第18話 おっさん、猫の餌係となる。
お待たせしました。
新章『冒険者始動篇』開幕です。
(※ 前回の後書きからちょっと変更しました)
2018/01/27 14:06
冒頭を加筆・修正しました。
「ヴォルフ・ミッドレス……?」
牙犬族の獣人は、カウンターの向こうのヴォルフを睨んだ。
眉間に深く寄った皺と垂れた頬が強面な印象を持たせるものの、ピンと立てた耳とつぶらな瞳がやたら可愛い。
厳つい面相ゆえ、どうしても男に見えてしまうが、聞こえてきた声から察するに、女性のようであった。
「昔、冒険者をやっていた。また仕事をしたいので再登録したいのだが」
「だから、Dクラスからはじめさせてくれというのですか?」
新人のFクラスと、中級者のDクラスでは、クエストで受け取れる報酬額がまるで違う。
ヴォルフもやったが、Fクラスでは冒険者をしながら内職をしないと生活するのは難しい。運良くパーティーの一員になれれば儲けものだが、新人を雇うことなど身内でもなければ滅多になかった。
「カラのギルドの紹介状もある。そこに書いてあるとおり、十分Dクラスの仕事を請け負えると思うのだが」
ヴォルフはニカラスから馬車で2日のところにあるバルネンコという港湾都市のギルドに来ていた。
再起を決意したヴォルフだったが、ニカラスから1番近いカラのギルドでは、再登録手続きは難しいといわれた。
仕方なく1番近くて大きいバルネンコに手続きしにやってきたのだが、いきなり塩対応を食らっているというわけだ。
ギルドの受付嬢は紹介状に目を細める。
カラのギルドが精魂込めて書いてくれた紹介状を、机の上に放り投げた。
「いるんですよねぇ、そういう人。年齢を理由に職場を解雇されて、冒険者となって再就職する人。それも、Fクラスじゃ食っていけないから、Dクラスからはじめさせろって人がね」
「あ。いや、俺はそういうのじゃなくて」
「しかも、ヴォルフ・ミッドレスなんて、これ見よがしに……。あんたみたいなおっさんが、『竜殺し』『100人斬り』のヴォルフなわけないでしょ?」
「いや、紹介状にはきちんと身分が――」
「こんなもの! いくらでも偽造できます!! たとえ本物だとしても、こっちはギルドの本店ですよ。地方支部の小娘が何をいおうと、本店には本店の規則があるんです!!」
叩きつけるように書類に判子を押す。
ギルド証明書には「F」と刻まれていた。
紹介状とともに突っ返すと、「次の方」と列を回す。
ヴォルフは渡された証明書を見ながら、頭を掻く。
仕方ない、と諦めた。
(ところで、『竜殺し』『100人斬り』のヴォルフって誰だ?)
どうやら、同姓同名の凄い冒険者がいるらしい。
朴訥な新人冒険者は、本気でそう思っていた。
仕方なく、Fクラスのクエストを中心に依頼を探す。
壁一面に貼られた依頼書の横には、標語が書かれていた。
世界の安寧を守るもの――ギルド。
ギルドは昔、『猫の世話係から害獣討伐までなんでもやります』という触れ込みで、総合派遣業を営んでいた商社だった。
それが職業斡旋所となり、世界に展開するようになったのは、200年前。突然の魔獣襲撃と、ギルドが斡旋した伝説の勇者レイルの功績のおかげだ。
以来、その権威は膨れ上がり、今や国という制度に肩を並べる巨大な組織になりつつある。
それ故か……。
ああいう不遜な受付嬢は、どこのギルドにも1人はいる。
ヴォルフは1枚の依頼書を手に取る。
「猫の世話係募集……」
まさに昔の標語通りの依頼だ。
Fクラスはつい先日まで子供だった冒険者にも出来るものが多い。
こうしたおつかいのような依頼ばかりなのだ。
もちろん、依頼料は雀の涙なのだが、これはなかなかに高額だ。
節約すれば、これだけで食べていけるかもしれないが、何か特殊スキルが必要なのだろう。
ヴォルフは即決し、依頼書を持ってカウンターに戻っていった。
◇◇◇◇◇
手続きをし、ギルドを出る。
風が吹くと、潮の香りが鼻腔を突いた。
坂の上から海岸を見ると、白波が輝いている。
初めて来たが、バルネンコは大きな港町だった。
高層の煉瓦館が続く大通り。
