第163話 伝説の求婚
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レクセニル王国領土の特徴といえば、広大な平原だ。
起伏の少ない緑の絨毯が、地平の彼方まで広がっている。
この雄大な景色を見るためだけにレクセニルを訪れる観光客がいる程だ。
そこに2人の男女がいた。
1人は四十を超えた男である。
濃いブロンドに、人の良さそうな四角い顔。
紺碧の瞳には、強い意志が宿っている。
背中は広く、背後に広がるレクセニルの平原のようであった。
もう1人は十代後半の見目麗しい少女である。
陶器のような白い肌に、まるで鮮血で濡れたような赤い唇。
ワインレッドの瞳は、爛々と輝き、男を見つめていた。
広い平原から滑ってきた微風に、真っ白な髪が揺れる。
前者はレクセニルが誇る伝説――ヴォルフ・ミッドレス。
後者はストラバールにおける伝説――カラミティ・エンドである。
先に口を開いたのは、カラミティだった。
「遅かったではないか。どうやら、我の勝ちだな」
「勝ち?」
「我の方が先に倒したという意味だ」
「いつから勝負になったんだよ……」
ヴォルフはがっくりと肩を落とす。
その彼の後ろの方には人が倒れていた。
一切の傷がなく、すべて無傷のまま昏倒している。
レクセニル騎士団を含む100万の民が地面に伏していた。
わずかに土煙が立ち、不気味に静まり返っている。
「そもそもカラミティの方は、俺の半分以下だろう? ハンデがありすぎるんじゃないか?」
「痴れ者が……。そっちは平民も含めた数であろう。我のドラ・アグマ王国の民は、いずれも精鋭揃いだ。質が違う」
ドン、とばかりにカラミティは胸を張ってみせる。
その後ろには、彼女が精鋭と謳う不死者たちが地面に伏し、その機能を一時的に停止させていた。
要は、しばらく再生できないようにグシャグシャにしたのである。
ヴォルフはカラミティの肩越しにその惨状を見つめた。
ちょっと娘のレミニアには見せられない光景が広がっている。
「ま……。何はともあれ、ひとまず安心だな」
ヴォルフはホッと息を吐き、地面に腰を落とした。
SSSランクに近付きつつある冒険者も、さすがに疲れたらしい。
10万の魔獣の相手もしんどかったが、100万の民を無傷で昏倒させるのは、さらにしんどかった。
神経が消耗し、すでに頭が回らない。
カラミティにジョークの1つも返すことができなかった
一方、カラミティも腰を落とす。
さすがの【不死の中の不死】も疲れていた。
ヴォルフに背中を預けると、気持ちよさそうに鼻を鳴らす。
一時的な平穏を取り戻したレクセニルの平原には、束の間の安息が戻っていた。
気が付けば、聖槍ロドロニスの鐘は止んでいる。
つがいの小鳥が、仲睦まじそうに空を飛んでいた。
「鐘が止んだな」
「ああ……。どうやらミケとリンダがうまくやってくれたようだ」
「そのようだな。しかし、この背もたれは存外居心地がよいのぅ」
「残念だが、貸すのは今のうちだけだぞ。その特等席は娘のものだからな」
「ケチくさいのぅ、お主。まあ、良い。今のうちというなら、存分に楽しんでくれよう」
するとカラミティは顔を横に向けて、さらに甘えるようにヴォルフの背中に寄り添う。
「おい。汗くさいぞ、今の俺」
「良い。これは勇者の匂いじゃからの。楽しませてもらうとしよう」
「まあ、今ならいいか」
「うむ……。ところで、ヴォルフよ」
「ん?」
我の婿になるつもりはないか?
