第149話 おっさん、闘技場で戦う
「じゃ、行ってくるよ」
今から狩りにでも出かけるように、ヴォルフは背を向けた。
眼前に広がるのは、荒涼とした大地だ。
草木は薄く、山肌も黒い。
空は晴れているのに、レクセニル領とは違って、どこか薄暗かった。
ひどいのは、臭いだ。
死臭が漂っている。
全国民が死を超越しているのだ。
致し方ないとはいえ、「はい。そうですか」と踏み込むには難しい国だった。
「パパ! 気を付けてね!」
今にも泣きそうな顔をしながら、レミニアは父を見送る。
ふとヴォルフは、娘が王都に旅立った時のことを思い出した。
あの時とは立場が逆になってしまった。
危険度という点においては、比べものにならないが……。
「心配するな、レミニア。お茶を飲んでくるだけだ」
「……うん」
やはり元気のない返事が返ってくる。
「レミニア、王国のことを頼んだよ」
手を振る。
レミニアも小さく手を振って、応えた。
何度も後ろを振り返り、その度に娘に向かって手を振る。
ようやく見えなくなると、ヴォルフは集中した。
辺りの気配を伺う。
いる……。
不死の存在が、すでにヴォルフを取り囲みつつあった。
岩陰に、木の裏に、あるいは地中に……。
様々な方向から見られているのがわかる。
「襲ってくる様子はないな」
殺気こそ感じるが、いきなり襲いかかるということはないようだ。
おそらくカラミティから厳命されているのだろう。
カラミティやその周辺に比べれば、不死者の知能は低い。
命令を命令と捉えることも難しいだろう。
それでも、彼らは従っている。
それは【不死の中の不死】のカリスマ性といえるかもしれない。
カラミティは700年間一国の王で有り続けている。
そのエネルギーは、すさまじいの一言だ。
さらに凄いのは、他の不死者たちが、それに従っていることだろう。
だが、彼女には覇気がある。
そして人を惹きつける魅力がある。
そんな彼女が死を望んでいる。
ヴォルフにはどうしても、腑に落ちなかった。
王城シグアに辿り着いたのは、国境を越えて2日後のことだった。
ここまで争いになるようなことはない。
静かなものだ。
それがまた不気味だった。
衛兵が控える屯所もなく、勝手口のようなものも見当たらない。
大きく分厚い門がそびえる。
その上には、槍のようないくつもの尖塔。
高く、かつ大きく。
先端は霧がかった向こうへと消えていた。
ヴォルフは試しにノックしてみる。
声をかけてみた。
これで反応があるとは、とても思わなかったのだが、王門は開き始める。
人1人分が十分入れる隙間ができあがった
入れ、ということらしい。
ヴォルフは少し居住まいを正す。
いよいよ王城に侵入した。
中は薄暗い。
いや、真っ暗といっても過言ではなかった。
申し訳程度に燭台が置かれ、弱々しい炎が揺れている。
外から見て気づいてはいたのだが、極端に窓が少ない。
あっても、磨りガラスや彩色ガラスだった。
「さすが、不死者の根城だな」
息を吐く。
すると、ガシャガシャと音が聞こえてきた。
ヴォルフは反射的に構える。
現れたのはスケルトンだ。
3つの首と、8つの腕。
前回の戦闘でも参加していた不死者だった。
(確か骸骨将軍とかいわれていたな……)
カラミティとの会話を思い出す。
骸骨将軍はヴォルフの前で立ち止まる。
一応、武器は収めているが、背中には槍、腰には剣を下げたままだった。
「よく来たな、ヴォルフ・ミッドレス。人間が陛下の王城に来たのは、お前で2人目だ」
「1人目はレイルか……」
「お前には関係のない話だ。陛下がお待ちだ。ついて来い」
背中を向けて歩き出した。
敵に背を向けるとは……と思うだろう。
が、骸骨将軍には関係がない。
三つの首の上にある顔の1つは、しっかりとヴォルフを見つめている。
憤怒の相をし、今にもヴォルフに斬りかからん勢いがあった。
しばらく王城の廊下を進む。
すると、今度は地下に向かい始めた。
普通、王と謁見するなら、地下ではなく階上へと向かうはずだ。
この辺りから、雲行きが怪しくなりはじめたことを、ヴォルフは感じていた。
