第186話 悪魔の竜
2月4日『ゼロスキルの料理場』のコミックスが発売されました。
是非週末のお供にご笑覧いただければ幸いです。
初めに気付いたのは、ミケだった。
鼻をヒクヒクと動かし、顔を崖の上に向ける。
相棒の様子を見て、ヴォルフも上を見た。
タイミングが重なる。
崖の上にぬっと影が現れた。
あの下品な顔を浮かべた山賊が並んでいる。
先ほどよりも、数が多い。
ざっと百数十といったところだろう。
「懲りない方たちやねぇ」
「数を揃えたところで、雑兵は雑兵でござる」
「雑兵じゃなくて、山賊な」
「悪党は処するのみ!」
10倍以上の戦力が現れても、クロエ、エミリ、イーニャ、アンリの戦意が落ちることはない。
ミケも青白い炎のような雷精を帯びて、やる気を漲らせていた。
だが、一方心優しいヴォルフは降伏を促す。
「お前たち、降伏しろ。お前たちの腕では、何人集まったところで同じだ」
「なんだとぉ!」
「言わせておけば!」
「調子に乗りやがって!」
きぃきぃと山賊ならぬ、山猿のように吠える。
「大賊長、やっちまいましょう!!」
山賊の1人が促す。
大賊長といわれた一際大きな男は、ヴォルフの方に黄ばんだ歯を見せ、笑った。
「お前ら、冒険者か?」
「違う。俺たちはレクセニル王国の聖騎士だ」
聖戦に参加する兵士や騎士を、聖騎士と呼ぶ。
それは昔からの習わしだった。
「聖騎士? まあ、いい! 調子に乗るなよ、騎士様よ」
「調子に乗ってんのはお前らの方じゃねぇか」
イーニャは叫ぶ。
「ふん! その威勢、いつまで続くかな?」
大賊長が掲げたのは、何かの魔導具だった。
「あれは?」と反応したのは、イーニャだ。
すると、大賊長は魔導具に魔力を込める。
赤く光ると、奇妙な音を発した。
…………。
沈黙が落ちる。
不気味な静寂が広がっていた。
「なんや? 虚仮威しか?」
「いや、違う」
クロエの言葉を、ヴォルフが否定した。
一見何も起こらなかったように見える。
だが、何も起こらなさすぎる。
いや、静か過ぎるのだ。
山鳥の鳴き声も、谷間を抜ける風の音すら止んでいた。
ふわっ……。
瞬間、ヴォルフが立つ地面を大きな影が滑っていった。
すでにその姿は、ヴォルフの眼に映っている。
蝙蝠の翼を何百倍にも大きく、力強くしたような異形の翼。
鎧のような胸は赤黒く、前腕にも後肢にも鋭い爪が光る。
長い首の先には紅蓮の瞳が閃き、槍のような牙から唾液が滴っていた。
何よりも青い空を穢すような黒の姿は雄々しく、吐き出した吠声は聞くものを心胆から寒からしめる。
「デーモンドラゴン!」
声を上げたのは、アンリだった。
ドラゴン最強種といわれるグランドドラゴン。
その種よりは劣るが、驚異的な制圧力を誇る竜種である。
以前、ヴォルフが相手したワイバーンの母竜よりも遥かに強く、何より俊敏な動きと鎧のような鱗の防御力は、グランドドラゴンにも引けを取らないものだった。
「ぐはははは! 驚いたか、お前ら!? だが、驚くのはまだ早いぞ」
大賊長は魔導具を掲げた。
ぐるりと腕を動かす。
するとデーモンドラゴンが空で素早く旋回した。
魔導具の動きに反応しているのは、明らかだ。
「ありゃあ、【魔獣の銀紐】だな」
イーニャは目を細める。
「確か、魔獣を操作する魔導具ですね。かなり高価な魔導具のはずですが……」
アンリが付け加えた。
「ほな、なんでそんな高価なもん、山賊が持ってんの、おかしくない?」
おっとりとした顔で、クロエは首を傾げた。
すると、ヴォルフの横でエミリが刀の柄に手をかける。
「それよりも今は――」
『あいつをどうにかする方が先にゃ!』
ミケも軽く牙で爪を研いだ。
ヴォルフの仲間たちの様子を見て、驚いたのは山賊たちの方である。
国の騎士ですら腰を抜かすほどのデーモンドラゴンを前に、1歩も引く様子はない。
むしろその戦意が高揚していくのが見て取れた。
「な、なんなんだ、あいつら!? ええい! もういい!! やれ! デーモンドラゴン!!」
【魔獣の銀紐】を通して、大賊長は空を旋回するデーモンドラゴンに指示を送る。
デーモンドラゴンはその命令にすぐ答えた。
鋭い吠声を轟かせる。
瞬間、喉部分が激しく蠕動した。
「あれは!?」
「やべぇぞ! デーモンドラゴンの毒霧だ!」
エミリとイーニャが目を丸くする。
デーモンドラゴンはグランドドラゴンやワイバーンとは違って、炎を吐く器官を持っていない。
代わりに、毒の霧をまき散らす。
微量を吸い込んだだけで、死に至る強力な毒性を帯びていた。
まずい!
