第189話 おっさん、世界の広さを知る
ギリッ……。
ヴォルフの拳に自然と力が入った。
鍛え上げた筋肉が小さく隆起する。
その顔は真っ赤だ。
怒りというよりは、何か最大限の痛みに堪えているように見えた。
「今、なんて言った?」
声を震わせる。
気を増すヴォルフを前にしても、占い師の女は飄々と言葉を発した。
「あなたは娘さんを失うと申し上げました」
ダンッ!!
さすがに今度は堪えきれなかった。
ヴォルフは占術師の前に置かれた机を叩く。
薄いただの木の机だ。
それがへし折れなかったのは、まだヴォルフに理性が残されているからだろう。
「俺はな。娘を愛している」
「はい。存じております」
「目に入れても痛くない――可能であれば、目に入れておきたいぐらい可愛い娘なんだ。だから、あんたの占いが当たろうが外れようが、そんなことは冗談でも、たとえ予言であっても、言って欲しくないんだ」
「申し訳ありません」
すると、占い師の女は素直に謝罪した。
緩やかに頭を下げ、そして再びヴォルフの方に顔を上げる。
「しかし、ヴォルフ様。私の占いはこれまで外れたことがございません」
「――――ッ!!」
ヴォルフが息を呑んだ。
いよいよ女に手が出そうになった時、背筋が凍るような気配に気付く。
「おいおい。貴様、女に手を上げるなど紳士のやることではないな」
ヴォルフは反射的に飛び退く。
その女から離れると、前を向いた。
立っていたのは、頭に宝石が付いたターバンを巻いた男だった。
首からはジャラジャラとアクセサリーを下げている。
装飾具自体はどれも高そうなのだが、男の恰好はあくまでラフだ。
ゆったりとした絹のパンツ。上着の前が開き、鍛えた身体が丸見えになっている。
まるで荒くれ者か船乗りのような恰好であった。
ちぐはぐなのは着ている物だけではない。
薄い口元は女性を魅了するに足るほど甘く、しかし鋭くつり上がった瞳は、狼を思わせる。
飄々としながら、一方で油断のない眼差しをヴォルフに注いでいた。
「誰だ? あんた?」
「通りすがりのものだ。時々、正義の味方もやっているがな」
「そうか。……いや、悪かった。少し俺もどうかしてた」
ヴォルフは反省する。
占い師が言ったことは許せるものではない。
それと女に暴力を振るうのは別問題だ。
レミニアもそれを望むことはないだろう。
「なんだ? やらんのか?」
「ああ……。あんたは、その占い師の連れか? それとも用心棒か?」
「どちらでもない。言っただろう? 時々、正義の味方もやっていると」
「わかった。いや、助かった。あんたのおかげで俺も冷静にな――――」
瞬間、ヴォルフの前にあったのは、曲刀の切っ先であった。
「――――ッ!!」
ヴォルフは反応する。
しかし、速い。
さらに虚を突かれた分、相手の間合いに深く入り込みすぎていた。
それでも、ヴォルフは首を捻る。
間一髪、男の攻撃を躱していた。
タンッと地を蹴り、一旦男の間合いの外に逃げる。
男も不必要に追いかけなかった。
ゆっくりと曲刀を引き、その場で構え直す。
「(頬が熱い)」
頬に触れると、指先に血が付いていた。
顎を伝い、2、3滴地面に落ちる。
思ったよりも浅くない。
だが、すぐに娘がかけた【時限回復】によって、傷がふさがってしまった。
「ほう。それが【大勇者】がかけたという強化魔法か。なるほど。確かに強力だな。我が国の最高の魔導士がかけたところで、そこまで高性能に強化することはできぬだろう」
「レミニアのことを知っている? あんた――いや、あんたたちは何者だ?」
ヴォルフは武器を持った男と、後ろで椅子に座ったままの占い師を視界に収める。
すでに騒動に発展していた。
周りは帝国市民に取り囲まれ、突如始まった喧嘩に声援を送る。
喧嘩が街の華だと思うのは、レクセニル王国もバロシュトラス魔法帝国も同じらしい。
一方、男は騒動に発展しても動じる気配はない。
むしろ後ろの観衆の声援に応え、手を振って煽っていた。
今一度、ヴォルフの方に向き直り、曲剣の腹で己の肩を叩く。
「俺のことはガーフと呼べ。そして、名前以外のことが知りたかったら、俺を倒してみろ、伝説よ」
ガーフと名乗った男は飛び出す。
「速い!!」
先ほどの奇襲は、ただヴォルフが虚を突かれたわけではない。
やはり、このガーフという男の身体能力が高いのだ。
「くっ!」
仕方なくヴォルフは新刀【カグヅチ】を抜いた。
素手で押さえ込めるほど、この男とヴォルフに力量の差はない。
やがて硬質な音が響く。
ヴォルフはガーフの一撃を受け止めていた。
「良い反応だ。理解しただろう?」
「何がだ?」
「我が侮れない相手だということがだ」
ガーフは曲刀を返す。
その場で素早く一回転すると、再び渾身の一撃をヴォルフに浴びせた。
動きが大きく、明らかに隙だらけであるのにヴォルフは受け一辺倒だ。
「(速い! まるで暴風だ!)」
しなかやかな腰の捻り。
大胆でありながら、コンパクトな動きによって打ち出される一刀。
インパクトの瞬間から襲ってくる重い一撃。
その3つ要素が合わさり、【剣狼】ヴォルフが反撃できずにいた。
何より特筆すべきは、激しい動きでありながら、ガーフが全く息を切らせていないということだ。
しかも、回れば回るほど一撃が重くなっているような気がする。