港には大きな帆船が停泊し、その港から続く石畳が丘の上にある公園までなだらかに続いている。
閑静で、行き交う人の身なりもいい。
おそらく金持ちの街なのだろう。
来たはいいのだが、実は帰りの旅費がない。
早速クエストを受けたのは、そのためだ。
依頼書に書かれた住所を頼りに歩いた。
やがて、通りから少し外れた屋敷町に出る。
依頼人の家は、その一角にあった。
他と比べてこぢんまりとしていたが、庭もありなかなか風情のある建物だ。
その玄関先で何やら老女と役人らしき人間がもめている。
一方的に老女はまくし立てると、しまいには水が入った桶を持ってきてぶちまけた。慌てて役人たちは逃げ出す。
「なんて頑固なババアだ」
悪態をつくと、ヴォルフの横を通って、退散していった。
柄にかけていた手を離す。
どうやらヴォルフの出番というわけではなかったらしい。
依頼人はなかなかたくましい女性のようだ。
ほっと息を吐くと、入れ替わるように声を掛けた。
「えっと? ミランダ・ヴィストさん?」
「そうだよ。あんたは?」
ミランダは神経質そうな目を光らせる。
一瞬、ぎょっと身を竦ませたが、同時にどこかで見たことがあるような気がした。
改めて、婦人の容姿を確認する。
白髪交じりの黒髪。
南方生まれの浅黒い肌。その眉間に深く皺が刻まれている。
70歳過ぎといったところだろうか。
杖はついているが、肌つやは決して悪くはなかった。
「ギルドからの依頼できました。ヴォルフと申します」
「あんたみたいなおっさんが?」
「ええ……。まあ……」
「……わかった。入りな」
杖を突き、家へと招く。
一息つく暇もなく、家の地下へと案内された。
高額な依頼料について聞きたかったが、そういう雰囲気ではない。
何かやばい匂いがぷんぷんする、
だが、ミランダ自身は悪い人間には見えなかった。
「この部屋にいるミケが、あんたが世話をする猫だよ」
扉を開ける。
獣の臭いが鼻を突いた。
そこに1匹の白猫が寝そべっている。
特徴的な長い毛並み。愛くるしさすら感じる短い足。
波斯猫という高級猫だろう。
だが、通常のサイズよりも体躯が大きい。
何より、その尾は9つに別れていた。
「幻獣か……?」
「ほう。よくわかったね」
幻獣はストラバールに元々棲む希少種全般を指す。
普通の獣とは違い、魔力を帯び、強い幻獣は人と会話することも出来るという。
この猫に見える幻獣はリンクスといい、東の方ではネコマタとも呼ばれていた。
ヴォルフが部屋に入った瞬間、空気が震える。
マザーバーンと対峙した時のような圧力を感じた。
いや、それ以上だ。
あからさまに、ミケに警戒されているのがわかった。
ミランダは慣れているのか、平気な顔をして説明する。
「これはあたしの旦那の猫でね」
ミランダの夫は、数少ない幻獣使いだったそうだ。
その夫は1年前に他界。妻とこのミケだけが残ったのだという。
「旦那と同じで気むずかしいヤツでね。気性が荒くて、全然なつきやしない。世話してるあたしにも爪を立てるんだ。その癖、きっちり餌だけは食べるんだから……。飛んだ甘ったれ猫だよ」
「えっと……。世話って何をやればいい?」
「餌やり、水替え、掃除、出来るなら遊んでもやっとくれ。……あたしはこれだからね」
杖で自分の足を叩く。
さらに手を見せた。
手の甲に引っ掻き傷がある。
どうやらミケの仕業らしい。
「まずは気に入られるところからだ。あたしはちょっと出かけてくる。無理だというなら、出ていきな。咎めはしないよ。あんたの前にも冒険者が何人か来たが、1日ももたなかったからね」
ミランダは回れ右をし、部屋を出て行く。
その背中は少し寂しそうに見えた。
ヴォルフとミケだけが部屋に残される。
猫の方を睨むと、向こうも「ふー」と威嚇する。
「とりあえず、話し合うところからだな」
◇◇◇◇◇
王宮の中にある食堂に、赤い髪の少女の姿があった。
魚介ベースの汁に、馬鈴薯で作った麺が入っている。
器用に箸で摘まむと、勢いよく口の中に吸い上げた。
モチモチとした麺の食感と、魚介の風味が口一杯に広がっていく。
幸せそうな顔をしながら、麺を掻き込んでいった。
