第182話 男の酒宴
かくして作戦会議は閉会した。
出席した諸侯や騎士、あるいは名のある冒険者は、十人十色という表情で、議場を後にする。己を鼓舞する者、やる気を漲らせる者がいる中で、やや複雑な顔を浮かべる者もいた。
1番ショックだったのは、レミニアの賢者の石の話である。
その材料が人間だと聞き、まるで悪夢にうなされた後のような顔をして、退出する者もいた。
それほどレミニアの話が、衝撃的だったのだ。
一方、ヴォルフは迷っていた。
実は、レミニアがレクセニル王国に残るという話は、会議が始まる前から聞かされていた。
娘なりの配慮だったのだろう。
議場で驚かないようにするためだ。
しかし、理由まで聞かされていなかった。
レミニアは世界最高の戦力だ。
たとえ、大賢者ガダルフとて、ベストな状態のレミニアを止めることはできない。
だからレクセニル王国においても大丈夫だと感じていた。
むしろ、戦場から遠ざけられる分、安心していたぐらいだ。
だが、今日の話を聞いて、ヴォルフは不安になってきた。
故に【剣狼】は迷っている。
自分は残るべきではないのか、と……。
そのレミニアは会議が終わると各国の代表者や研究者から質問攻めを受けていた。
残念ながら、そこにヴォルフが入る余地がなく、先に議場を後にした。
そして、今は夜だ。
結局、まだレミニアと話せていない。
そして、レミニアがヴォルフの部屋に来ることはなかった。
「どうすればいい……。なあ、あんた」
真っ黒な夜にヴォルフは語りかける。
話しかけたのは、レミニアの母だった。
「あんたに言われて、俺はずっとレミニアを守ってきた。もちろん、レミニアは俺の娘だからってのもある。でも、半分はあんたに託されたからだ。なあ……。あんたは、何故あそこにいたんだ? どうして、俺なんかを選んだんだよ」
誰もいない部屋で、ヴォルフの声だけが響き渡る。
しかし、返答はない。
ただ虚しく響くのみだ。
「やはり……」
残ろう、とヴォルフが決心しかけた時、ノックが鳴った。
「レミニア?」
嬉々としてヴォルフは部屋の扉の前に立つ。
ノブを握り、扉を開けた。
「レミニア!」
ワッと抱きしめようと手を広げたが、それは寸前で止まる。
目の前にあったは、レミニアにしては筋肉質な肉体だった。
肩幅も広く、背も高い。
ヴォルフの視線が上を向く。
鋭い三白眼が、ヴォルフを見下げていた。
「ツェヘス将軍!!」
レミニアでもなければ、恋人のエミリでもない。
立っていたのは、レクセニル王国の猛将グラーフ・ツェヘスだった。
ツェヘスは開いた扉の隙間から部屋の中を見る。
「1人か?」
「え? ええ? 何か御用ですか?」
ヴォルフが尋ねると、ツェヘスは酒瓶を掲げた。
瓶には公用語が浸透する前に、ワヒト王国で使われていた文字が刻まれている。
「1杯付き合え」
「いや、俺は……」
「いける口だろう?」
「そういう気分ではないので――あ、閣下!」
ヴォルフが断る前に、ツェヘスはズカズカと入ってきた。
ソファに腰掛け、あらかじめ用意していたグラスを2つテーブルに並べる。
そこに持ってきた酒を注いだ。
「何をしに来たのですか?」
「見てわからんか? お前と酒を飲みに来た。作戦は3日後だ。お前と酒を飲む機会など、もうないかもしれんしな」
珍しく弱気なことを言う。
だが、気持ちはわかる。
この聖戦は過去最大のものだ。
そして、相手はラムニラ教の次に信者数を誇るといわれているラーナール教団である。
組織化された軍隊よりも、狂信者の群れは1番恐ろしいと聞く。
決して油断はできない。
それに、彼らにはなりそこないや、魔獣を操る術があるらしい。
信者よりも、そちらの方が恐ろしい敵になるだろう。
「ワヒトの酒だ。ヒナミ姫にいただいた。米の酒だそうだ」
