第172話 グランドドラゴンの甘辛煮
「南門で間違いないんだな?」
確認したのは、イーニャだった。
順番待ちをしている他国の騎士と門番が争っているという報告を聞き、王宮を飛び出してきたのである。
五英傑の中で【破壊王】といわれるイーニャは、今聖戦に入隊する新兵の選定と教育を任されている。
荒っぽい性格で、時々不満を口にする者もいるが、なかなかの人気者だ。
五英傑の名前は、レクセニル王国で起こった内乱後、地に落ちたが、その伝説的な活躍が廃れたわけではない。
今でも、その名を慕い、また目標にする冒険者や騎士は少なくないのだ。
そのイーニャが教育係と聞いて、驚くものも少なくなかった。
【破壊王】という異名通り、イーニャの言動は粗野で乱暴者だ。
そもそも赤狼族の彼女は、どちらかというと1匹狼を好む。
あまり群れず、人見知りだ。
適任ではないと思われた。
だが、イーニャを推した者はこういう。
『この聖戦において、イーニャほど実戦経験豊富で、かつ強いものはいない。大丈夫。イーニャから教われば、みんな良い兵士になるよ』
そう言ったのは、聖戦の総司令官となったヴォルフだった。
最初こそイーニャも戸惑っていた。
騎士団のツェヘスやウィラスがやるべきだと思ったものは多く、そう推す声もあったことは事実だ。
しかし、結局ヴォルフに押しきられる形となり、新兵の選定と教育係となる。
結果的にイーニャに与えられた役目は当たりだった。
イーニャはその慧眼を以て、新兵を選定し、その経験を新兵に伝えた。
その口から紡がれる言葉は、お世辞にいっても洗練されてはいなかったが、イーニャが選んだ新兵たちはどんどんと吸収していった。
結果的に短期間のうちに、レベルアップを果たしているという。
この効果に、周囲は目を丸くする。
イーニャにここまで教官としての才能があるとは、誰も思っていなかったのだ。
ヴォルフはイーニャを推した理由をこう言い放つ。
『俺が聖戦の総司令官になったからには、可能な限り戦いに関する俺の考えを共有させておきたかった。その点において、イーニャは俺の1番の理解者だ。だから、抜擢した』
それはある種、ヴォルフの覚悟でもあった。
ヴォルフはこれまで誰かに頼まれて、その任を引き受けてきた。
だが、今回のヴォルフは違う。
お飾りの総司令官ではなく、1歩踏み込んで、自分なりの軍隊を作りだそうとしていた。
それは人を殺傷するためだけではない。
如何に生き残るか。
そういったヴォルフの優しい一面もある。
故に、それを伝えることができるのは、イーニャだと判断したのだ。
『それにイーニャは、あれで結構人に対する嗅覚が鋭い。人見知りっていうのは、人に対する警戒心が強いということだ。故に、その能力をずっと研いでいたからこそ、人の機微に鋭い嗅覚を持ってるんだ』
加えて、イーニャは責任感も強い。
五英傑のルネット亡き後、イーニャはそのルネットが経営していた孤児院を受け継いだ。
そこにいる子どもたちを何とかしようと思ったのだろう。
だから、イーニャは決して人間に興味がないわけではない。
むしろ人間が好きなのだ。
『そういう人間ほど、教育係に向いている。俺はそう思ってる』
と、ヴォルフは最後に結んだ。
◆◇◆◇◆
イーニャは南門に到着する。
確かに何やら騒がしい。
ゆっくりと近づくと、いきなりドッと笑い声が響いた。
暴れている他国の騎士が、門番をいたぶって遊んでいるのか。
イーニャは最初警戒したが、そうではなかった。
陽気な笑い声に混じって、唄が聞こえ、手拍子まで聞こえてくる。
まるで酒盛りでもしているかのようだ。
「あ、イーニャ殿!」
門番はイーニャに気付き、慌てて敬礼した。
側の門番たちも振り返る。
「なんなんだよ、この騒ぎは……!」
少し肩を怒らせながら、イーニャは騒ぎに割って入る。
すると、おいしそうな匂いが赤狼族の黒鼻に反応した。
くんくんと鼻を動かし、蜜蜂のように誘われる。
人垣を掻き分け、イーニャはようやくその原因を目にした。
鍋が置かれ、ぐつぐつと煮えたぎっている。
その中には豪快に大きな肉が放り込まれていた。
「これは……」
イーニャは思わずペロリと舌なめずりをした。
何故か、門の前で料理が行われていたのである。
「おお。イーニャ、来たのか?」
「し、師匠!!」
鍋の前に立っていたのは、ヴォルフだった。
大きなお玉を使って、時々中身をかき混ぜている。
どうやら料理を作っているのは、ヴォルフのようだ。
「こ、これは?」
「いや、なに……。みんな、門に入れなくてイライラしてるみたいだからさ。俺なりに何かできないかと思ったんだ」
「そ、それが料理?」
「ああ。ちょうどグランドドラゴンの肉があったしな」
「ぐ、グランドドラゴン!!」
イーニャは思わず素っ頓狂な声を上げた。
言わずもがな、Sランクの災害級魔獣だ。
その力は小国を滅ぼすほど強力で、以前の魔獣戦線でも猛威を振るい、ラルシェン王国が事実上滅んだことは、記憶に新しい。
