第164話 流れよ我が悪意と、魔女は言った
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サラード・キルヘルは蹲っていた。
場所は自分でもわからない。
おそらくレクセニルの平原のどこかだろう。
土の匂いに、血の臭いが混じる。
後者は自分のものだった。
「ちょっと……。やりすぎちゃった……」
仕方なかったとはいえ、腕をもいだのはやり過ぎた。
止血はしたものの、その前に血を流し過ぎてしまったのだ。
痛みが断続的に襲いかかり、その度に悶絶する。
思考がまとまらない。
何か霧がかったように、モヤモヤしていた。
本人はわからなかったが、徐々にその生気が失われていく。
それでも、聖槍ロドロニスを手放すことはなかった。
「ああ……。サラちゃん、こんなところで死んじゃうのかな……」
なら、こんなところで死にたくない。
死ぬなら、憧れのガダルフ様の胸がいい。
そんなことを思っても、もうサラードには立ち上がる気力すらなかった。
「ガダル……フ、さま……」
空を見上げながら、呟く。
その時である。
足音が聞こえた。
徐々に近づいてくる。
彼女を見下げていたのは、高価な天鵞絨の上着を着た人間だった。
その襟はピンと立て、中折れ帽を目深に被っている。
そのため顔が隠れ見えない。
「まさか……? ガダルフ、様?」
信じられないという風に、サラードは目を大きく広げた。
痛みが、弱気な心が吹き飛んでいく。
その姿を見ただけで、すべてどうでも良くなった。
ただこうしてずっと己の視界に刻んでいたい。
自分の網膜に焼き付けたガダルフが映り込んだ眼球を、このままくり抜き、小箱にでも入れて、毎日眺めたいとすら思った。
その姿は変わらず、神々しい。
身体の線は細く、ひどく中性的。
男か女かもわからない。
またそこがいい。
やがて聞こえてきたのは、機械的な言葉だった。
『サラードよ』
「は、はい!」
『務めを果たせ』
「はい!! もちろん!」
労いの言葉など何もない。
心配する素振りすらなかった。
だが、サラードにとってどうでもよかった。
身も心もズタボロでも、声をかけられたこと自体嬉しかった。
そうだ。
死ぬ覚悟なら、疾うにできている。
この聖槍を握るため、己の利き手を切り落とした時から。
サラードは立ち上がる。
あれほど重かった身体が、まるで羽が生えたように軽く感じた。
そして、今一度聖槍ロドロニスを掲げる。
再び鐘を鳴らした。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……。
自分の力が尽きるまで。聖槍ロドロニスを振り続けた。
「ひゃはははははははは!!」
哄笑を響かせる。
すでに彼女の目に生気はない。
意識はとうに失っている。
もはや生死すら不明の状態だった。
それでも、聖槍ロドロニスを振り続ける。
ひたすら凶笑を繰り返した。
すると、サラードの怨念のようなものが通じたのだろうか。
聖槍ロドロニスを持つ手から何か黒いものが爛れ始める。
最初は少量だった。
しかし、どんどん溢れてくる。
黒ずんだ蜜のように辺りに広がり、溜まっていく。
徐々に持ち手であるサラードを包み始めた。
「あはは! あはははははははははは!!」
本人は気付かない。
自分を包む黒い塊を。
まるで真綿で絞めるようにゆっくりとサラードを包んでいく。
だが、彼女は笑うのをやめない。
やがて完全にサラードを包むと、声はその身とともに消える。
すでにガダルフの姿はない。
果たして、それは本物であったのだろうか。
それともサラードが見た幻影だったのだろうか。
ただ現実に残ったのは、正体不明の黒い塊。
それは津波のように広い平原の上を滑っていった。
◆◇◆◇◆
『これはなんにゃ!?』
にゃあああ! とミケの叫びが響き渡る。
空を飛んだ【雷王】は、突如現れた黒い物体を見下ろした。
それは波のように広がり、あらゆるものを飲み込んでいく。
『やばいにゃ! あんなのご主人様でもどうにもならないにゃ!!』
ミケはその黒い津波を止めようと飛び込んでいく。
だが、その毛を掴み、抑えたのは背中に跨がったリンダだった。
「ダメです! 【雷王】……。あそこに飛び込んでは……」
リンダは声を絞り出す。
様子がおかしいことに気付いたミケは、耳を立てた。
リンダは口元を手で押さえている。
顔面は青白くなっていた。
肌も青ざめ、いつも飄々としている表情は苦悶に歪んでいる。
吐き気を堪えるのに必死という感じだった。
『大丈夫かにゃ?』
慮ったところで、ミケの言葉はリンダに通じない。
それでも、心配していることは伝わったのだろう。
リンダは無理矢理笑みを作ってみせる。
だが、すぐに険しい表情に戻った。
「どうやら、あなたにはあれの耐性があるようですね」
『耐性? あれってあの黒い波のことかにゃ?』
「あれはおそらく人間の悪意です」
『悪意?』
「聖槍ロドロニスは弱い人間の理性を破壊する。それは同時に、人間の悪意を吸うためでもある」
『悪意を吸う?』
「ロドロニスは、まさしく天が使わした聖槍なのです。本来の使い方は、あの鐘によって人間の心を開き、穂先によってその悪意を吸い取る。そういう使い方をするものなのです」
『じゃあ、この状況は一体……?』
「おそらくロドロニス自体が、暴走しているのでしょう。使い過ぎたことによって、聖槍の中にため込んだ悪意の箍が外れた。もしくは、使用者の悪意に呼応した可能性があります」
うっ……、とリンダは悲鳴を上げる。
吐き気を堪えるように、口を強く手で押さえた。
ミケは心配そうに見つめる。
それに気づいたリンダは、そっと【雷王】の毛を撫でた。
「すいません。あれは、聖とは逆位置にある存在です。そもそも聖人である私は人間の直接的な負の感情に弱い」
『と、とにかくどうすればいいにゃ? 人間の悪意なんて戦いようがないにゃ』
「まずは聖槍ロドロニスを回収するしかない。しかし――」
『しかし――。なんにゃ?』
「暴走したロドロニスを止めるのは至難の業です。私ですら接触できるかわかりません。触った瞬間、肉体が弾け飛ぶ可能性だってある」
「ほう……。ならば、我が行こうではないか」
突然、別方向から声が聞こえた。
ミケとリンダは同じ方向に顔を向ける。
大きな蝙蝠の翼を広げた少女が立っていた。
その手に中年の男がぶら下がっている。
「カラミティ・エンド……」
『ご主人様……。無事だったにゃ!』
ミケはヴォルフの無事を喜ぶ。
対して、ヴォルフはミケにアピールするように手を振った。
だが、すぐに表情を険しくする。
「状況は最悪のようだな……」
「ええ……。すでに私の手が離れたところにあるといっていいでしょう。最悪、レクセニルとドラ・アグマ王国は滅びるかもしれません」
「そうはさせんよ。我が聖槍を回収する」
カラミティはニヤリと笑う。
「しかし、今聖槍ロドロニスに触るのは――」
「聖人よ。我を誰だと思っておるのだ? 【不死の中の不死】カラミティ・エンドだぞ」
「わかっていますよ。しかし、いくらあなたでも肉体は崩壊してしまう」
「ふん。望む所よ……」
――――ッ!
ピンと空気が張り詰める。
ヴォルフ、ミケ、そしてリンダがその時、カラミティの望みを思い出していた。
「そうだ。我の望みは死ぬことだ。それを叶えられるまたとない機会ではないか」
伝説の少女は、口角を上げるのだった。
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