第175話 弟子の覚悟
ヴォルフが受け止めた鉄塊は、再びイーニャの手元に戻っていく。
上に向かって放り投げると、イーニャは空気を切り裂きながら、振り回した。
自分の膂力に、さらに遠心力を加えるらしい。
フルパワーの一撃がやってくる。
となれば、いくらヴォルフでも受けきれるかどうか怪しいところだ。
先ほど受けた一撃は、どんな魔獣の攻撃よりも重たかった。
まともに受ければ、ただではすまなかっただろう。
様々な魔獣、悪人を斬ってきたヴォルフだが、おそらくイーニャの一撃は今までの人生の中で最大の攻撃力を誇るはずである。
「(さすがは五英傑……。そして【破壊王】……)」
心の中で慢心があったのかもしれない。
【勇者】ルーハスに競り勝ち。
レクセニル王国にいる隠れた強者たちを圧倒し。
ワヒト王国では、【剣聖】にも勝利した。
100万単位の魔獣を倒し、伝説といわれる存在【不死の中の不死】にも打ち勝った。
もはや自分の前には、娘であるレミニア・ミッドレスしかいない……。
そう思っていた。
だが、それは大きな過ちだ。
ルーハスに勝ったのも、彼の焦りにつけ込めただけだ。
クロエには、模擬戦とはいえ、完全に敗北している。
【剣聖】のヒナミに勝てたのも、彼女がまだ幼いからである。
100万の魔獣に勝てたのも、ルーハスやエミリがいたおかげだ。
危なかった。
危うくすべての勝利を、自分のものだと勘違いするところだった。
「ありがとう、イーニャ?」
「は?」
「お前の一撃で、目が覚めた」
「そうかい。だがな。あたいから言わせれば、師匠は色々考えすぎなんだ」
「かもしれないな」
ますは1勝。
レミニアの前で勝つこと。
それ以外は考えない。
「(集中しろ……)」
ヴォルフは息を吐き出す。
不意に凜と【カグヅチ】が震えたような気がした。
お目覚めかい、という感じだ。
どうやら刀にも心配をかけていたらしい。
「心が整ったでござるな、ヴォルフ殿」
ヴォルフの引き締まった顔を見て、微笑む人間がいた。
エミリである。
その思いは、この試合を見る強者たちも同じだった。
だが、ようやく魂を整えることができたヴォルフだが、簡単な相手ではない。
イーニャ・ヴォルホルン。
五英傑の【破壊王】である。
それが完全にヴォルフを食おうと闘気を巡らしていた。
それはかつて対峙した【勇者】ルーハスの比ではない。
実力差でいえば、ルーハスはイーニャの上だろう。
だが、こと精神的な充実度において、今のイーニャはあの時のルーハスを上回っている。
一片の油断も、慢心もない。
むしろ対ヴォルフを想定して、戦いにきたというきらいすらある。
ヴォルフの視線がわずかにイーニャから外れる。
その先にあったのは、イーニャが持つ鉄塊につながった鎖だ。
ヴォルフは最初に受けた背後からの一撃を思い返す。
間合いを詰めた瞬間、ヴォルフは当然イーニャの方を見ていた。
しかし、なんのモーションもなく、鉄塊は戻ってきたように思える。
いくらイーニャの馬鹿力でも、身体を動かさずに、あの大きな鉄塊を動かすのは不可能だ。
何かからくりがあるはずである。
「(少し試してみるか……)」
ザッ……。
ヴォルフは地を蹴った。
真っ直ぐイーニャに向かっていく。
「正面!」
「自殺行為だぜ、ヴォッさん」
同時に悲鳴を上げたのは、リファラス兄妹である。
アンリは口元に手を当て、ウィラスは身を乗り出す。
イーニャに対して、正面から突っ込むのは勇気がいる。
何故なら、あの巨大な鉄塊の良い的になるだけだからだ。
しかし、ヴォルフの考えは違う。
「(俺の考えが間違っていなければ……)」
「無謀だぜ、師匠。そんなにあたいの鉄塊でミンチになりたいのかい?」
字面だけで見ると、完全に悪役の台詞だ。
少し興奮しているらしい。
イーニャは臙脂色の耳と尻尾をビィンと立てていた。
ぐるりと鉄塊を1周させる。
瞬間、向かってくるヴォルフへ向かって投げた。
再び巨大な鉄塊が砲弾のように飛んでくる。
その空気を切り裂く音だけで、見ているものの心臓を凍り付かせる。
周りが恐怖に引きつる中、ヴォルフだけが冷静だった。
鉄塊の軌道を完全に把握する。
その上で、ギリギリでかわした。
速度は落ちない。
ヴォルフはイーニャへ向かって駆ける。
対し、イーニャも冷静だった。
慌てる素振りさえ見せない。
その口元には、笑みすら浮かんでいた。
ぶぅん……。
飛び出した鉄塊が反転する。
突然、逆方向へと戻っていった。
「危ない!!」
アンリが叫ぶ。
先ほどの焼き増しである。
1度放たれた鉄塊が、あたかも意志があるかのように、イーニャの方に戻っていったのだ。
だが――。
ザッ……!
