第143話 伝説vs伝説
草原を吹く風に靡くブロンドの髪。
ガッチリとした肩幅と、広い背中。
切り株のように太い腕には、反りがついた刀が握られ、紺碧の瞳は怒りを滲ませている。
その戦場にいる誰もが、夢ではないかと思った。
出来ることなら、己の頬を引っぱ叩きたいとすら。
無意識にアンリは、地面を見てしまう。
筋肉の瘤ができている足は、確実に大地を踏みしめていた。
夢でもなければ、幽霊ですらない。
本物だ。
本物のヴォルフだった。
背筋を通り何かが駆け巡ってくる。
じぃん、と目頭を刺激した。
恐怖で凍えていた涙に体温が伝わる。
温かな涙が、頬を集い、再び姫騎士は涙した。
「ヴォルフ……殿…………」
アンリの言葉が凜と響く。
それは戦場に伝播していった。
レクセニルの騎士団が、その姿を認める。
「ヴォルフ……さん……?」
「あいつ……」
エルナンスとマダローが顔を上げる。
「ヴォッさん……」
ウィラスもまた立ち上がった。
妹と同じ青い瞳に、追放されたはずの冒険者の姿が映る。
心境としては、兄妹一緒だ。
だが、それは明らかにヴォルフだった。
誰かが変装しているわけでも、魔法で姿を変えているというわけでもない。
証拠などない。
ただ彼がもつ雰囲気。
間……。
そのすべてにおいて、ヴォルフであると無意識が訴えていた。
「「「うぉぉぉぉぉおおおおおおおぉぉおおぉおぉおぉおおお!!」」」
怒号のような歓声が上がる。
騎士団の団員にもわかっていた。
それがヴォルフ・ミッドレスだということを。
同じ辛苦を味わったのだ。
戦場を駆け回ったのだ。
忘れるはずがない!
共有した経験を……。
そして受けた多大な恩を……。
彼がここにいるのは、ある意味違法である。
けれど、誰も咎めることはなかった。
むしろ戻ってきてくれたことに、歓喜するのみだった。
ギィンンンンンンンンンンンンン!!!!
鼓膜を切り裂くような鋭い音が鳴り響く。
砂煙が上がった。
皆の視線が、ヴォルフから別の人物に移る。
【不死の中の不死】にして、ドラ・アグマ王国の君主。
カラミティ・エンドだった。
常に歪んだ口元は、今は真一文字に結ばれている。
ワインに浸したような瞳は、怒りによって燃えさかっていた。
「ヴォルフ・ミッドレス……。ああ、そうか。【大勇者】の父というのが、そなたか」
「あんたがカラミティ・エンドだな」
ヴォルフは改めて不死の王を睨み付ける。
「気を付けろ、ヴォッさん。そいつは……」
「ツェヘス将軍に勝ったんだろ?」
だいたいのあらましは、ここに来るまでに聞いていた。
ドラ・アグマ王国の侵攻。
ツェヘス将軍が大怪我を負ったこと。
国が脅されていたこと。
ヴォルフはかつて王都で暮らしていた。
【不死の中の不死】の噂は聞いている。
その伝説的な強さも。
しかし、彼は立っている。
己の罪も省みず、それでも戦場を目指さずにはおられなかった。
そういう男であることは、アンリも、ウィラスも理解していた。
「アンリ……」
「は、はひ」
突然、声をかけられ、アンリは驚いた。
声が裏返る。
久しぶりの邂逅だというのに、最初の一声をしくじった姫騎士は、思わず頬を染めた。
「久しぶりだな」
「え? あ、はい」
「あと、ありがとう」
「な、何がですか?」
「娘に手紙を届けてくれて」
「手紙?」
アンリはすっかり忘れていた。
夏季の間際。
ヴォルフから手紙を預かり、娘のレミニアに手渡したことがあった。
およそ100日前の話だ。
忘れていたのも無理はない。
またそんな些細な話を、戦場で言われるとは思っていなかった。
「ずっと礼を言いたかった」
「あ。いえ……。私は頼まれたことをしただけで」
