第156話 増幅する殺意
カラミティがその鐘の音を最初に聞いたのは、私室であった。
初めはただ煩わしいと思っていただけの音が、次第に頭痛を伴うものになっていく。
最終的には立っているのも辛い状況になっていた。
「なんだ? この音は――――」
カラミティは悲鳴を上げた。
魔法の類いではない。
そもそもカラミティに精神攻撃など通じない。
攻撃した時点で、たちまち死滅するほどの強固な精神防御が常時起動しているからである。
しかし、鐘の音は何百年と破られることのなかった精神防御を破り、カラミティの心を掻きむしった。
まず彼女の心に落ちたのは国民の顔である。
鐘の音はカラミティ1人を狙ったものではない。
広域に発動されている。
当然、国民たちにも影響が出ているはずだ。
カラミティは足をもつれさせながら、私室を出る。
廊下に出るも、誰もいない。
常に側に控える秘書ゼッペリンの姿すらなかった。
「だ、誰か! おらぬか!」
精いっぱい声を張り上げるも返事はない。
カラミティは階下に降りていったが、やはりゼッペリン、さらには骸骨将軍の姿もない。
そもそも近衛たるスケルトンがいなくなっていた。
「どうなっておる……」
すると、カラミティの耳に何かうめき声のようなものが聞こえた。
外からである。
逸る気持ちを抑えきれず、カラミティは自分の私室ごと吹き飛ばす。
大穴が空いた瞬間、ドラ・アグマ王国の腐った空気が吹き込んできた。
「これは……」
700年生きる真祖の目が、大きく見開く。
レクセニル王国の国境から王宮へと続く1本の街道。
そこにいたのは、ドラ・アグマ王国の兵、そして国民であった。
『レクセニル王国を滅ぼせ……』
『ヴォルフを殺せ……』
『レクセニル王国を滅ぼせ……』
『ヴォルフを殺せ……』
『レクセニル王国を滅ぼせ……』
『ヴォルフを殺せ……』
同じような言葉を呪文のように繰り返す。
その目に正気はない。
そもそも不死ゆえに、正気などないのだが、いずれにしても尋常ではなかった。
カラミティはともかく先頭へと周り込む。
すでにその先は、レクセニル王国の国境付近にまで届いていた。
ペースが速い。
先頭は恐らく高速で移動しているのだろう。
歩いて2日かかる距離を、わずかな時間で駆け抜けていた。
このペースで行けば、明日にはレクセニル王国王宮に辿り着くかもしれない。
それだけはさせるわけにはいかない。
ヴォルフと約束した。
レクセニルに刃を向けない、と。
いや、そもそも兵や国民達の殺意は、ヴォルフ自身にも向けられている。
(あやつを殺させるわけにはいかん。あやつは、我が認めたものぞ)
カラミティは疾走する。
やがて先頭に辿り着いた。
すると、カラミティは再び驚くことになる。
その群れを率いていたのは、カラミティが信頼する者たちだったからだ。
「ゼッペリン! 骸骨将軍! これはどういうことか?」
疾走する秘書と将軍に問いかける。
しかし、返答はこない。
『レクセニル王国を滅ぼせ……』
『ヴォルフを殺せ……』
あのうめき声だった。
やはり正気を失っている。
ゼッペリン、そして骸骨将軍ほどの手練れが……。
不死の軍勢は群れをなしてやってくる。
手がちぎれ、足を失っても、走ることをやめようとはしない。
2つの言葉をお経のように唱えて、ただ疾走している。
カラミティの顔が歪んだ。
「実力行使しかないか……」
カラミティは先頭に立つ。
ゼッペリンと骸骨将軍に向かって渾身の拳打を放った。
その衝撃は凄まじい。
先頭にいた兵や国民をはじき飛ばす。
「許せ。お前たち……」
己の胸を痛めながら、謝罪する。
鐘の音とともに聞こえてきた、およそ3万体の足音が一瞬途絶えた。
――かに見えた。
どぉぉぉおおおぉぉおぉぉおぉお!!
