第159話 おっさん、一喝!
2巻発売まで、あと2日!
レクセニルの民と、ドラ・アグマの民。
双方の軍勢はすでに距離にして半々日というところまで迫っていた。
ドラ・アグマの民の速度は速いことはもちろんなのだが、レクセニルの民も負けじと速い。
心のたがが外れた人間たちは、足が折れ、心臓が潰れても走り続ける。
呼吸がおかしくなり、気味の悪いうめき声を上げていた。
それでも瞳には歪な生気が宿り、殺意を漲らせている。
対する不死の民と同じく、それは亡者のようであった。
それを悲しそうな瞳で見つめる者が2人いる。
レクセニル王国を故郷に持つヴォルフ。
そしてドラ・アグマ王国の不死王カラミティだった。
ヴォルフはカラミティに手を引かれ、上空からその様子を窺う。
「さて、戦場まで来てみたがどうするのだ、ヴォルフよ」
「止める!」
【剣狼】は即答する。
その言葉には決意が漲っていた。
やれやれ、と首を振ったのはカラミティだ。
「我も大概無茶をするが、そなたも大概よのぉ」
「ああ。よく言われるよ、相棒に」
その相棒ことミケは、ラムニラ教大主祭リンダと一緒に、サラードの捜索に当たってくれている。
優秀なミケのことだ。
必ずサラードを見つけてくれるだろう。
「俺はレクセニルを、カラミティはドラ・アグマの方を頼む」
「良かろう……」
「殺すなよ」
「案ずるな。我が民はちょいと爪で引っ掻いた程度では死なんよ」
カラミティは爪を伸ばした。
鋭い5本の刃が、やや薄雲が広がる空の上で輝く。
唇を開き、薄く笑うと、白い牙がこぼれていた。
まるで楽しんでいるようだ。
「よかった」
「ん? 何がだ?」
「お前が、レクセニルに来て、俺に助けを求めた時、何か今までとは違う気がしてな。やはり、お前はそうして闘気を漲らせている方が、らしさがある」
「ふ、ふん! 当たり前だ。我を誰と思っている」
「知っているよ、カラミティ。お前はドラ・アグマ王国の立派な王で、伝説の存在で、【不死の中の不死】で、そして一緒に茶を楽しんだ俺の友人だ」
「…………」
「どうした? 顔を赤いぞ、カラミティ」
「う、ううううるさい! ほら、行くぞ!!」
「ああ……。行こう!」
2人は同時に戦場に降り立つ。
すぐにお互いの背中を向けた。
「あまりこういうことを言うものではないが……。死ぬなよ、ヴォルフ」
「お前もな」
「たわけ。我は【不死の中の不死】ぞ」
そして互いの戦場へと駆けていった。
◆◇◆◇◆
「いかがですか、【雷王】?」
リンダは尋ねた。
側にはミケがいる。
耳を立て、異色の瞳を閉じて音を聞いていた。
1人と1匹がいるのは、レクセニルの民とドラ・アグマの民の2つの集団が見えるちょうど中間――その丘の上にある。
おそらくサラードもまた、2つの集団が見えるところで、戦局を窺っているはずだ。
リンダの質問に、ミケから答えは返ってこない。
いや、すでに答えたのかもしれないが、あいにくとリンダにはミケの声を理解する術がなかった。
彼女はラムニラ教の大主祭であり、聖人でもあるのだが、ただそれだけだ。
常人よりも、聖属性が少し高い程度で、他に特別な能力はない。
一応エルフではあるのだが、魔法の適性は皆無に等しい。
これは聖人故の悩みで、邪な力をすべて弾いてしまうからである。
だから、大主祭という地位も、聖人という希有な能力も、彼女にとってはありがた迷惑なのだ。
そういう意味でも、リンダとカラミティは似ている。
死ぬことができず、700年以上苦しむ不死王。
その能力ゆえ、ラムニラ教の大主祭に祭り上げられた女性。
馬が合うとは思えないが、もう少し話をしたかったと、リンダは望んでいた。
『にゃー』
ミケが鳴く。
はっと気づき、リンダは側のミケに向き直った。
「わかりましたか?」
『にゃ!』
勇ましい返事がくる。
さすがは【雷王】とリンダは思った。
幻獣といえど、聖槍ロドロニスが鳴らす音の影響が皆無とは言いがたい。