地下に降りると、狭い廊下を続く。
真っ暗だ。
何も見えない。
娘に強化された『夜目』がなければ、進めないほどの闇が広がっている。
そして薄らと聞こえてきたのは、声だった。
人の――うめき声とも、歓声ともわからない。
やがて骸骨将軍の動きが止まる。
1枚の扉が目の前にあった。
「この先に、陛下がいらっしゃる」
ただそれだけを言った。
質問は許さない。
そんな雰囲気を醸している。
今ここで暴れ回って、引き返すことは簡単だろう。
が――。
(元々覚悟をして虎穴に入りに来たんだ。だったら、奥まで覗いてやろうじゃないか)
ヴォルフはぐっと顎に力を入れた
開いたドアの先。
かすかに明るい。
そして飛び込んできたのは、無数の歓声だった。
声を浴びながら、ヴォルフは進む。
当然胸中は揺れていた。
後ろの扉は閉まり、いよいよ前に進むしかない。
現れたのは、円形の広場だった。
どう見ても、闘技場にしか見えない。
死臭がひどい。
足下を見れば、肉や骨片が無造作に置かれていた。
むろん、どす黒い血もべったりと貼り付いている。
周りを見れば、全て不死者だった。
階段状になった観客席に立って、声を張り上げている。
その中に1つ異質な存在がいた。
どれほど人がいようと、人目が向く――絶世の美女。
カラミティ・エンドだった。
1人武骨な石の玉座に座っている。
初め少し戸惑っているようにも見えた。
だが、すぐに肘掛けに肘を置く。
浅く腰掛け、やや前のめりになると、口角を上げて笑った。
「どう見ても、罠だよな」
何をするのかは明白だ。
いきなり襲いかかってこないだけマシというものだろう。
やがて不死者の1人が声を張り上げる。
ドラ・アグマ語(?)なのか。
ヴォルフには全くわからない。
幻獣の声すら理解できるヴォルフである。
もはや言語ですらないのかもしれない。
ただ呻いているだけだ。
しかし、観客たちは熱狂的に声を張り上げ、腕を振り上げた。
首無し騎士が、自分の首を振り回している。
すると、対面の扉が開いた。
現れたのは、不死者ではない。
魔獣だ。
それも、おそらくだが、ドラ・アグマ王国固有の生物。
名付けるなら、アンデッドオーガといったところだろう。
一見肉塊にしか見えないでっぷりとした腹。
焦点の合わない暗い瞳。
常に口を開け、血と唾液が混じった体液をこぼしていた。
手には大きな包丁が握られている。
手入れはされておらず、肉と血がこびり付いたままになり、一部錆びていた。
刀匠のエミリが見たら、さぞ憤ったことだろう。
ゆっくりとヴォルフの方に近づいてくる。
意識があるように見えないが、戦う相手だけは判別できているようだ。
銅鑼も始まりの声もない。
アンデッドオーガは【剣狼】に襲いかかった。
「まだ事態は掴めないが……。降りかかる火の粉は――」
斬り伏せるだけだ!!
ヴォルフは足を広げる。
納刀したまま腰を切った。
アンデッドオーガが大包丁を振り上げる。
吠声を上げながら、真っ直ぐにヴォルフの脳天へと落とした。
瞬間、【剣狼】の牙と瞳が光る。
気づいた時には両者は交錯していた。
その異質な空気に、観衆達は気づく。
不意に静まり、水を打ったように静かになった。
刃を滑らせ、納刀する音だけが響く。
わずかに空気が震えたような気がした。
次の瞬間、アンデッドオーガは吹き飛んでいた。
一刀だけではない。
粉みじんになっていたのだ。
瞬きする一瞬、ヴォルフはアンデッドオーガに、千の刃を浴びせていた。
弱い……。
ヴォルフは常に敵に敬意を持つ。
それでも、そう感じずにはいられない。
もはや、魔獣というくくりの中で、彼を超えるものはいないかもしれない。
それほど、圧倒的であった。
顔を上げる。
静まり返った闘技場を、舐めるように見つめた。
やがて口を開く。
腰に下げた刀をかざしながら、ヴォルフは言った。
「さあ……。次はどいつだ?」
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