第147話 それはある月夜だった
ムラドはそのままむせび泣いた。
落ち着くのに時間がかかり、周囲はその様子を見守るしかない。
ムラドは椅子に座り、差し出された水を一杯飲む。
予定では、そのままヴォルフとレミニアも参加しての会議が始まる予定だった。
内大臣レッセルは延期するか、と王に問いただす。
だが、ムラドは自分の意志で断った。
事は火急である。
またいつドラ・アグマ王国が襲ってくるかわからない。
「お主を呼んだのは、残念ながら昔話に興じるためではない。ドラ・アグマ王国のことだ」
「はい。ご心配には及びません。彼らが来ても、また追い返して差し上げます」
「それは頼もしい言葉だ。だが、聞け、我が【剣狼】よ」
ヴォルフは今一度背筋を伸ばす。
居住まいを正し、ムラドの言葉に耳を傾けた。
「用件というのは、ドラ・アグマ王国その王――カラミティ・エンドのことだ」
「カラミティの……」
「ヤツの要望をな。叶えてやってほしい」
「カラミティ・エンドの要望?」
「それは、我がレクセニル王国を破壊する……というものではありませんか?」
口を挟んだのは、王国の研究員であるハシリーだ。
その質問に、ムラドは頷いた。
「その通りだ。だが、それは彼女の中の表向きな願いでしかない」
「表向きな願い?」
「彼女の望み……。カラミティ・エンドの望みというのは、すなわち――」
死ぬことだ……。
ヴォルフは絶句した。
死ぬことが望み?
そんな望みがあるのか?
いや、そもそもそれが望みといえるのだろうか?
ヴォルフはただひたすら困惑するしかなかった。
「戸惑うのも無理はない。だが、確かに彼女は言ったらしい。それはここにいるツェヘス将軍が聞いたのだから間違いない」
王は横に立ったツェヘスに話を振る。
将軍は1つ頷き、王からバトンを受け取った。
「俺は確かに聞いた。あの女は俺を斬った後、こういったのだ」
そなたも、我を殺すまでには至らぬか……。
「伝承によれば、カラミティ・エンドは700年以上生きている。それだけ生きていれば、生に飽きていても、なんら不思議はない」
「そもそもさ。なんでカラミティは不死なの?」
尋ねたのは【大勇者】レミニアだった。
「それは彼女が真祖だからではありませんか?」
「あれって簡単にいうなら、吸血鬼の上位互換みたいなものでしょ。その割りには700年も生きて、かつ不死なんて尋常なエネルギー量じゃないわ」
「あ……。そうか」
ハシリーはポンと手を打つ。
これまで不老不死の力を、エネルギーと考えたことはなかった。
もし、人間を不死にできる力があるとすれば、それはすなわち――。
レミニアはニヤリと笑った。
「そうよ。賢者の石よ」
「可能性はありますね」
「盲点だったわ。こんなに近くに賢者の石を発見できる手がかりがあるなんて……」
レミニアとハシリーは様々な可能性を議論し始める。
横で聞いていたヴォルフには、ちんぷんかんぷんだった。
要はカラミティの力が、レミニアが求める賢者の石もしくは、その同等の性質を持ったものである可能性が高い、ということなのだろう。
「王様、悪いんだけど、わたしたちはカラミティについて調べたいんだけど」
「うむ。話が早い。余もそう命じようとしていたところだ」
「よし! ちゃんと予算はもらうのよ、ハシリー」
「王の前で、堂々とお金の話をするのはやめてください、レミニア」
ハシリーは慌てて【大勇者】の口を塞ぐ。
すると、笑い声が響いた。
悲劇、そして悲しみの再会。
だが、今このレクセニル王宮の会議室にあるのは、温かい笑顔だった。
その中で、ヴォルフはふと思い出す。
難しい顔をしながら、腕を組んだ。
「カラミティが望む“死”か。……もしかして関係があるのだろうか?」
「なんのことだ、ヴォルフ」
ムラド王は耳を寄せた。
「実は王宮に来る前、ニカラスに寄ったのですが、ある人物と出会いまして」
「ある人物?」
「ああ。良かった。わたくしのことをお忘れになったのかと思いました」
会議室に入ってきたのは、冒険者だった。
見窄らしい姿を見て、レッセルが青筋を浮かべる。
「何者か! 王の御前である。下賤なものめ! 警備は何をしていた!!」
「下賤ですか。まあ、こういう姿をしているから仕方ないですね。やはり、人間は見た目が重要のようです」
「内大臣、落ち着いてください。その方の名前はリンダ。ラムニラ教の司祭です」
ヴォルフはレッセルを諫める。
だが、大臣はすぐには信じなかった。
すると、リンダは司祭だけが持てるラムニラ教の象徴をかかげる。
たちまち大臣の顔から血の気が失われていった。
「ご、ご無礼を……」
「いいですよ。慣れていますから」
「……し、しかし良いのでしょうか。我々はラムニラ教と敵対するヴォルフ・ミッドレスを――」