…………。
「はっ!? お前、何を言って――」
「我の婿にならんかといったのだ。聞こえなかったか?」
カラミティは首を伸ばし、背後からヴォルフの耳を責め立てる。
気持ちの良いウィスパーヴォイスに、たちまちヴォルフの顔は赤く染まった。
慌ててカラミティから離れる。
「お前……。自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「なんじゃ? 我は好みではないか? 自分でも言うのもなんだが、完全無欠の絶世美女と自負しておるのだが……」
(自分で言うのか……。ま、まあ……否定はしないが)
ヴォルフは心にだけ留めておく。
口に出せば、たちまち押し倒されそうだ。
だが、カラミティは本気であると、ヴォルフは察した。
いつもの冗談を言っているように思えない。
本当にヴォルフに対して、求婚しているのだ、この生ける伝説は。
「か、カラミティ、おおおお俺にはな……」
「ん? なんじゃ? 好いている女子でもおるのか?」
あっさりと核心を突かれた。
【大勇者】の娘に認められるようになっても、こういう面ではいつまでもヴォルフはヴォルフのままだった。
素直に頷く。
嘘を吐けないのも、ヴォルフらしいところである。
「ほう……。年は?」
「不死のお前が、年を尋ねるのかよ……」
「良いではないか、それぐらい」
「じ、19だ」
「なんと……。若いな。お主より二回りも年の差があるではないか」
「だから、お前が言うなよ」
「かっかっかっ! 気にするな、不死ジョークだ」
「不死ジョークってなんだよ!!」
思わずツッコミを入れてしまった。
そのあまりの鋭さからか、カラミティはケラケラと腹を抱えて笑い始める。
ヴォルフの目に映っていたのは、ただ等身大の十代の少女であった。
「カラミティ……。すまん」
「良い。さほど本気でもなかったしな。ただ――」
1度は言うてみたかったのだ……。
カラミティは空を見上げる。
先ほどのつがいの小鳥が飛んでいた。
平原の上で、それを眩しそうに見つめる彼女は、まるでこの世にただ1人だけ取り残されたかのようであった。
「だったら、ちゃんと本気の方は残しておけ」
「ん? どういうことだ?」
「好きなんだろ、レイルのことが?」
「なっ! 別にわわわわ、我はそんな――」
急にカラミティの態度が変わる。
真っ白な顔は真っ赤になっていた。
熱くなった頬を隠すように手を当てる。
面白いぐらい動揺していた。
「そ、それにレイルは……」
「生きているかもしれない」
「何! 誠か!!」
「実は、それを伝えるために、お前のところに行くつもりだったんだ」
「本当にレイルは生きておるのか?」
「まだ憶測の段階ではあるがな。だが、調べてみる価値はある」
ヴォルフはレミニアが教えてくれたレイル・ブルーホルドについての見解を、カラミティに語った。
「もう1つの世界――エミルリアか」
「もしかしたら、そこにレイルはいるんじゃないかって話だ。なあ、カラミティ。もう1つの世界のことについて、何か知らないか?」
「すまぬが、我に言われてもちんぷんかんぷんよ。正直に言うと、もう1つの世界も、二重世界理論も今初めて聞いた。まあ、確かにそれらしいことは、いくつかの伝承で語られてきたがな」
「心配するな。俺もそういうのはさっぱりだよ」
「【大勇者】か……。まだちらっと見た程度ではあるが、よもや世界の根幹を暴くほどのの逸材とはな」
「ああ……。レミニアは俺の自慢の娘だからな」
「知っておるか、ヴォルフ。そういうのを親バカというのだそうだ」
2人の伝説は笑い合う。
それは恋人同士というよりは、戦場を共に駆け抜けた戦友のようであった。
その時である。
落雷のような音が轟いた。
急に空が暗くなる。
風も出てきた。
カラミティの白い髪が暴れる。
「なんだ?」
ヴォルフは目を細める。
カラミティも髪を押さえながら、妙なプレッシャーを感じる方向へと身体を向けた。
強大な魔力の波が平原を滑る。
すると、ヴォルフの腕が粟立った。
まるで冷たいナイフの腹を押しつけられたような気配を感じる。
「なんだ、これは……」
「わからん」
カラミティの質問に、ヴォルフは首を振るしかない。
レミニアによって強化された感覚は、あらゆるものを捉えることができる。
しかし、それをもってしても、ヴォルフにはわからなかった。
殺気とも、怒気とも違う。
似ているものとすれば、恐怖……。
いや、何か人間の強い感情――そのもののようだった。
いよいよ明日は『アラフォー冒険者、伝説になる』2巻が発売されて最初の週末になります。
色々と手に入れたいものはあると思いますが、
是非拙作をお加え下さい。よろしくお願いしますm(_ _)m