それをヴォルフは単独で討伐したことはおろか、その肉を料理したのだという。
長く冒険者をしているが、そんなこと聞いたこともない。
きっとヴォルフが初めてだろう。
イーニャは驚きすぎて頭が真っ白になる。
本当なら逆に騒ぎが大きくなり、入国審査業務が滞ってしまっている現状や、総司令官でありながら、危険なSランク魔獣を1人で討伐しにいったことを叱るべきなのだろう。
だが、そんなことどうでも良くなってしまった。
鍋から立ち上ってくるおいしそうな香りのおかげで……。
「グランドドラゴンって食べられるのか?」
「ドラゴン種は総じて食べられるぞ」
ヴォルフが自信満々に言い放つ。
それには理由があった。
レミニアの母親が残した遺稿の中に書かれていたからだ。
「滋養強壮はもちろん、身体能力値がわずかに上がるらしいぞ」
「「「「おお!!」」」」
順番待ちの冒険者たちはどよめいた。
食べて能力が上がるなんて初めて聞いた。
もし、それが本当なら彼らにとってありがたいことである。
それにタダ飯を食えるとなれば、願ってもないことだった。
ヴォルフは下茹でしていた肉を取り出す。
包丁――ではなく、短剣を抜くと、ヒュッと風を切った。
「「「「おお!!」」」」
再び歓声が上がる。
肉が一瞬にして、食べやすいサイズにカットされていた。
しかも、グランドドラゴンの肉の断面は、まるで宝石のように輝いている。
すでに薄い半透明の脂が滴り、木皿の上に広がっていた。
あちこちで喉を鳴らす音が聞こえる。
イーニャも同じだった。
ずずっと少々大きな音を出して、涎を飲み込む。
ヴォルフは新たに水を張った鍋に、魚醤、砂糖、酒を加えた。
そこに肉の臭味を取るために、生姜を入れる。
最後に肉と、同じく食べやすいように切った大根を投入した。
しばらく弱火で煮立てる。
蓋の隙間から蒸気が上がった。
甘い匂いが立ちこめる。
ご馳走でも掻き込むように、門の前に集まった群衆は湯気を自分の方に煽いだ。
ヴォルフは火を止める。
「完成か? 師匠?」
「慌てるなよ、イーニャ。誰かこの中に、氷属性魔法を使うことができる者はいないか」
尋ねると、数人が手を挙げた。
氷を作ってもらうと、あろうことか鍋を上に載せて、冷まし始める。
「何をしてるんだ、師匠」
「こうやって冷ますと、よく味が染みこむんだ。よし。そろそろいいか」
満を持して、ヴォルフは蓋を開ける。
「「「「おおおおおおおおおおおおっっっっっ!!」」」」
瞳に映ったご馳走を見て、歓声が上がる。
鍋の中に現れたのは、魚醤の色に染まったグランドドラゴンの肉だった。
香ばしい魚醤の香りに、芳醇な肉の香りが混じる。
それだけで、イーニャも含めた冒険者たちは顔をトロットロにさせていた。
「師匠、これは!?」
「グランドドラゴンの甘辛煮ってとこかな」
「甘辛煮……」
イーニャは甘いのも、辛いのも大好物だ。
その2つが入っているのである。
おいしくないはずがない。
早速、ヴォルフはよそう。
持っていた木皿に盛りつけ、イーニャに渡した。
濃く、さらに甘い魚醤の海に、グランドドラゴンの肉が沈んでいる。
それでも、肉の神々しさは変わらない。
魚醤に濡れても、グランドドラゴンの肉は光り輝いていた。
そもそも、これが魔獣の肉であることに驚く。
まるで綺麗な洋服を見つけたかのように、イーニャの目もまた輝いていた。
すでにこの時、完全に当初の目的を忘れていたのである。
「いっただきまーす」
イーニャはパクリと口の中に肉を入れる。
途端、機嫌良くぶんぶんと振っていた尻尾が、ピンと立った。
その反応を見て、先陣を切ったイーニャの一挙手一投足を見つめていた観衆たちは、ごくりと唾を呑む。
空気もまたピンと張り詰めた。
「う……。う…………」
うっっっっまあああああああああああああいいいいいいいい!!
イーニャは叫びながら、エビ反った。
肉の旨みが堪らない。
噛んだ瞬間、ふわっと口の中に広がり溶けていく。
甘く蜜のようにトロトロとした脂もたまらない。
そこに魚醤と砂糖、生姜が加わるおかげで、ヴォルフの宣言通り甘辛い味に仕上がっていた。
だが、決してしつこくない。
肉の上品な旨みを存分に生かすため、調味料は最低限の活躍をしている。
おかげで、口の中でグランドドラゴンの肉そのものの味を堪能できた。
驚いたのは、食感である。
ドラゴンの肉だから、もっと硬いと思っていたが、そうではない。
少し噛んだだけで筋が切れ、おもちゃ箱でも展開するように広がり、そして旨みとともに消えて行く。
食材自体が、夢そのもののようだった。
「はうぅぅぅぅううぅううぅうぅうう……」
グランドドラゴンの甘辛煮を堪能したイーニャは、満足そうに膨らんだお腹をさする。
弟子の表情を見て、ヴォルフは思う。
「(すっかり元のイーニャだな)」
そうしてヴォルフは少し前のことを思い出すのだった。
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