轟音が響く。
まだ土煙がけぶる向こうから、影が見えた。
カラミティの方へと走ってくる。
「馬鹿な!!」
いや、カラミティが馬鹿であった。
彼らは不死である。
吹き飛ばされただけでは死なない。
動ける限り、盲進する。
それが、不死である。
「くそ!!」
カラミティは叫ぶ。
再び拳を放つが、結果は同じだった。
次第に、【不死の中の不死】は追い詰められていく。
3万体の群れが、彼女に襲いかかった。
「貴様ら! 何をしておる!! 我はカラミティ……」
やがて不死者の群れの中に、カラミティ・エンドは沈んでいった。
◆◇◆◇◆
ドラ・アグマ王国で起こったことは、レクセニルでも起こっていた。
突然、王都や周辺の城塞都市の市民たちが決起し、ドラ・アグマ王国を目指したのである。
『ドラ・アグマ王国を倒せ!』
『カラミティ・エンドを殺せ!』
これもまた件の王国と同じ状況だった。
何万人という国民、あるいは兵士がドラ・アグマ王国に向けて走り出す。
そこに正気はない。
不死者たちと同じく、怪我をしようが、骨折をしようが関係なく、ただ不死の王国を目指した。
対しては、レミニアの対応は早かった。
鐘の音の術式を、わずかな間で解析する。
さらに対抗魔法公式を組み上げると、王宮を覆うほどの結界を張り巡らせた。
「これで少しは持つはずよ。ハシリー、大丈夫?」
側にいた秘書官に尋ねる。
頭を何度も振りながら、ハシリーは立ち上がった。
「え、ええ……。しかし、一体何があったのでしょうか?」
「わたしにもわからないわ。だが、これほどの大規模な術式。ちょっとやそっとのことではないでしょうね」
「そのちょっとやそっとではない事象に対して、すぐに対抗する公式を演算するなんて、さすがですね」
「誉めるのはあとにしてちょうだい。パパが心配だわ」
ヴォルフはカラミティに、レイルが生きている可能性が高いということを告げるため、昨日の朝に出立していた。
レミニアが追いかけるため、転送魔法を唱えようとする。
「あらあら。思った以上に厄介ね【大勇者】ちゃんは」
声が聞こえた。
いきなり女がレミニアの研究室に現れる。
桃色の長い髪に、赤縁の眼鏡。
露出狂というヤツだろうか。
胸の辺りをぱっくりと開いた薄いドレスのようなものを纏い、お尻が見えそうになるほど、短いスカートを履いている。
まるで娼婦のような格好をした女を、レミニアは知らない。
だが、彼女が持っているものには、何となく察しがついた。
穂先に、大きな鐘が付いた槍。
それが帯びる膨大な魔力は、【大勇者】すらおののかせる。
「レミニア、あれって……」
「間違いないわ。聖槍ロドロニスよ」
「ということは、この女……」
「ラーナール教団の関係者ってことでしょ」
「はじめまして、【大勇者】ちゃん。サラちゃん、サラード・キルヘルっていうの」
「自己紹介とはいい度胸ね。あんた、わかってるんでしょ。わたしが【大勇者】だって」
「もちろん。人類の最高にして、最終の兵器。【大勇者】レミニア・ミッドレスの名前を知らないものなんていないわ」
「あっそ。とりあえず、その聖槍はいただくわ。返してちょうだい」
「いいよ。ホイッと!」
あろうことかサラードは聖槍ロドロニスをレミニアに向かって放り投げる。
放物線を描いた聖槍は、研究室の天井すれすれを通り、レミニアの両手の中に落ちていく。
その瞬間だった。
「ぎゃっ!!」
聖槍に触れた瞬間、レミニアは悲鳴を上げる。
そのまま崩れ落ちた。
瞼は硬く閉じられ、息こそあるが、完全に意識を失っている。
「レミニア!」
これには秘書官も驚いた。
レミニアはストラバール最高の戦力である。
その彼女を一瞬にして無力化したのだ。
駆け寄るハシリーの耳をつんざいたのは、サラードの大笑だった。
「あははははは! すごーい。たのしー。【大勇者】が本当に気を失っちゃった。ガダルフ様が言った通りだわ」
「ガダルフ……。またあの人が絡んでいるのですか?」
「トーゼンだよ。あのお方は天地において万能な方。すべての事象にからみ、そして始まりもまた……。もちろん、この件にも絡んでいる。絡みまくってる」
「一体、あなたの目的は?」
「ふふ……。それはあなたたちも察しがついているんじゃなくて?」
すると、サラードは再び槍を握る。
虹彩を大きく開いた浅黄色の瞳は、嬉々としていた。
カツン……。
柄の部分で床を叩く。
鐘が揺れ、あの忌まわしい音が鳴り響いた。
心配そうにレミニアに寄り添っていたハシリーの瞳から、光が消える。
やがて口を開いた。
『ドラ・アグマ王国を倒せ!』
『カラミティ・エンドを殺せ!』
『ドラ・アグマ王国を倒せ!』
『カラミティ・エンドを殺せ!』
『ドラ・アグマ王国を倒せ!』
『カラミティ・エンドを殺せ!』
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『アラフォー冒険者、伝説になる』2巻が発売されます。
1巻では果たされなかったミケとの出会いが収録されています。
ミケとミランダとの和解のシーンでは、是非ハンカチをご用意ください。
7月10日発売です。よろしくお願いします。
(7月9日発売とアナウンスしましたが、版元様から連絡があり、7月10日が正しい発売日となります。よろしくお願いします)