豪快に啜る少女を横目に見ながら、ハシリーは野菜炒めを食べていた。
色とりどりの野菜が薄く餡にくるまれ、夜明けの湖面のように輝いている。
「今日も饂飩ですか? 好きですねぇ、レミニアは」
「ぷはっ!」
汁まで飲み干すと、テーブルに器を置いた。
満足そうに口元を拭う。
空になった器をぼんやりと見つめた。
まだ食べ足りないのかと思ったが、口から出たのはレミニアらしい一言だった。
「パパ、ちゃんとご飯を作って食べてるかしら」
「またお父上の心配ですか。この前の手紙に元気だと書かれていたんでしょ」
「パパってね。なんでも素焼きにして食べるの。調味料とか一切使わないのよ。でも、それって身体に悪いと思うの」
(詳しいことは知りませんけど、余計な添加物を加えるよりは、むしろ素焼きの方が身体に良いように思うのですが)
過保護な【大勇者】の発言を聞いて、呆れる。
「そもそも調味料を使っているとか使っていないとかわからないでしょ。確かめようがないじゃないですか? 心配しても仕方ないですよ」
「大丈夫。そこは抜かりはないわ。だって、調味料にもわたしの魔法がかかっているの。その調味料を使ってご飯を食べると、段々と動物の言葉がわかるようになるのよ。家に帰ったら、それが出来るかどうか試すつもり」
「どんな魔法ですか、それは!!」
聞いたこともない。
動物会話というスキルはあるにはあるが、そんな魔法で会話出来るなら、魔獣使いや幻獣使いは廃業しなければならないだろう。
「(それにしても……。この娘に愛される父親も大変だな)」
レミニア絡みで苦労に耐えないハシリーにとって、遠くにいるヴォルフだけが、唯一の理解者のように思えるのだった。
◇◇◇◇◇
ミランダは屋敷に帰ってくる。
その手には、市場で買った1人分の食材が握られていた。
そろそろ陽も暮れる。
冒険者は音を上げる頃合いだろう。
ミランダは「はあ」と息を吐きながら、ミケがいる地下室へと降りていく。
「にゃ~~~~ぁ」
扉を開けぬうちにミケの鳴き声が聞こえてきた。
ミランダには経験のない間延びした声だ。
慌てて扉を開ける。
「なっ!」
声と一緒に錆びた心臓が飛び出そうになった。
ヴォルフはまだミケの部屋にいたのだ。
その手の先には、ブラッシングを受けているミケがいる。
顔はとろんとしていて、何とも気持ちよさそうだった。
それどころではない。
ミケの部屋はピカピカになっていた。
角に固まった毛玉は取り払われ、小便がしみこんでいた床も鉋で削ったのかと思うほど、くすんでいた木目がはっきりと見える
いや、それよりも夫以外の人間が、ミケに触るなどあり得ない話だ。
「あ、あんた一体、何をしたんだい?」
「いや、別に……。本人ときちんと話し合ったら、わかってくれました」
「本人って? あんた、ミケと会話できるのかい?」
「えっ!? ミランダさんはわからないんですか?」
逆にヴォルフは尋ねる。
ミランダは頷くと、突然やって来た冒険者は遠くの方を見ながら呟いた。
「レミニアの仕業か。これも……」
「あん? なんかいったかい?」
「こっちの話ですよ」
ヴォルフは慌てた様子で手を振った。
ミランダは「ちっ」と舌打ちしながら、髪を掻きむしった。
やがて落ち着くと、部屋を出て行こうとする。
「あんた、家はどこだい?」
「ニカラスですけど……。あ、そうだ。宿をとらないと!」
突如、立ち上がり頭を抱える。うっかりしていた。
野宿か、とヴォルフが諦めたその時、ミランダが口を開いた。
「うちの屋根裏なら空いてる。今日は泊まっていきな。その代わり、夕食までその子と遊んでておくれ。飯も付けるからさ」
「え? いいんですか?」
「あたしの手料理だ。不服かい?」
「いえ。そういうことじゃなくて。泊まってもいいんですか」
「ババアがいる屋敷に泊まるのはイヤかい?」
ヴォルフは思いっきり首を振った。
もうすぐ初夏とはいえ、まだ夜は肌寒い。
さすがに体調を崩すだろう。
ミランダは部屋を出て行く。
神経質そうに歪んだ顔に、笑みが垣間見えたような気がした。
ギルドの受付嬢のおしおきは、章最後に……。
お楽しみに!