何がまずいかというと地形にある。
両端は切り立った崖。
幅もいくらもない。
ここに毒霧をぶち込まれれば、逃げ場がないのだ。
ヴォルフ1人ぐらいなら逃げられるだろう。
しかし、他の仲間は無理だ。
特にクロエは目が悪い。
「みんな、私の周りに集まってくれ!」
声を張り上げたのは、アンリだった。
考える前に、ヴォルフたちは動く。
アンリが一体何をしようとしているかわからないが、仲間を信じるしかなかった。
刹那、デーモンドラゴンから毒霧が放たれる。
夜の闇をさらに煮詰めて濃くしたような霧が広がった。
たちまちヴォルフたちがいる谷に毒霧が充満する。
聞こえてきたのは死者の声ではない。
大賊長の高笑いだった。
「ひゃははははは! まともに受けやがった! 馬鹿なヤツらだ。オレ達に逆らわずに大人しく捕まれば良かったのによ」
大賊長は毒霧に覆われた谷を見つめる。
毒霧を吐いたデーモンドラゴンも勝ち誇るように吠声を上げた。
だが――。
「なんだ!?」
大賊長の顔がたちまち青くなる。
濃い黒霧の中で、ぼんやりとだが光が見えた。
夜中の月のように明るいそれは、一気に膨らんでいく。
すると、周囲の毒霧を瞬時にして払ってしまった。
「まさか! 魔法か!! それもレベル7クラスの浄化魔法!!」
大賊長は思わず足を引く。
その眉間に大きな汗滴が垂れていった。
やがてその瞳に映ったのは、4人の乙女と1匹の猫、そしてずんぐりとした男1人だ。
その中心で細剣の柄の方を上に掲げた女騎士がいる。
魔法鉱石がはまったそれが、強い魔力を帯び、周囲に光を放っていた。
「くそ! デーモンドラゴン!!」
今1度、デーモンドラゴンを呼び出す。
【魔獣の銀紐】を使って、指示を出そうとする。
しかし、1歩遅かった。
「それは使わせないでござるよ」
気がついた時には、ワヒト王国の着物を着た女刀士が立っていた。
大賊長が持っていた【魔獣の銀紐】を弾く。
「チッ!」
舌打ちし、今度は腰に下げていたショートソードを引き抜こうとした。
だが、時すでに遅い。
大賊長の前には、巨大な鉄塊が撃ち下ろされた。
「動くなよ!」
イーニャの臙脂色の瞳が光る。
その巨大な鉄塊に顔を青ざめさせるかと思ったが、大賊長は強気だった。
むしろ顔を赤らめ、憤慨する。
「はっ! これで勝ったと思うなよ! オレ達にはデーモンドラゴンがいる」
【魔獣の銀紐】から解き放たれたが、デーモンドラゴンは空の上で暴れ回っていた。
やがて、再び喉を蠕動させる。
「ふははははは! これでお前達も終わりだ!」
「終わりじゃねぇよ」
イーニャの冷たい声が響く。
次の瞬間、男の視界に移ったのは、1人の男だった。
雷を纏い、高速で空へと打ち出される。
真っ直ぐデーモンドラゴンに肉薄すると、美しい刃紋を持つ刀を抜き放った。
「うぉおおおおおおおおおおおお!!」
ヴォルフだ。
その【剣狼】の吠声が響き渡る。
そして、狼とデーモンドラゴンは空中の頂点で交錯した。
やがてお互い落下してくる。
ヴォルフは見事両足で着地し、淡々と鞘に収めた。
一方デーモンドラゴンは、その巨躯を地面に叩きつける。
首元からバッサリと切られ、すでに絶命していた。
「そんな……」
大賊長は声を漏らす。
信じられない、という風に息を呑んだ。
竜種の硬い皮膚をいともあっさりと切り裂く膂力。
高速で飛びたっても、ぶれない軸。
竜種と向かい合った気迫。
見た目はアラフォーの冒険者。
しかし、その漂ってくる雰囲気は脂の載った若い冒険者そのままだった。
「お、お前! 一体何者だ!?」
大賊長は尋ねずにはいられない。
すると、ヴォルフは振り返った。
「ヴォルフだ。ヴォルフ・ミッドレス!!」
「まさか……! 『竜殺し』の…………」
大賊長の戦意は消失する。
相手が悪かったとばかりに、ぐったりと項垂れるのだった。
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