第154話 無垢な伝説
カラミティはカップを皿に戻した。
冷め切った紅茶はやはり口に合わない。
だが、それ以上に昔のことを語る方が、己の口に合っていないように思えた。
「しかし、200年経った今も我は生きている。レイルは生死すら不明だ。我が猛狂うのも道理であろう」
「…………」
ヴォルフは返事しなかった。
カラミティの怒りはわかる。
自分の死について真剣に悩んでいることも。
兵を挙げ、他国に攻め入ったことは同意も感心もしないが、彼女の感覚としては当然の行動であったのだろう。
「レイルは生きていると思うか?」
ヴォルフはカラミティに尋ねる。
最初、要求を聞いた時は耳を疑った。
が、事情を聞いた今なら、もしかしてレイルは生きているかもしれないと、ヴォルフは考えるようになった。
レイルが【不死の中の不死】の眷属ならば、今も生きている可能性があるからだ。
カラミティは少し眉を顰めながら、答えた。
「それがわからぬのだ」
「わからない?」
「我と眷属には、独特の共感器官が存在する。集中すれば、どんなに遠く離れていたとしても、対象がどこにいるかわかるというものだ。だが、レイルの居所だけはわからぬ。途中で共感がプツリと切れておるのだ」
「なるほど。だから、あんたはレクセニル王国にレイルを差し出せと言ったのか?」
「そういうことだ」
ヴォルフは頭を掻いた。
初めからそう話してくれれば、大事にならなかっただろう。
とはいえ、レイルがカラミティの眷属だったと信じるものは少なかっただろうが……。
「だが、レイルが死んだら死んでいたで、我としては興味深い」
「どういうことだ?」
「眷属もまた我と同じ不老不死だ。眷属が死んだならば、その力は我を殺す力となろう」
「なあ、やっぱり俺は納得できん。死ぬ以外に、あんたが幸せに生きる道はないのか?」
「くどいぞ、ヴォルフ」
カラミティはワインレッドの瞳を光らせた。
その瞳には、強烈な魅了の力が備わっている。
人間を殺すことすら可能だ。
しかし、娘レミニアの強化によって弾かれていた。
「お主が納得できぬからといって、我の望みを否定する道理はないはずだ。それはわがままというものであろう」
「…………」
確かに、そう言われても仕方がない。
カラミティが生きて欲しいというのは、単なるヴォルフの欲だ。
だが、自己満足だとしても、自分の死を模索している彼女の姿勢には、どうしても共感することができなかった。
「でもな、カラミティ。レイルがいなくなったからといって、聖槍を勝手に持ち出すのは道理から外れているんじゃないのか?」
ピンと空気が張りつめる。
カラミティは目を細めた。
そしてフッと笑う。
「なるほど。お主がここに来た理由とは、聖槍を奪回するためか……」
「ああ。そうだ」
「その瞳……。なみなみならぬ事情があると見た。どれ……。我も昔のことを話したのだ。そなたも事情を話すが良い。場合によっては、聖槍をくれてやらんわけではないぞ」
【剣狼】は事情を話した。
かつてヴォルフがラムニラ教に弓を引いたこと。
実質的に国外追放処分とされたが、ワヒト王国の国王に戸籍をもらい、ワヒトの人間として故郷に戻ってきたこと。
そこでラムニラ教の司祭から、名誉の回復を条件に、聖槍ロドロニスの奪還を依頼されたこと。
最初はかいつまんで説明するつもりだったが、話は何度か脱線した。
ヴォルフが出会った聖樹の話や、ワヒトの剣豪たちの話、そして魔獣戦線をたった5人の力で収めてしまったこと。
その武勇に、カラミティは目を輝かせながら聞き入っていた。
やがて朝が訪れる。
「なるほど。なかなか面白い話であった。我も王でなければ……」
「どうした、カラミティ?」
「いや……。詮のないことだ。妄想の類だな、これは」
カラミティは首を振る。
やがてヴォルフと向き直った。
「良かろう。良い話を聞かせてもらった礼だ。聖槍をそなたに預けよう」