それでも、音の出所を突き止めることができたのは、単に主人への忠誠心ゆえなのだろう。
「主人思いなのですね、あなた」
リンダは脈略もなく吐露する。
すると、ミケは『にゃ!』と鳴き声を上げた。
何か言い訳っぽく『にゃにゃにゃにゃ』と連呼した後、照れを隠すように前肢で顔を洗う。
「行きましょう」
『にゃ!』
ミケとリンダもまた、ヴォルフとカラミティと同様、己の戦場へと向かうのだった。
◆◇◆◇◆
ヴォルフは足を止めた。
足下から浮き上がった小さな砂煙が東の方へと流れていく。
すると、ドドドドドドドッという轟音が聞こえた。
前を向く。
砂煙が濛々と上がっていた。
まるで津波を彷彿とさせる。
その直下にいたのは、人だ。
無数の――殺意を漲らせた。
むろん1人や2人ではない。
100人や、1000人でもないだろう。
ざっと数えても、1万人。
いや……。
「もしかして、100万はいるかもな」
王都だけではない。
近隣の衛星都市や国境外の人間も含まれている。
横一列に並び、今まさにヴォルフを踏みつぶそうとしていた。
その両端は長く、地の果てまで続いているように見える。
かつてヴォルフは100人の盗賊を相手にした。
ワヒトでは10万以上の魔獣とも戦っている。
だが当然、100万の人と相手するのは、初めてだ。
しかも、斬るのではない。
殺してはならない。
死なせず、傷つけず、ただ無力化する。
「いっそ100万の魔獣を相手に戦った方がマシだな」
何故かヴォルフは笑っていた。
まるでカラミティのようにである。
ただ彼女のように闘争を楽しんでいるわけではない。
できることなら、戦いたくはなかった。
しかし、戦いなくして、【剣狼】は成長できない。
娘レミニアは言った。
いつかヴォルフは【大勇者】を越えると。
そして、伝説のSSSランクになれると。
娘の期待に応える意味でも……。
否――。
レミニアの『勇者』になるためにも、ここで立ち止まるわけにはいかない。
だが、ヴォルフが立ち止まっていても、それはやってくる。
100万の民は、理性を失った亡者のように【剣狼】を飲み込まんとしていた。
「とりあえず、非戦闘員だけでも無力化してみるか」
さらりととんでもないことを言い出す。
彼を知らぬ者が聞けば、ギョッと目を剥いただろう。
レミニアが聞けば、「パパなら簡単よ」とやっちゃえとばかりに、拳を突き出したかもしれない。
すると、ヴォルフは大きく深呼吸する。
下腹部に力を溜めるように、正面を向いた。
瞬間、ざらりと闘気が浮かぶ。
「かぁぁああああああああああああああああ!!」
まさに気合い一閃だった。
同時に、その纏う闘気が放射状に放たれる。
空気を振幅させるどころではない。
大地すらビリビリと震えた。
闘気が伝播する。
レクセニルの民に激突すると、胸の辺りを押されたようにスッ転んだ。
たちまち泡を吹き、白目を剥く。
ほとんどの人間が半ば意識を失っていた。
同時に、あの地鳴りのような足音が途絶える。
砂煙も小さくなり、流れていった。
今のはただ純粋な【剣狼】の闘気である。
殺気、あるいは怒気を含んだそれは、抵抗力のないものにとっては、見えない刃に等しい。
だからといって、殺傷する力があるわけではない。
それでも戦う力のないものには、有効な手段だった。
「ちと……。やりすぎたか」
ヴォルフは頭を掻いた。
自分のしでかしたことを誤魔化す。
いくら殺傷能力がないとはいえ、まさか白目を剥いて倒れると思ってもみなかったのだ。
「思いつきでやるものではないな」
反省の弁を口にする。
すると、その土煙の中でゆらりと蠢く影があった。
ヴォルフは緊張する。
構えはとらない。ただし鞘に手を置いた。
「やはり、お前たちは立ち上がるよな」
ここからが本番だ。
ヴォルフはニヤリと笑うのだった。
7月10日に2巻発売です!
若干部数が少ないので、書店に回らない可能性がございます。
できれば、ご予約をいただけると確実に手には入ると思いますので、
よろしくお願いします。