ヴォルフは横にステップする。
戻ってくる鉄塊を躱した。
それは、鉄塊が戻ってくると予想した動きのように見える。
「え?」
驚いたのはアンリだけではない。
横のウィラスも口を半分開けたまま固まっていた。
「チッ!」
戦いが始まって、初めてイーニャの顔が歪む。
戻ってきた鉄塊を受け止めるが、すぐに投げることはなかった。
ギィン……!
代わりに鎖で、振り下ろされたヴォルフの刀を受け止める。
「さすがは師匠。やるじゃないか」
「お前もな!」
両者は力比べをするも、お互いの力によって弾かれた。
再び距離を取る。
慎重に構え直し、各々が次の手を探った。
「鎖だな」
ヴォルフは一言呟いた。
一瞬、イーニャの眉間に皺が寄る。
が、その直後にはニヤリと笑っていた。
「よくわかったな、師匠」
「まさかお前が魔法を使うとはな。昔なら考えられないことだ」
石舞台でかわされる2人の会話に、大概の人間がついていけていなかった。
会話を理解できたのは、聖戦に参加表明した強者たちである。
イーニャは鉄塊を放り投げた。
当然重力に従い、すぐに落下し始めるはずである。
だが、そうではなかった。
空中で停止したのである。
鎖が薄い紫色を帯びて光っていた。
まるで蛇のように動くと、同時につながった鉄塊もぐらぐらと揺れる。
その時になって、観客はようやくヴォルフとイーニャの会話の内容を理解した。
鎖に魔法がかかり、自在に動かしているのである。
「師匠、覚えているか? 久しぶりに会った時のことを」
「ルーハスとのことか?」
「ああ。あの時の師匠はとても格好良かった。負けたけど……。とても強かった」
どん、とイーニャは胸を叩く。
「あの戦いを見て、あたい思ったんだ。強くなりたいって。師匠よりもずっと……。だから、帝国にいって一から自分を鍛え直してきたんだ」
「帝国? ――まさか! ストラバール最強国家バロシュトラス魔法帝国か……」
バロシュトラス魔法帝国は、経済、軍事、政治、そして版図において、ストラバール№1に君臨する国家だ。
特に魔法文化に秀でており、数々の魔導士たちがそこにある学舎で魔法を学ぼうと門戸を叩くのである。
「(そんな場所に、イーニャが?)」
正直に言うと、信じられなかった。
身体能力こそ高いが、イーニャの知能は高い方ではない。
勉強も苦手だし、知識を覚えるのも苦手だった。
そんな彼女がバロシュトラスへ赴き、魔法を学びにいったとは、にわかに信じがたいことである。
だが、今ヴォルフを苦しめているのは、間違いなく目の前で展開されている魔法だ。
ヴォルフはその鋭敏な感覚によって、その性質を推し量る。
【鑑定】のスキル並みの精度の推測結果は、【操作系】の魔法の疑いを導き出していた。
「心配するなよ、師匠。【操作系】の魔法以外は覚えてねぇよ。けど――――」
鉄塊がぐるりと動き出す。
まるで鎌首をもたげた巨大な竜のようだ。
「あたいの技――“オロチ”を受けきれるかな」
五英傑にして【破壊王】――その本気が今、始まる。
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