を率いる皇帝であることは、これ以上にないステータスであろう。
だが、ガーファリアの凄さはそれだけではない。
武芸、魔法、知謀、政治――そのどれをとっても、人類最高と謳われ、ギルドが特別に【大英雄】という階級を用意した程であった。
有り体に説明するならば、レミニアが現れる以前まで人類最高の戦力と言われた男なのだ。
ヴォルフがこうして直接謁見するのは初めてだった。
だが、彼の英雄譚を上げれば、枚挙に暇がない。
その噂、武勇は遠く、レクセニル王国に轟いていた。
「(今年で40になると聞いていたが……)」
ヴォルフは思わず息を呑む。
同じアラフォーとは思えない。
ヴォルフもまた40代にしては溌剌した方だろうが、ガーファリアのそれはもはや神懸かっていると形容しても問題ないだろう。
不意にヴォルフはガーファリアと視線を交わす。
紺碧の瞳と、赤い宝石にも似た瞳が合わさった。
慌てて、ヴォルフは頭を下げる。
「ガーファリア陛下! 知らぬこととはいえ、陛下に手を上げてしまい申し訳ありませんでした」
「ふん。誰が口を開いていいと言った? 余は『面を上げよ』と述べただけで、発声を許したつもりはないぞ」
「――――す、すみません」
「さて。過ちであろうと、お前が他の国の民であろうと、余に手を上げたことは事実……。極刑もやむなしであろう」
「……きょ、極刑」
さすがのヴォルフも呆然とする。
極刑とはすなわち死罪である。
まさかバロシュトラス魔法帝国に到着早々、死罪を言い渡されるとは思わなかった。
ヴォルフの中で何かがガラガラと壊れる。
これでは作戦が無茶苦茶だ。
立ててくれたレミニアに申し訳が立たない。
いや、レミニアを悲しませることになる。
「無礼を承知で申し上げます、陛下」
「言ったであろう。発言を許したつもりはないと」
ガーファリアの声に怒気が混じる。
ヴォルフはその変調を敏感に察したが、口を閉ざすことはなかった。
「陛下に手を上げたのは事実。極刑というなら、甘んじて承りましょう。ですが、少しお待ちいただきたい」
「少し? 余に待てというか」
「俺は聖戦の指揮官を務めております。その任務が終われば、如何様な罰も受けます故、どうかそれまでお待ち下さい」
ヴォルフは深く頭を垂れた。
だが、肯定する言葉も、否定する言葉も振ってこない。
代わりに聞こえてきたのは、笑い声だった。
それも玉座からではない。
すぐ隣である。
「くふ……。ふふふふ」
「い、イーニャ?」
何故か、イーニャが身体を震わせていた。
次いで笑い声が聞こえる。
鈴を転がしたような凜とした笑声に、ヴォルフの心は囚われた。
玉座から見て、左側から現れたのは、街で出会った占い師である。
「あんたは……」
「ふふ……。陛下、それぐらいにされてはいかがですか? そもそもけしかけたのは、陛下ではありませんか?」
「ハッサルよ。余はお前を守ったに過ぎない」
「あら……。なんと殊勝な……。このハッサル、涙が出すぎて涸れてしまったようです」
ハッサルは目元を拭う。
むろん言葉通り、涙など出ていなかった。
ふん、ガーファリアは鼻を鳴らす。
抗議の先にいたのは、身体を震わせたイーニャだった。
「イーニャ! 先に笑うな。余の楽しみが台無しではないか。余はこいつが死刑台に上るまで、笑いを堪えるつもりだったのだぞ」
「申し訳ございません、陛下。でも――あ、もうダメだ。ぷっ――――」
あははははははは……。
イーニャは笑声を広い謁見の間に響かせた。
釣られて、ガーファリアも「ふっ」と微笑む。
ハッサルという女も口元を隠して肩を震わせていた。
わかっていないのは、それ以外の人物だ。
ヴォルフを筆頭に、目をパチパチと動かしている。
唯一冷静だったのは、クロエだった。
「なるほど。お芝居やったってことやねぇ」
仕込み杖の柄を使って、頭を掻く。
「お、お芝居……!?」
「そう。クロエの言う通りだよ、師匠。今のは芝居だ」
イーニャは涙を拭う。
「じゃあ、極刑は?」
「嘘に決まってるだろ? まあ、実際陛下に手を上げたら、極刑になるんだけどな」
さらりとイーニャは怖いことを言う。
「イーニャの言う通りだ。……とはいえ、その時は死刑台などではなく。余の手によって切られるだけだがな」
「懐かしいなあ……。あたいが初めてバロシュトラスに来た時も、同じことをやられたっけ。あの時はびっくりしたよ。街中で出会った強者が、まさか皇帝だなんて。あたいが帝国に行くなんて、誰にも言ってないのに、あたいの名前まで知っていたんだぜ、この人」
「イーニャも騙されたのか?」
「ああ……。ま、あたいの場合は極刑を受けるなんて死んでもいやだったから、城の壁を壊して逃げたんだがな」
「城を――――!!」
なんともイーニャらしい話ではあった。
「全く……。あの時ほど、この芝居を打って経費がかさんだことはなかったぞ」
「【破壊王】を騙すのが悪いんだよ」
話を聞く限り、どうやら古今東西の強者を見つけては、同じことをしているらしい。
皇帝が街をうろついているだけでも驚くのに、よもやそんな芝居まで打つとは……。
よほどガーファリアは、やんちゃな君主なのか、暇なのか、どちらかだろう。