遠心力が徐々に加わることによって、一振りの質が上がっていっているのだ。
受けるヴォルフの手が次第に痺れてくる。
ここまで人と打ち合ったのはワヒト王国の【剣聖】ヒナミ以来だろう。
「どうした、伝説よ? 防戦一方ではないか」
このままでは押しきられる。
そう思った時には、ヴォルフの背後に壁があった。
すでに窮地に立たされていたのだ。
「(追い込まれた!?)」
ガーフはニヤリと笑う。
剣の腕だけではない。
戦術にも秀でているらしい。
「終わりだぞ、伝説!!」
最大風力を得た一撃が、ヴォルフの首筋に吸い込まれる。
だが、その時ヴォルフの【カグヅチ】はすでに鞘に収まり、セットされていた。
最速、そして最短――。
【無業】
必殺の刀術が発動する。
鞘から抜かれたのは、獰猛な狼の一撃であった。
再び硬質な音がバロシュトラス魔法帝国の路地に響く。
気がついた時には、ガーフは吹き飛ばされていた。
「と、とととととと」
あわあわと空中で手と足を動かす。
なんとか着地に成功したが、一気に占い師のいる軒先にまで後退していた。
「「「「おおおおおおお!!」」」」
歓声が上がる。
観衆の視線は中年の冒険者に向けられた。
「ふぅ」
ヴォルフは額に汗を拭う。
さっきの剣技は凄まじかった。
そしてヴォルフが知るどの剣技にもないものだ。
少し慌てることになったが、なんてことはない。
基礎能力や技のキレは、ヴォルフの方がわずかに上だ。
だが、認めなければならない。
この男は強い。
姿こそ街中のごろつきに近いものがある。
が、剣技のレベルはクロエ、基礎能力はイーニャに届く。
ヴォルフが静かに賛辞を送る中、本人は自身の握力を調べていた。
【無業】をまともに受けたのだ。
その衝撃を食らって立っていること自体、異常なのだが、相当痺れが来ているはずである。
剣をしっかりと握ることすら難しいだろう。
「まだやるか?」
「無論よ。まだお前を味わい尽くしていないからな」
ガーフは剣を握る。
そして構えた。
剣気が膨れあがる。
どうやら、本気を出していなかったのは、ガーフも同じらしい。
だが、ヴォルフも気付かなかったわけではない。
ガーフには何か底のないものを感じていた。
当然、本気でないことも。
「(まさか……。こんな帝国の路地裏で、S……SSランクに近い人間と相対することになるとはな)」
世界は広い……。
何もかも片付いたら、世界を放浪するのも悪くはない。
むろん、レミニアと一緒にだ。
「ふっ」
ヴォルフは腰を落とす。
【カグヅチ】を納刀し、備えた。
「行くぞ、伝説」
「いつでも……」
緊張感が増していく。
空気が張り詰めていくのがわかった。
騒いでいた周囲から音がなくなる。
次第に、風の音すら止んでしまった。
タッ!
その中で2人の足音だけが響き渡る。
お互いしっかり踏み込むと、己のすべてを一振りに込めた。
ギィィイイィイィイイィイィイィイィイィィィイイイ!!
一瞬顔を顰めてしまうほどの甲高い音が鳴り響く。
観衆たちが気付いた時には、ヴォルフとガーフの位置が変わっていた。
互いに得物を振り払った状態で、固まっている。
「ふん。相打ちか」
ガーフが鼻を鳴らす。
すると、ヴォルフは残心を解いた。
「いえ」
その瞬間、コォンと音がして、ガーフが握った曲刀が折れる。
それを見て、ガーフは驚くよりも先に笑った。
「ほう。国一番の刀匠に頼んで作ったものなのだが」
「刀の性能もあるでしょう」
ヴォルフはゆっくりと【カグヅチ】を剣に収める。
今日も己を生かしてくれた愛刀に敬意を示す。
「ですが、あなたの剣技はしなやかなようで、武器に対しては荒い。俺からすれば、あんたの剣技は武器を折ることが前提になっているように見える」
ヴォルフを追い詰めた激しい連撃を例に出す。
あの連撃は、速度、重さともに理想的なものだった。
だが、あれほどの連撃を何度も当て続ければ、剣の内部の応力が高まり、折れることは必然と言えた。
戦う前から、すでにガーフの曲剣はボロボロだったのだ。
「かか……。なるほどな。剣など折れて当然と思っておったが、それをいたわるのも戦術の1つということか。良いことを知った。さすがは、伝説だ」
「さあ、そろそろ正体を明かしてもいいでしょう? あなたほどの使い手が、単なる街の義賊とは到底思えない」
勝利をしたのに、ヴォルフは浮かない顔だった。
すると、すぐ横で声が聞こえた。
「ああ! 見つけたぞ、師匠!!」
観衆の間からイーニャがやってくる。
その後ろには、クロエ、アンリ、エミリと続いた。
そして、ヴォルフにいの一番に飛びかかってきたのは、ミケである。
『何してるニャ、ご主人様は』
ガリガリと頭を掻く。
爪を立てて、主人を叱った。
「痛た!! 痛たたたたた! やめろ、ミケ!!」
ヴォルフは飼い幻獣の制裁に対し、まさに頭を抱える。
だが、その横でさらなる事件が起きていた。
「うわあああああああ!!」
声を上げたのは、またイーニャだ。
ビッと指差す。
その先にいたのは、ガーフだった。
「ガーファリア陛下!!」
「え? 陛下?」
頭の上にミケを載せたヴォルフはパチパチと目を瞬くのだった。
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