第1話 旅立ち
第1話目です。
よろしくお願いします。
村が魔獣に襲われてから7年後。
その爪痕は消え去り、ニカラス村は平穏そのものだった。
春に種を蒔き、夏には川の幸を、秋は実りを、冬には木を切る牧歌的な生活を営む村に、現在ちょっとした事件が起こっていた。
ある家の前に御者付きの馬車が止まっていたのだ。
立派な体躯と毛並みの馬。
繋がれた木製の客車は、馬以上に頑丈な印象を与えている。
中には一帯を収めるレクセニル王国の正装を纏った官僚が、迎えにきた人間を今か今かと待っていた。
その官僚を待たせている張本人は何をやっているのかというと、前掛けをしめ、洗い物をしていた。
基礎級の水系魔法を見事に操作し、木皿についた卵の黄身を洗い落としていく。
最後の皿を水切りに置くと、風と火属性の魔法を同時に操作し、乾燥を始める。一瞬にして、水ははじき飛ばされ、朝日を受けキラリと輝いた。
「レミニア、そろそろ行かないと。ハシリーさんに失礼だよ」
ヴォルフは椅子から立ち上がる。
洗い物を終えたレミリアは、前掛けの紐をほどく。
美しい赤髪を払い、振り返った。
「やっぱ行かないとダメ?」
困った顔を浮かべた。
予想通り、レミニアは美しく成長していた。
しなやかでいて、線の細い体躯。
色白の肌も、母親にそっくりだ。
胸の方も順調に育ち、ここ最近は半月に1度採寸を変えた服を着ている。
振り返ってみると、亡くなったレミニアの母も大きかったような気がしたが、さすがにそこまで注目できるほど余裕はなかった。
ただ残念ながら、背はあまり伸びず、当人も気にしている。毎日村の乳牛の乳搾りを手伝っては、新鮮な牛乳を飲み続けていた。
しかし、その努力はすべて胸の方へといってしまったらしい。
そんな美しい成長を遂げた娘に向かって、ヴォルフは息を吐いた。
「もう何度も話し合って決めただろう。そして王都へ行くと決めた。レミニアもママの研究が出来るって喜んでいたじゃないか」
「そうだけどぉ……」
レミニアは口を尖らせる。
身体は大きくなったが、ヴォルフから見ればまだまだ未熟だ。
心配することは山ほどあった。
「パパも来ればいいのに」
「それも話しただろ。パパは引退した身だ。今から居を変えて、違う水になれるのは難しいよ」
むぅ、と今度は頬を膨らませる。
最後には観念し、レミニアはまだ水に濡れた手でヴォルフに抱きついた。
「パパはレミニアが心配じゃないの?」
「心配だよ。でも、レミニアなら乗り越えてくれると信じている」
「わたしはパパが心配だよ。わたしが出て行って、パパ大丈夫?」
「大丈夫さ。昔は、1人で暮らしていたんだから」
「あまりお酒を飲みすぎたらダメだよ」
「わかってる」
「肉ばかり食べたらダメ。脂っこいのも」
「野菜もちゃんと食べるよ」
「栄養のバランスも考えて」
「うん。そうだね」
「掃除もちゃんとしてね。わたしが帰ってきて、ゴミ屋敷になってたら嫌よ」
「レミニアが帰ってくる前には綺麗にするさ」
「下着は1日1回履き替えること。洗濯も毎日するんだよ」
「約束する」
「あと……。あと……」
「レミニア。もうわかったから……」
ヴォルフは苦笑する。
最近のレミニアはすっかりヴォルフの女房のようになっていた。
父親が山や村での仕事をする間、魔法の勉強の傍らで、家を守り続けた。
それも今日で終わる。
レミニアは王都へ旅立つ。
魔獣の研究と、母親が残した二重世界理論の証明と発展のために。
レミニアはようやくヴォルフから身体を離した。
「あと……。あまり無茶なことはしないでよ」
「わかってるよ。あの時のような無茶はしないから」
ベイウルフ襲撃事件は、レミニアのトラウマになったらしい。
最近はそうでもなくなったが、ヴォルフが山に行こうとすると、激しく抵抗することもあった
説得するのに1日かけたこともしばしばだ。
レミニアは涙を払う。
うん、と頷き、家を出て行き、ようやく馬車に乗った。
王都からの使いの安堵した顔が印象的だった。
「パパ、王都についたら手紙を書くわ」
「わかった。楽しみにしてるよ」
「聖天祭と夏期休暇の時は、必ず帰ってくるから」
「手料理を用意して待ってる」
レミニアは客車の窓から身体を伸ばし、最後のハグをする。
互いに頬にキスすると、ようやく馬車は動き出した。
そのまま手を振る。
ヴォルフも、見送りにきた村人たちも、手を振って応えた。
◇◇◇◇◇
村の森が丘の向こうに消えて行く。
窓から顔を出していたレミニアは、ようやく客車に座り、窓を下ろした。
「王都に来ないかと思い、ひやひやしましたよ」
といったのは、王都から派遣された使者――ハシリーだった。
ボーイッシュな白髪に、細く、薄い水色の瞳。
痩躯で身長も高く、幼げな顔と短い髪型であることから、男のように見える
だが、これでも歴とした24歳の女性だった。
肩書きは王立魔導研究所の研究員。