またアンリの顔が赤くなる。
ヴォルフに誉められてしまった。
なんだかくすぐったく感じる。
だが、同時に恐ろしくもあった。
何故、このタイミングでヴォルフは言ったのか。
今話す話題ではないことは、誰にもわかる。
引っかかったのは「心残り」という単語だ。
(もしかして、ヴォルフ様……)
ズキリと胸が痛む。
1度考えれば、まるで泥のように広がっていく。
忘れていた絶望が、彼女の心の中で蒸し返された。
今戦っているのは、伝説の存在なのだ。
ヴォルフは強いと思う。
けれど、果たしてカラミティ・エンドに、その刃が届くのだろうか。
アンリの中に、暗い疑惑が広がった。
それはウィラスも同じである。
化け物となったマノルフ・リュンクベリを倒した手際。
あれは見事だった。
けれど、カラミティ・エンドはそれ以上の化け物である。
ヴォルフ・ミッドレスは果たして伝説の存在【不死の中の不死】に勝てるのか。
その疑問が浮き上がった瞬間、歓声は消え、しぃんと静まってしまった。
「おのれぇ! 陛下の臣兵を傷つけるとは!! なんたる不届き者か!?」
声を荒らげたのは、骸骨将軍だった。
カラカラと骨を動かし、8つの腕でヴォルフを指差す。
かくなるうえは……、と武器を握った時、それを制するように殺気が膨れ上がった。
「控えよ、骸骨将軍。あれは、我の獲物だ」
白い顔骨が青くなるほど、骸骨将軍の動きが止まる。
何も言わず、そそくさと後ろに控えた。
「大層強いそうではないか」
「あんたもな。伝説の存在に会えるとは、ちょっと得した気分だ」
「存分に堪能するがいい。我が美貌を……。ただし開館時間は、お前の命が尽きるまでだがな」
銅鑼もなければ、合図もない。
カラミティが仕掛けた。
それが戦いの合図だったのだ。
彼女にとって闘争とは、生きるすべての時間である。
試合や準備といったものは、存在しない。
不意打ちという概念すらないだろう。
ヴォルフがカラミティの前に現れた瞬間、両者の戦いは始まっていたのだ。
カラミティが地を蹴る。
「速い!!」
「速ぇ!!」
リファラス兄妹の声が重なる。
異次元の速さだった。
彼女が動いたというよりは、大地そのものが動いたような……。
そんな錯覚すら映る。
ともかくヴォルフに迫った。
対して、【剣狼】の動きは緩やかだ。
“動”のカラミティに対して、ヴォルフは“静”だった。
緩やかな動きで、抜いた刀を鞘に収める。
まるで彼の周りだけ、時が止まっているようだ。
ぐっと腰を落とし、整える。
はあ、と息を吐き出した。
覇気も、殺気も、剣気もない。
とにかく静かだ。
静寂だけで、世界のすべてを包んでしまうほどに……。
「死ね!!」
カラミティは叫ぶ。
大概において、その言葉は事実となるだろう。
彼女が「死ぬ」といえば、死ぬのだ。
だが……。
この時だけは違った。
カラミティの爪がヴォルフの肩口に触れた瞬間。
【剣狼】の眼光と、牙が閃いた。
「――――ッ!!」
カラミティの目の前にあったのは、神々しいばかりの白の世界だった。
次の瞬間――。
しゃあああああああああああああ!!
鮮血が舞う。
花のように……。
白い世界を赤く染め上げていく。
美しいとさえ思った。
確実に意識する。
……今。
自分が心を奪われたことに。
こんな気持ちになったのは2度目だ。
カラミティの脳裏に浮かんだのは、ある冒険者の姿だった。
カラミティの身体が傾斜する。
700年、1度たりとも膝をつくことがなかった伝説の存在が……。
地面に伏す。
その音は、やたら軽く戦場に響き渡るのだった。
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