とんでもないところを見られてしまった。
レッセルの表情が歪む。
だが、司祭は飄々としていた。
「別に気にしていませんよ。そもそもラムニラ教は、正式には抗議していないはず。どうぞヴォルフさんとの再会をお楽しみください」
「よ、よろしいのですか、司祭殿」
ムラド王も尋ねる。
司祭はうんと頷いた後、自分のことを話し始めた。
「改めまして……。わたくしの名前はリンダ・バッシーと申します」
「リンダ・バッシー……」
1度反芻したのは、ムラドだった。
彼はラムニラ教の敬虔な信者である。
何か思うところがあるのかもしれない。
「リンダ……。もしかして聖槍ロドロニスがカラミティのもとにあるのは?」
「ええ。おそらくですが、カラミティを殺すためでしょう。レクセニル侵攻は、そのための条件だと考えられます」
「少し待て。ヴォルフ、リンダ殿。聖槍ロドロニスとカラミティがどう関わるのだ」
事情を知らないムラドが慌てる。
リンダはゆっくりと説明を始めた。
「なんと! 聖槍ロドロニスが盗まれた! しかも、ドラ・アグマ王国にあると」
ムラドは顔を真っ赤にして叫んだ。
いきなり血圧が上がったのか。
それとも事の重大さ故か。
軽い目眩を起こす。テーブルに肘を突いて頭を抱えた。
慌ててレッセルが典医を呼ぶ。
大騒ぎになる中、ツェヘスだけが冷静だった。
「なるほど。それで色々とつながるな」
「俺は聖槍を取り戻すため、ドラ・アグマ王国に行こうと思います」
「え? ちょっとパパ。それは危険じゃない?」
レミニアが反対する。
じっとパパを見つめた。
その娘の頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ、レミニア。今のパパは強い。ドラ・アグマ王国を全員敵に回したって勝つ自信はあるよ」
それは過剰な自信ではない。
真実だった。
今のヴォルフは強い。
例え一国が相手だろうと、【剣狼】であれば、斬って伏せることが可能だろう。
それはレミニアも理解している。
でも、パパに危険なことをしてほしくなかった。
どうしても、昔のことがちらつく。
どんなに強化魔法をかけても、レミニアはいつまで立っても父に対して過保護だった。
「ともかくだ。王がこのような状況だ。明日、また会議をして決めるぞ」
レッセルは叫ぶ。
全員一致し、その場は解散になった。
◆◇◆◇◆
夜――。
ヴォルフは王宮で個室を取ってもらい、休むことになった。
レミニアも一緒に寝る、と宣言したものの、ハシリーによって阻まれる。
ここはニカラスではない。
王都のモラルに従ってもらう。
そういう理由だ。
涙ながらレミニアは連行され、久方ぶりの静かな夜になった。
聞こえてくるのは、相棒ミケの寝息である。
ふかふかのソファの上を占拠し、気持ちよさそうに眠っていた。
良い夢を見ているらしい。
何度も涎を吸い込み、歯をギリギリと動かしていた。
その日、ヴォルフは寝付けなかった。
枕が変わったためか。
それとも王と劇的な再会をした後だからか。
判然としない。
窓の外を見ると、十六夜の月が浮かんでいた。
満月ほどではないにしろ、綺麗な光を放っている。
ヴォルフは下を覗いた。
王宮の中庭が広がっている。
人の気配はなく、時折衛士たちが見回っているのが見えた。
少し風に当たろう。
そう思い、個室を出て、中庭に座る。
涼やかな音を立てて、噴水が水を噴きだしていた。
サッと風が吹く。
さすがに肌寒い。
もう少し着込んで出てくれば良かったと、後悔した。
噴水には、歪んだ月が浮かんでいた。
その表面を見ながら、想い人の髪を思い出す。
この下で今も、自分のために懸命に刀を鍛ってくれている少女の顔を浮かべながら、部屋に用意されていた酒を一献傾けた。
すると、不意に影が空を覆う。
もう酔いが回ったのだろうか。
(年だな……)
などと思っていると、不意に月の光が陰る。
ヴォルフは顔を上げた。
人が浮かんでいた。
大きな蝙蝠羽が羽ばたいている。
骨のように真っ白な髪が、冬の匂いがする風に靡いていた。
少女はにぃと笑う。
小悪魔のように。
そして何か戦勝宣言のようにこう言った。
「見つけたぞ、ヴォルフ・ミッドレス」
ヴォルフの紺碧の瞳に映ったもの。
それは【不死の中の不死】カラミティ・エンドだった。
この度、作者が連載しています『ゼロスキルの料理番』が、
カドカワBOOKS様より6月10日に出版することになりました。
詳しくは、活動報告の方にまとめましたので、是非チェックして下さい。
アラフォー冒険者とはまた違う毛色の作品ですが、
何卒『ゼロスキルの料理番』の書籍版もよろしくお願いしますm(_ _)m