「本当か!?」
ヴォルフは驚いた。
正直にいうと、ここまで上手く事が運べると思っていなかったのだ。
「い、いいのか? 聖槍はその――お前の……」
「良い。我を殺せるのは、レイル1人だけだからな」
「なあ。あんた、やっぱりレイルのことが好きなんじゃないのか」
「ちちちちちち違うと言っておろう! 我が人間の男を好くなど……」
カラミティは慌てて首を振る。
大理石のような白い頬が、若干朱に染まっていた。
その姿は王ではない。どこにでもいる村娘のようだ。
ヴォルフはくすりと笑う。
ますますカラミティは顔を赤くした。
やがて彼女は、ゼッペリンを呼ぶ。
恭しく頭を下げた秘書官に、カラミティは告げた。
「城内にいるサラード・キルヘルをここに……」
「それが陛下。彼のものはいずこへと消えました。あてがっていた部屋も、もぬけの空でして……」
「チッ! 逃げたか……」
「カラミティ、そのサラード・キルヘルというのは?」
ヴォルフは尋ねる。
名前を聞いて、どこかで聞いたことがあるような気がした。
だが、思い出せない。
どうやら、レミニアは記憶力の強化までは手を回していなかったらしい。
「ラーナール教団のシンパの1人だ。聖槍ロドロニスを奪った張本人よ」
重ねてカラミティは、その人物からレクセニル王国襲撃を依頼されていたという。
彼女としては、何故ラーナール教団の信者が、レクセニル王国を襲撃しろと頼むのかわからなかったそうだが、ヴォルフの話を聞いて得心したと、付け加えた。
「すまん、ヴォルフ。1歩遅かったようだ」
「いや、下手人の名前を聞けただけでも大収穫だ。ありがとう、カラミティ」
「良い。楽しい茶会だった」
「俺は戻るが……」
「本当であれば、我が城に逗留してほしいところだが、お前にもお前の理由があるようだな。今回は諦めるとしよう」
ヴォルフは苦笑いを浮かべる。
カラミティの元で働くのは、なかなか面白そうなことであるが、彼女にはすでにゼッペリンや骸骨将軍がいる。
【不死の中の不死】を支える存在がいる以上、ヴォルフには出番がないだろう。
「今度、娘を連れてこい。【大勇者】という輩にも、興味がある」
「それは構わないが、俺の時のようにいきなり闘技場に案内するようなことはしないでくれ」
もし、そんなことをしたら、レミニアなら城ごと破壊しかねない。
「くくく……。それは約束しかねるな」
「おい……」
「冗談だ。行くがよい、ヴォルフ。娘が待っておるのだろう」
「ああ。また会おう、カラミティ」
「【剣狼】よ、次会う時まで息災であれ」
こうしてカラミティ・エンドとの茶会は終わりを告げる。
そして、それは悲劇の始まりでもあった。
◆◇◆◇◆
ドラ・アグマ王国の王城から少し離れた小高い丘に、サラード・キルヘルの姿があった。
遠見鏡を使いながら、王城の一室を見ている。
さらに魔法を使い、室内の声を拾っていた。
やがて目を遠見鏡から外す。
腹這いになった状態から、立ち上がった。
「結局、陛下に裏切られちゃったか~。ドラ・アグマ王国をけしかけて、レクセニル王国を滅ぼそうっていう計画だったのに失敗失敗。……でも、まあこれはサラちゃんのアドリブだしぃ。サラちゃん、本来の計画に戻るだけだしぃ。別に落ち込む必要がないよねぇ」
広い丘の上で、ぶつぶつと独り言を喋る。
さらに言葉は続いた。
「でも、ちょ~っと残念かなぁ~。聖槍の威力を確認することにおいて、陛下ほどの人材はいなかったんだけど……………………ま、いっか! 落ち込んでいても仕方ないよね」
そう言って、サラードは側にあった棺のような筺を担ぎ上げる。
そこには聖槍ロドロニスが入っていた。
「では、本来の予定に戻りますか。レクセニル王国のみなさん、ドラ・アグマ王国のみなさん、ごめんなさいね~」
サラードはニヤリと悪魔のように笑うのだった。