「さて、改めて名乗ろう。余はガーファリア・デル・バロシュトラスである。これ以上の自己紹介は必要なかろう。我が英雄譚は、余よりも外のものの方がよく知るのでな」
ガーファリアはニヤリと笑う。
先ほどまでの厳しい顔が嘘のようだ。
今は、悪戯に成功した悪童の表情をしている。
「お目にかかれて光栄です、陛下。俺の名前はヴォルフ・ミッドレス。この度、聖戦の指揮官を仰せつかりました」
ヴォルフは改めて挨拶する。
さらに順番にクロエ、エミリ、アンリと続いた。
「なるほど。ほう……。メーベルド刀術の師範に、ワヒト王国一と名高いムローダ家の跡取り。それに辺境騎士にして大公姫。極めつけは【雷王】か。全員が化け物と来たか……。随分と抱えたものだな、ヴォルフ」
「陛下……。女性に化け物はないでしょう」
諫めたのはハッサルだった。
「それよりも、私の紹介をいただけませんか?」
「ああ。そう言えば、そうだったな。この側に控えるのは、ハッサル・ミニミア。余の相談役だ。お前たちに馴染みがある言い方をするならば、三賢者の1人だといえば、わかりやすいか」
「三賢者の1人!」
ヴォルフは驚く。
ただ者ではないことはわかっていた。
それでも、よもや街中にいる占い師までが、名のある三賢者とは……。
しばし、ヴォルフは呆然とハッサルを見つめる。
「イヤですわ、ヴォルフ殿。そんな熱烈な視線を送られては」
「え? いや、すまない! てか――。あんた、目が見えないだろ?」
ハッサルの目には包帯が巻かれている。
例え目が見えても、これでは見えないはずだ。
そのハッサルはクスリと笑った。
「目が見えなくても、わかることの方が多いのですよ。ねぇ、クロエさん」
「そうやね。ヴォルフはんも、目ぇを瞑って生活してみるといい。ぎょうさん色んなことがわかりますよって」
クロエも着物の袖で口元を隠し、笑う。
2人の美女にからかわれたヴォルフは、癖毛を掻くことしかできなかった。
「ヴォルフ殿……。そろそろ本題に入った方がよろしいかと」
「ああ。そうだな。イーニャ、頼む」
ガーファリアに説明するのは、イーニャの役目だった。
皇帝陛下とは、イーニャが留学していた時からの知己だ。
それなりに仲が良かったらしい。
お互い強者同士。
何か惹かれるものがあったのだろう。
「陛下、実はここに来たのは――」
イーニャが説明を始めた瞬間、ガーファリアは手を上げた。
その仕草以外、声を発することもなかったのに、自然とイーニャは口を閉ざす。
すでに、その時のガーファリアは君主の顔になっていた。
「お前たちがここに来た理由は知っている。我が国内に無法者のアジトがのさばっていると考えているのだろう?」
「!?」
ハッサル以外、全員がガーファリアの言葉に息を呑む。
実は、バロシュトラス魔法帝国に対し、訪問理由は言付けていなかった。
ラーナール教団のアジトがバロシュトラス魔法帝国の領土にあり、その調査をさせてほしいとあらかじめ言えば、入国することすら断られると思ったからだ。
だが、ガーファリアは知っていたらしい。
魔法か、それとも国それ自体の諜報能力の高さか。
すべてわかっている様子だった。
事前に耳にしているなら話は早い。
そもそも知っているなら、入国させなければいいだけだ。
しかし、ガーファリアは皇宮に招いた。
向こうも何かしらの考えがあるのだろう。
ヴォルフは素直に調査の協力を申し出る。
しばらく、ガーファリアが逡巡した後……。
「断る……!」
きっぱりと言い放った。
広い謁見の間の空気が、一気に凍り付く。
冗談……という雰囲気ではない。
今度こそガーファリアは本気だった。
その皇帝に対して、立ち上がったのはイーニャである。
「なんでだよ、陛下! あんたも言ったろ? この広いバロシュトラス魔法帝国に、無法者がいるんだ。あんたの兵を貸してくれとは言ってない。調査だけでもさせてくれってお願いしてるんだ」
「断る……。この国は余の国だ。たとえ無償といわれても、余の国を暴くものを蔑ろにはできん」
「この世界の危機なんだ! 世界同士がぶつかっちまうんだぞ!!」
「二重世界理論か」
「そこまで知っているのですか?」
目を丸くしたのは、ヴォルフだった。
「無論だ。余に知らぬことはない」
「だったら協力していただけませんか? あなたの国、民が皆、死ぬかもしれないのですよ」
「何度も言わせるな。断ると……」
「ガーファリア!!」
イーニャは1歩踏み込む。
猛犬のように「ぐるるる」と牙を剥きだした。
その後ろの尻尾はピンと逆立っている。
「一国の皇帝を呼び捨てにするか、狼め。不敬罪である。誰か」
ガーファリアが鋭い瞳を光らせる。
すると、謁見の間が開くと、わらわらと近衛がやってきた。
あっという間に、ヴォルフたちを取り囲む。
「牢に繋いでおけ」
冷たい声が、広い部屋に響くのだった。
気付いた人もいると思うけど、
ガーファリアのモデルはあれです、金――――。
でも、一応断っておくと、今あれをやってるからとかじゃなくて、
実は伏線はもっと前から張っていたことに気付いてくれる人がいるだろうかw
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