若いようでいて、Aクラスの魔導士であり、非常時においては1個中隊を率いる権限を持っている。
そして平時においては、レミニアの秘書官となる人物だった。
「心配しなくても、約束は守るわよ。そんなことをしたらパパが1番困るもの」
「あまり人の性癖をとやかくいうつもりはないのですが、レミニアさんはファザコンなんですね」
「ち、違うわよ! パパが大好きなだけよ」
「……(それをファザコンというのでは?)」
ハシリーは声を殺し、クツクツと笑った。
一方で、レミニアは遠い空に目を向け語り出す。
「パパはわたしだけの勇者なの」
「勇者……? とてもそうは思えませんね。お父上はDクラスの冒険者だと聞いていますが……」
「いったでしょ。わたしだけの勇者。だから、わたしが守るの」
「?? なんだか複雑なご事情があるようですね」
ハシリーは肩をすくめる。
すると、レミニアは叫んだ。
「止めて!!」
突然の大声に、御者は慌てて手綱を引く。
急に制動をかけたため、ハシリーは腰を浮かし、つんのめった。
この時、すでにレミニアは馬車から降りて、地面に耳を当てていた。
「どうしたんですか――――なっ!」
ハシリーも目を細め、異変に気づいた。
その時点で状況の深刻さに感づけたことは、十分非凡ではあった。
だが、レミニアがいなければ、そのまま馬車を走らせていただろう。
それほど些細な変化だった。
「御者さん、馬車に隠れて」
「し、しかし――」
御者もまた王国の兵だ。
レミニアとハシリーを護衛する立場にある。
難事が起こっているならば、前面に出て守るのが役目だ。
職務に忠実な御者だったが、突然地鳴りが聞こえてきて、思わず悲鳴を上げた。
「レミニア殿の忠告に従いなさい。さあ――」
自ら招き入れる。
そして確認した。
「レミニア殿。ぼくの援護は必要な相手ですか?」
「一応、わたしってあなたの上司なんでしょ?」
「正式に任官されるまでは、一般人ですけどね」
「どちらにしろ、わたしを助ける義務があると思うんだけど、まあいいわ」
レミニアは赤髪を払う。
1歩踏み出した。
同時に、地の底からそれは現れた。
じゃあああああああぁぁあぁっっっ!!
派手な音を立てて現れたのは、グリードワームだった。
地底のドラゴンといわれる種で、小さな丘ぐらいなら一瞬にして飲み込むことが出来るほどの体長をもつ。
しかもレミニアの前に出現したのは、通常よりも大きい。
Aクラス相当の超巨大魔獣だった。
「こんな辺境に、グリードワームとは……」
さしものAクラス魔導士も、この時ばかりは絶句していた。
そして瞬時に分析する。
これは分が悪い、と――。
「レミニア殿! 逃げましょう!! いくらあなたでも」
「下がってなさい、ハシリー」
レミニアの背中は、もはや15の娘のものではない。
まさしくそれは、彼女がいうところの勇者の風格を漂わせていた。
グリードワームはレミニアたちを指向する。
地中に棲息するグリードワームに目はない。
代わりに大きな口が存在し、岩石をも解かす溶解液をダラダラと垂らしていた。
すると、大地を抉り、蛇行しながら近づいてきた。
レミニアは慌てない。
手を掲げ、そっと呪を唱える。
「炎冠の理を砕き、炎髪にして、紅蓮の血盟に染まりし破壊者よ。汝、名を改めここに証明する。我、第七門を特赦し、暴虐と天幻の突破を望むものなり。神々より出でよ」
炎、そして汝は破壊の使徒なり!
レミニアの手から炎が解き放たれる。
極大の紅蓮の刃は、まるで鎖から解き放たれた猛獣のようにグリードワームに襲いかかった。
例え城であろうと飲み込んだであろう巨体が、瞬時にして炎に飲み込まれる。
「ひぃいいいぃいぃぃっぃいいぃっぃぃ!」
グリードワームは悶える。
その度に大地が震えたが、為す術はない。
深い地中に棲み、絶えずその重みを受け続ける堅牢な体躯も、神の火には抗えなかった。ただ生物が焦げていく異様な匂いだけが、鼻につく。
「神話級――第10階梯魔法……」
ハシリーは立ち上った火を見ながら、呟く。
それは使い方を間違えれば、おそらく辺り一帯を焦土と化せるほどの威力を持った魔法。ストラバールでつい3年前に観測され、レミリアだけが使える階位魔法。
たとえAクラスの魔獣とて、その歯牙から逃れることは出来なかった。
炭となったグリードワームの巨体が折れる。
地面に倒れた瞬間、それはパズルのように砕け散った。
「さて、行きましょうか」
さも当たり前のようにレミニアは、自らの赤い髪を払う。
冒険者ランク「SS」。
ストラバールにおいて、2人しかいない【大勇者】の称号を持つレミニア・ミッドレス。
しかし、この話の主役は彼女ではない。
勇者ですら、後に伝説となり、人類未到の「SSS」の称号を持つものの脇役でしかないのだ。
平凡なおっさん冒険者ヴォルフ・ミッドレスの前では。
次も1時間後に投稿予定です。
よろしくお願いします。