第146話 【剣狼】、王の下へ……
【大勇者】も仕事していたのです。
かくしてヴォルフ・ミッドレスは王都に凱旋した。
すでにドラ・アグマ王国軍を退けた報は届いていたらしい。
人々は沿道に出て、勇敢な兵士たちを迎えた。
その中には、ヴォルフも混じっている。
沿道や建物から顔を覗かせた人々を見て驚いたのは、隣を歩くウィラスだった。
「おいおい。こりゃどういうことだ? 今、王都はもぬけの空じゃ……」
ドラ・アグマ王国の進軍の報を聞き、国民を国外に脱出させたはずである。
だが、信じられない数の人が、ウィラスたちに手を振っていた。
「皆、報を聞いて戻ってきたんでしょう。故郷を簡単に捨てられる人間なんていないですよ、兄上」
アンリは兄の方を向いて微笑む。
勘当覚悟で大公家を飛び出し、今や騎士団長代理を務めるウィラス・ローグ・リファラスは、照れくさそうに頬を掻いた。
王宮の前までやってくる。
そこにいたのは、レミニア、ハシリー、そしてミケだった。
「パパ!!」
レミニアが駆け寄ってくる。
早速、ヴォルフに抱きついた。
父の匂いと感触を補充するように【大勇者】は、ギュッと力を込める。
「おかえりなさい、パパ」
「ただいま、レミニア。どうやら、そちらも間に合ったようだね」
「もちろんよ。わたしを誰だと思ってるの?」
えっへんという感じで、胸を反らす。
背丈に似合わない大きな胸が揺れた。
レミニアには王都を脱出したという民の救出に当たらせた。
娘はパパと一緒に行きたいとせがんだが、さすがにミケとハシリーだけでは心許ない。
すでに負傷者もいる可能性がある。
だから、ヴォルフはレミニアを説得し、北へ向かった民を追いかけさせた。
どうやら上手くいったようだ。
民が帰ってきたのも、世界最高戦力たる【大勇者】が、帰還したからだろう。
安心し、戻ってきたというわけだ。
「お疲れさまです、ヴォルフさん」
「ハシリーもすまないな。……うちの腹ぺこ猫が迷惑をかけなかったか?」
『誰が腹ぺこ猫にゃ! 誰があっちを腹ぺこにしてると思ってるにゃ!!』
ハシリーの横に立ったミケが目くじらを立てる。
爪を立て、今にもご主人に飛びかかりそうな勢いで睨み付けた。
「はは……。それよりも、ヴォルフさん。王がお待ちです」
「もう……王は知っているのか、俺のこと?」
「ご存じです。先に報告書は送って置きましたので……」
「わかった。会おう」
そしてヴォルフは実に180日ぶりに、ムラド王と謁見するのだった。
◆◇◆◇◆
王との謁見は、謁見の間ではなく、小さな会議室で行われた。
ヴォルフは確かにワヒト国民となった。
だが、レクセニルからすれば、大罪人であり、そして死人である。
大っぴらに会うことは、さすがに憚られた。
会議室に入ると、すでにムラド王は待っていた。
側には内大臣レッセルの姿もある。
そしてもう1人。
意外な人物が直立不動で立っていた。
「ツェヘス閣下……」
カラミティとの戦いで大怪我を負ったと、ヴォルフは聞いていた。
病床の身である彼が、今こうして自分の前に立っていることに、普通に驚く。
「久しぶりだな、ヴォルフ・ミッドレス」
「は、はい。お久しぶりです、閣下。……怪我をされたとお聞きしましたが」
「大した傷ではない」
「は、はあ……」
「と言いたいところだが、お前の娘に助けてもらった」
「レミニアが……」
側にいる娘に振り返った。
レミニアは「むふっ」と得意げに笑みを浮かべる。
「どうやらお前たち親子に借りができたようだ。いずれ返す」
「いえ。借りなら俺にもあります」
「?」
「規約を無視し、俺を見送ってくれました。あのご恩は忘れません」
「あれは俺が勝手にやったことだ。気にすることではない」
すると、ツェヘスは目を閉じた。
これ以上の反論は許さない。
そんな構えだ。
猛将の意を汲み、ヴォルフはそれ以上何もいわなかった。
やがて、本丸――ムラド王に向き直る。
跪き、頭を垂れた。
「陛下……」
「そんな顔をしないでくれ、ヴォルフよ。どうか顔を上げてほしい」
「はっ!」
言葉通りに、ヴォルフは顔を上げた。
紺碧の瞳に、ムラド王が映る。
やはり老いを感じずにはいられなかった。
撫で付けられた白髪は、以前よりも薄く、瞳にも力はない。
迫力ある髭も、くしゃくしゃに濡れた草紙のように、しなびていた。
2つの季節を挟んだだけだ。
なのに、ムラド王は豹変と言っても差し支えないほど、老いていた。
(おいたわしや……)
同情せざるおえなかった。
「ムラド王、実は――」
「何も言うな、ヴォルフよ。お前が何かを言えば、惨めになるのはこの余だ。ただ一言……。王ではなく、私人として言わせてほしい」
よくぞ戻ってきてくれた、我が牙よ……。
身が震えた。
ヴォルフはレクセニル王国を出ていった。
今やワヒト国民だ。
それには致し方ない理由がある。
でも、故国を背にし、新しい国の民になる。
抵抗がなかったわけではない。
いや、むしろその葛藤は、周りが想像するよりも大きかった。
彼はヴォルフ・ミッドレス。
優しい優しいアラフォーの冒険者だからだ。
自分はここにいていいのだろうか。
そんな気持ちが、ここに至る寸前まで考え続けていた。
しかし、王の言葉を聞いた時、ヴォルフの葛藤はすべて霧散する。
ぽたっ……。
1粒の滴が床に落ちる。
さらに1つ、2つ……。
真っ赤な絨毯に溶けて、消えていった。
皆がハッとして顔を上げる。
泣いていたのだ、ヴォルフが……。
さめざめと嗚咽を漏らすことなく、ただじっと王を見たまま泣いていた。
レミニアは驚いていた。
父がここまで号泣するのを、初めて見たからだ。
「パパ……?」
「ん? ああ……。すまん。大したことはない」
しかし、涙は後から後から溢れてくる。
漏れ出そうとする嗚咽を堪えるのに、ヴォルフは必死だった。
「ヴォルフよ。すまん」
ムラド王は頭を下げる。
後ろのレッセルが目を剥くのが見えた。
王が頭を下げることなど、滅多にないからだ。
だが、ヴォルフにとっては、2度目の経験だった。
「余は何度も悔いていた。あれは間違った判断だと……。だから、虫の良い話かも知れぬが……。また力を貸してはくれぬだろうか。頼む、ヴォルフ」
ムラドは顔を上げようとしない。
「顔を上げてください、ムラド王。俺は全くあなたを恨んでいないのです」
そして娘を見ながら、目を細めた。
「俺がいなくなっても、あなたは娘を守ってくれた。引き続き、彼女の研究を支援してくれていた。感謝するのは、俺の方です。ありがとうございます、ムラド王」
すると、ムラドは崩れ落ちた。
ヴォルフ同様、涙を垂らす。
目の前の男とは違い、嗚咽を堪えることができなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ムラドも同様だったのだ。
ヴォルフ・ミッドレスという大きな十字架。
それを背負い続けた王もまた、ヴォルフに恨まれて当然だと思っていた。
しかし、彼から出てきたのは、感謝の言葉だった。
ムラドは泣き叫び続ける。
しばらく立ち上がれないほどであったという……。
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