ワヒトでは、米を発酵させて酒を造るのが一般的だ。
滞在中いくらか飲んだが、とてもおいしかった。
特に高い酒は危険だ。
まるで水のように味が澄んでいて、いくらでも飲めてしまうのだ。
ヴォルフは思わず喉を鳴らした。
同時に腹が低く唸る。
そう言えば、議場を出てから何も食べていなかった。
酒の芳醇な香りが鼻腔を衝く。
いよいよ我慢しきれず、ヴォルフはツェヘスの対面に座った。
すでにグラスの中には、酒がなみなみと注がれている。
グラスを持ち上げると、ツェヘスもまたグラスを掲げた。
示しを合わしたかのように突き合わせる。
カラリ、と乾いた音がヴォルフの部屋に響いた。
ヴォルフはぐっと酒を一気に呷る。
カッと喉が熱くなる。
それでもグビグビと喉を動かし、ついにグラスを空にした。
「ふー」
体内のアルコールを吹き飛ばすように息を吐く。
一方、ツェヘスもグラスを空にした。
何も言わず、ヴォルフと自分のグラスに酒を注ぐ。
「うまいか?」
「え? ええ……」
ヒナミ姫のお土産というだけはある。
かなり高い酒だろう。
やはり水のように澄み渡っていた。
飲みやすいのだが、それ故危険だ。
2人はまた同時にグラスを構える。
「今度は一気に飲みませんよ」
「当然だ。高い酒だしな。味わって飲め」
そう言いながらも、喉が2回動く。
お互いグラスの半分が消費された。
「はあ……」
「ふー……」
四十の男の息が漏れる。
最初に口を開いたのは、ツェヘスだった。
「迷っているのか?」
グラスの中の酒をクルクルと回し、弄びながらツェヘスは尋ねた。
ヴォルフは頷く。
「はい……」
「残りたいか?」
「はい。俺は――――」
すると、ツェヘスは手で制した。
「皆まで言うな。お前らの親子愛は少々暑苦しすぎる。何も喋らなくてもわかる。ここに残りたいということはな」
「す、すみません」
「だが、俺は反対だ」
「――――ッ!」
その時のツェヘスは、ヴォルフもよく知るツェヘスであった。
獰猛な野獣を前にしたような圧迫感に、さしものヴォルフもひやりとする。
「(これが猛将グラーフ・ツェヘスか……)」
幸運にも何度か対峙したことがあった。
だが、いずれの場面においても、ツェヘスは本気ではなかった。
けれど、今目の前にるツェヘスはまた違う。
酒の匂いすら漂わせているが、目は本気だった。
それ故、ヴォルフもまた本心からこう言った。
「将軍……。俺はここに残り、娘を守りたい」
「ダメだ。お前は、聖戦の司令官に選ばれ、そしてお前も受けたはずだ。司令官が王宮に止まっては、士気に関わる」
「なら、俺は司令官を――――」
「ヴォルフ・ミッドレス! 貴様、王の命に逆らうのか?」
「!!!!」
「ムラド王がお前の帰りをどれほど待ち望んでいたかわかるか。そして、お前を手元に置きたかったかわかるか。それでも、司令官に推挙した王の覚悟を、お前に理解できるか」
「それは――」
「アンリ姫やうちのウィラス、イーニャはお前の帰りを待ち望んでいた。貴様、恋人までいるようだな。その恋人はどうだ? 本当なら、皆――お前を送り出したくないのだ。それでも、お前を司令官とした。何故か……」
ヴォルフ、貴様が強いからだ……。
どん、と心臓を撃ち抜かれたような気がした。
ヴォルフは一瞬目の前が真っ白になる。
ただ視界には、獰猛な野獣のような瞳だけが光っていた。
すると、ツェヘスは立ち上がる。
「信じられぬか? ならば、それを証明しよう」
俺と立ち合え、ヴォルフ・ミッドレス。
大きな拳が、ヴォルフに突き出される。
淡々とツェヘスはヴォルフに決闘を申し込むのだった。
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